今年初め、念願のダイアログ・イン・ザ・ダーク(Dialogue in the Dark, DID)に行ってきました。
この本は、その時に頂いてきたもので、ドイツで始まったDIDを日本に持ってきて展開を始めた志村真介さんのご著書です。
DID自体、素晴らしい体験だったのですが、この本もまた素晴らしかったです。
私は体験してから読みましたが、読んでから行くのももちろんあり。
どちらの順番でも、両方とも楽しめると思います。
「暗闇から世界が変わる ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦」(講談社現代新書、2015年3月初版、志村真介 氏 著)
ダイアログ・イン・ザ・ダークとは
ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)は、漆黒の暗闇の中を、目の不自由な方にアテンドしてもらいながら旅する体験。約90分。その中で一緒に体験するグループの方々と遊んだり対話したりします。
この体験の素晴らしさは、ぜひ、ご自分で感じて頂きたいと思います。
人によって感じることはきっと違います。
目を開けていても閉じていても同じというほどのまさに「漆黒の」暗闇は、私は初めてで、言葉にならないものをたくさん感じました。
その一部は、ポッドキャスト・独立後のリアルの中で話しています。
日本では特に対話(ダイアログ)に重点を置いているというのは、本書で知りました。
以前は外苑前で常時開催されていましたが、今は場所を移して、アトレ竹芝にて常時開催されています。
また、移転を機に、
・耳の不自由な方にアテンドしてもらう「ダイアログ・イン・サイレンス」、
・高齢の方にアテンドいただく「ダイアログ・ウィズ・タイム」
も加わって、ダイアログ・ミュージアム「対話の森」としてスケールアップしています。
多くの方に、何度でも、行っていただきたい場所です。
本当の「対等」、本当の「多様性」とは何か
私が本書を読んでいて一番強く共感したのは、この部分。
ここで私が言いたいのは、いまの福祉のあり方への問題提起ではありません。人と人とのコミュニケーションは、「対等」が基本であるということです。やはり相手を当たり前に人として見ることから始まる関係性が重要ではないかということです。
助ける人、助けられる人というふうに立場が固定している中では、見えるものは限られてきます。この関係を崩して、より対等にできたら、お互いが本当に知ってほしいことが見えてくるのではないでしょうか。(p.78-79)
体が不自由な人、病気を患っている人、言葉ができない外国人、被災した人、片親のこどもなど、所謂「ふつう」と違う状態の人を見ると、「弱い人」「かわいそうな人」と見る社会的な傾向をよく感じます。
これは、表面的に「ふつう」が形成されやすい一億総中流・単一民族の島国・ニッポンで、特に起きやすいことだ感じています。
「かわいそうな人」だから「助けなくちゃ」というところに、私は違和感を感じます。
確かにいろいろ「たいへんなこと」はあるだろうと思います。でも「かわいそう」というのとは違うのではないか。
「かわいそう」というその言葉に、上から下を見るような、おごりにも似たものを感じるからかもしれません。
また「助ける」という言葉の後ろには、助けてもらう立場なんだから、感謝すべきだ、身の程をわきまえるべきだ、助ける人の言うことを聞くべきだ、というのを感じるからかもしれません。
ケアしすぎることは、過保護な親と子どものような、共依存関係を生んでしまって、昨年読んだ本の影響を引きずってくれば、福沢諭吉先生的な「独立自尊」とはほど遠いところに行ってしまうだろうと思います。
マインドチェンジが必要なのは両方
他方、障がいを抱えていらっしゃる方々の方も、自らを低い立場に置かない意識を持っていく必要があります。
日本のDIDで企業研修用プログラムを始めるために本部から来た、盲目のブルガリア人の女性、ダニエラさんのお話が素敵でした。
こうして本部からやってきたのが、ダニエラ・ディミトローバという30代のブルガリア人女性でした。彼女との出会いは、日本のDIDが大きく変わるきっかけになりました。彼女は指導のために世界30ヵ国以上を回っていますが、目が見えないにもかかわらず移動はいつも一人です。考え方から行動まですべて自立していて、そんな姿に触れるだけでアテンドたちには大きな刺激になったのです。
(中略)
ダニエラの存在は、目が見える人にとっても見えない人にとっても大きなインパクトがありました。とくに目が見えないのに目が見える人と対等に渡り合っている姿は新鮮で、アテンドたちは驚いていました。
(中略)
ダニエラはアテンドたちに「自分で稼いだお金で買う白杖は価値が違う」と語りかけました。視覚障がい者が日常使っている白杖は、国からの助成金で安く買うことができます。ところが彼女が言うには、助成金に頼らず自分で稼いだお金で買った白杖は、同じ杖でも全く価値が違うと言うのです。自立心と意志の強さを感じさせる話で、こんなことを教えてくれる視覚障がい者は他にいないので、私の心にもかなり強く響きました。
もう一つ、彼女の話で印象に残っているのは、「私たちは目が見えないことで思考の視野が狭まることがある」という話です。それは同じ立場の人とだけ付き合うことが多くなり、多様性を受け入れにくくなるためだということでした。(後略)(p.137-139)
健常者・障がい者という言葉も好きではありませんが、ここでは便宜上使わせていただくとすると、
健常者も障がい者も、本当に自分たちは対等な存在であるのだということを、両方が意識を変えていく必要があるのだと思います。
一見「ふつう」に生きているように見える人だって、本当は、心身ともにそれぞれにいろんな不具合を抱えているものですし。
以前見たベルギー映画「Come As You Are(邦題:ありのままで)」を思い出しました。
三者三様の障がいを持つ3人の少年(首から下が麻痺して車椅子、脳腫瘍を抱えて車椅子、極度の弱視)が「セックスしたい!童貞を捨てたい!」と、3人だけでスペインの売春宿を目指して旅をするロードムービーです。
障がいがあったって、性への興味はあるし、冒険心はあるし、悪態もつく。
同時にできないことがあって、人を頼らなくてはならないこともあって、悔しい思いも痛い思いもする。だけど、生きていくってそういうこと。
これをとても爽快に見せてくれた映画でした。
障がい者の方について、福祉施設で、「ふつう」とは違う特別にケアされる環境で助けられながら生きる存在、としてみるのではなく、
「対等」かつ「エンターテインメント」のエッセンスを持ち込んで、相互にリーダーシップを発揮し、相互に助け合いながら一緒に楽しむことができるDIDは本当に素晴らしい体験を提供してくれていると思います。
リーダーシップの旅
この本のもう一つの楽しみ方は、著者である志村真介さんのリーダーシップジャーニーとしての物語です。
前例のないものを日本に持ち込むことは、想像を遥かに超える大仕事と思います。
しかも、これはある種、繊細な、タブー視されているような世界にも関わること。
新聞の記事で見つけたDIDとの出会い、自らコンタクトして機会を手繰り寄せる、得意かどうかというよりも強い思いに突き動かされる、漆黒の闇を作る難しさ、人々の理解を得ることの難しさ、粘り強く、諦めず。次第に開かれていく。新たなシフトが求められるステージなど。
「シンクロニシティ[増補改訂版] ― 未来をつくるリーダーシップ」や「リーダーシップの旅 見えないものを見る」の一つの実例とも感じました。
ビガーゲーム的に言えば「ゆずれない目的」を生きるリーダーは、何かの力に生かされるのだとも感じました。
企業研修としてのDID
私が1月に体験したのは一般向けのプログラムでしたが、これとは別に企業研修としてのDIDも展開されています。つい先日、大変光栄なことに、この企業研修版のアテンドの方の選考会に参加させて頂く機会を得ました。
企業研修版では、漆黒の暗闇の中で一つのことを皆で取り組むなど、同じ組織で働く人たちにとっての気づきや学びにフォーカスが当たっています。
暗闇の中だからこそ露わになる自分のリーダーシップスタイルの癖などに気づかされて、私もアイタタタタという体験もしました。
何度でも違う気づきがある
そんなわけで、約2ヶ月の間に2回もDIDを体験した私ですが、行けば行くだけ違う発見があります。
暗闇に驚くばかりの初回、慣れてきたからこそわかってくること。
誰と一緒に行くのか、自分がどんな状態の時に行くのかによっても感じることは変わります。
DIDの素晴らしいところは、人間としての大切な気づきが得られる以前に、エンターテインメント性があること。
さらに、飽きっぽい私たちを迎えて下さる工夫もしてくださっています。
イベントの運営に関わって実感したことですが、人はイベント体験さえ消費していくということです。一度入場すると「もう体験したからいいや」という気持ちになるのです。そういう人にもう一度入場してもらうには工夫が必要でした。先述したようにコンテンツを変えることで、新鮮な体験に変えていくのです。
そこでまず行ったのは、季節によってコンテンツを変えることでした。日本の四季を取り入れて、日本人の繊細さに訴えることにしたのです。(p.142-143)
参加者がDIDで体験すること・DIDが伝えていきたいことは私が世界に願っていること・伝えていきたいことと同じと感じ、少し力が入ってしまいました。
一般向けコースを体験して感じたことは、ポッドキャストの中でも話しました。ぜひ聴いてみてください。
そして、ご自分でもDIDに行ってみてください!
ダイアログ・ミュージアム 対話の森
志村さんのストーリーから思い出す本: