ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

反省記― ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの“地獄”で学んだこと

しばらくぶりの投稿です。

ここのところ忙しかったので、息抜きに軽い気持ちで読めるものを読んでいました。

父から回ってきた本。面白かったです。

反省記―― ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの“地獄”で学んだこと」(西 和彦 氏 著、ダイヤモンド社、2020年9月初版)

 

反省記―― ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの“地獄”で学んだこと

 

スティーブ・ジョブズの本を読むと、アメリカにおいてパーソナル・コンピュータが登場した頃からiPhoneまで、業界全体の歴史も含めて臨場感を持って知ることができますが、

本書を読むと、日本においてパーソナル・コンピュータが登場した頃の歴史をタイムスリップしたかのように知ることができます。またジョブズの本では、マイクロソフト側のことはあまり分からなかったので、こちらの本を読むことでその両方がつながってくる感じもありました。

そういえば、昔、父が「MSX」なるパソコンを買ってきて、嬉しそうに「使え、使え」と言っていましたが、そのパソコンをつくられた方だったとは。

 

テック業界に詳しくないので、読んでいて一番驚いたことは、マイクロソフトが起業から成長していくまでの過程で、日本企業の数々が大事な役割を担っていた、ということでした。

西さんがアメリカに飛び込んでビル・ゲイツと盟友となり、マイクロソフトの副社長という立場を持ちながら、ファーストクラスの機内なども含め、ありとあらゆるところで築いたネットワークで、アイディアを現実にしていく。

その中で、NEC、富士通、ソニー、松下電器(パナソニック)、京セラ、キャノン、沖電気、アルプス電気などの社長たちと、協業の可能性を模索したり、実際に協業したりしていらっしゃる。20代の頃に。

今や、GAFAMなどは全てアメリカから出ていて、日本は完全に出遅れている、などという評価はよく耳にすることではありますが、この当時は、むしろ日本企業はキープレイヤーの立場にいたのだな、と思うと、ちょっとすぐには信じられないような気持ちになりました。

やっぱり問題は、「人の力」「企業の力」ではなく、「国の力」ではないか、あるいは、業界全体で何かが育っていくときの力の違いというのも感じました。

 

さて、西さんについて書かれたものは読んだことがなく、ご本人の著書もこれが初めての出会いですので、本書以外の情報は持ち合わせていませんが、

本書から伝わってくるお人柄は、本当に面白い方だなぁと思います。

これと決めたらとことん突き進む、手に入らないなら自分で何とかしてしまう、わかるまでなんでもやる、学校よりもやりたいこと優先。

具体的には、

無線マニアで9歳の時には電話級アマチュア無線技士の資格取得、
11歳ではアマチュア無線局を開局してブラジルと交信する、
中学時代にはラジオ番組「プレイボーイ・クラブ」を聴きたいがあまりラジオを自作する、
高校時代には当時150万円もする電信レンジを分解して壊す、
同じく高校時代には「第1回国際コンピュータアート展」に行きたいがあまり通学を装いながら実はサボって日帰りで東京に行ってしまう、など。

こういう育て方をできたご両親・ご親族もすごいなぁと思います。

 

私が一番好きだったのは、ところどころで仲間やメディアからひどい仕打ちを受けたと感じたときに、「ひどい。ひどすぎる。」などと書いていらっしゃるところ。

とっても素直な一言で。(大変失礼ながら)ちょっと可愛らしい。

これくらい素直に、私たちは生きていいように思います。

 

マイクロソフトの副社長、アスキー創業、天才と持て囃される。

そういう時代があった一方で、全てを失った経験も。

本書を書かれるに際しても過去に向き合うことが必要になり、決して楽しいばかりでもなかったと思います。更に文字に起こすことは苦しい作業です。

「人生にifはない」と言いつつも、あの時あんなことをしていなければ今頃はビルゲイツと共に大富豪だったかも、など、「マイクロソフトで喧嘩して、アスキーでも喧嘩して、まさに喧嘩男のちゃぶ台返しの人生」を振り返りながら、「自分でつくづく情けなくなる」と吐露されているところには、人間らしさを感じ、それをそのままに表現する生々しさに敬意の気持ちです。

 

数々のストーリーは本書を読んでのお楽しみ、として、

私がいたく共感したところを抜粋させて頂きます。

 

「感動」がすべての原点である

 「面白い!」

 心の底からそう思う瞬間がある。

 いわば、感動する瞬間だ。「すごい!」でもいいし、「何だこれは!」でも何でもいい。人生には、必ず感動がある。僕は、その感動こそが、よい仕事の出発点にあると思っている。

 もちろん、ビジネスに育てていくうえでは、「実現可能性」や「市場性」などといった観点も不可欠だが、これらは二の次。原点に感動がなければ、何も始まらないし、よい仕事にはならない。何よりも大切なのは、感動を原動力に一歩を踏み出すことなのだ。

 

 ビル・ゲイツとの出会いもそうだった。 (p.26)

 

「興味のある場所」に行くだけで、人生は自然に拓ける

 僕は、この頃から、興味のある場所には躊躇なく飛び込んで言った。

 それは、今に至るまで全く変わらない。自然と体が動いてしまう。僕にとっては、それが当たり前のことだった。そういう性分だと言えばそれまでの話かもしれないが、この性分が僕の人生に創造性を与えてくれたのだと思う。なぜなら、最も重要な情報は、「人」を介してもたらされるからだ。

 これは、高度な情報化社会になった現代でも変わらない。グラハム・ベルが電話を発明したときに、最初に電話で話した言葉が「ワトソン君、ちょっと来てくれ」だったのは有名な話だが、メールやチャット、テレビ電話が使われる現代でも何も変わっていない。人と直接出会って対話する以上のコミュニケーションは、この世に存在しないのだ。

 

 であれば、自分の人生を生きるために大切なのは、興味のある場所に行ってみることであるはずだ。その場所には、同好の士が集まっている。同好の士なのだから、心配しなくても話は合う。感銘も受ける。興味はさらに深まる。そして、彼らと交流することで、自分にとって重要な仕事や情報は、ほとんど自動的にもたらされる。それさえ手に入れば、人生は自然と拓けていくのだ。

 だから、僕は「やりたいことが見つからない」とか、「自分の人生を変えたい」と悩む若者を見ると、いつもこう思う。興味のある場所に行ってみればいいよ。人生はシンプルなんだから、悩んでる時間がもったいないよ、と。(p.66-67)

 

僕は「ソフト」ではなく、「ビジョン」を売っていた

(中略)

僕が、あれだけ頑張れたのは、マイクロソフトBASICを売っているのではなく、パソコンの設計を売っていたからだ。自分なりに思い描いていた「理想のパソコン」「売れるパソコン」を実現したい一心で、パソコンの設計を売っていたのだ。

 しかも、それはただの妄想だけではなかった。僕は、確かな裏付けのある「ビジョン」を売っていた。しかも、そんな話をできるのは、当時の日本には少なかったはずだ。その意味で、あの時の僕は尖った存在だった。だからこそ、名だたる経営者も一流のエンジニアも、たかだか20代の若造の話に耳を傾けて下さったと思うのだ。(p.142)

 

「厳しい優しさ」と「優しい厳しさ」

 もうひとつ、当時を振り返って思うのは、経営者には「優しさと厳しさ」が必要だということだ。

 単なる「優しさ」や「厳しさ」ではない。

 「厳しい優しさ」と「優しい厳しさ」。大事なのはこの二つなのだ。

 「厳しい優しさ」とは、甘やかさないということだろう。「優しい厳しさ」とは、逃げ道を塞がないということのような気がする。どちらも、僕には足りなかった。というか、甘やかすような「優しさ」と、逃げ道を塞ぐような「厳しさ」の両極を、僕は極端に行ったり来たりしたように思う。(p.336)

  

残酷な”女神”との付き合い方

 ただ、運命を決める”女神”がいたとしても、 一瞬一瞬を生きている人間には関係のない話だ。今、”女神”がサイコロを振っているなんて、誰にわかる?

 結局、僕にできる事は、一瞬一瞬を一生懸命生きることでしかない。所詮、人間にはその時には自分の運命などわからない。実際あの頃の僕は、「理想のパソコン」を求めて、ひたすら仕事をしていただけだった。

 (中略)

 ビルもポールもキルドールもエストリッジも、みんなそうだったに違いない。人間にはそうすることしかできないのだから、それをコツコツやり続けるしかないのではないか。(p.169)

 

 手形が不渡りになるとかそういうことで、会社が潰れるのではない。社長が「もうアカン」と思ったときに、会社は潰れるのだ。だから、決して「もうアカン」と思わないことが大事。ほとんどの破産は、社長が「もうダメだ」と思ったときに始まるのではないか、と。(p.306)

 

「相棒と二人で仕事する時は、何も言わんでも仕事ができる。『あ』と言うたら、『うん』と言う感じで仕事ができる。

 10人の人と一緒に仕事するときは、どうか? 10人まではああせいこうせいと命令することができる。

 だけど、100人の人と仕事をするときには、教えるような気持ちで仕事をせんとあかん。

 1000人の人と一緒に仕事をする時には、『君ら頼むわ』『一つよろしくお願いします』という気持ちじゃないと仕事がでけへん。

 それでな、1万人の人と一緒に仕事をする時には、(中略)諸君らの幸運を祈ると、祈るような気持ちでいないと、1万人の人は動いてくれないよ」

(松下幸之助さんの側近を務められた方から教えられた、幸之助さんの言葉。p.315)

 

「お金は使うまでは冷え冷えしたもので、使って初めて温かいものになる」(CSK 大川功さんの言葉、p.420)

 

 僕は、人生とは実験なのだと思う。

 人は誰もが、初めての人生を生きている。もし、生まれ変わりがあるとしても、前世の記憶はなかなか蘇らない。 自分の言動がどのような結果を招くのかわからないまま、行動を起こさなければならない。それが、人間の生きている条件だ。であれば、人生とは実験の連続というほかないではないか。

 僕には、過去にしたことで自分が失敗だと思ってきたことが数多くあるが、実はそれらは、その後の人生のための大切な実験だったということになる。 失敗と思って後悔ばかりして、反省をしなければ失敗は永遠に失敗である。自分を責めないでクールに実験と捉えることによって、はじめて過去から虚心坦懐に学ぼうという気持ちになることができるのだ。(中略)

 

 だから、自分の今までの人生を後悔していない。(p.9)

 

あと、こっそり驚いていたのは、このお方も、吉本隆明さんの本が人生の転換点となる、と言っていらっしゃったところ。

毎週配信しているポッドキャスト「独立後のリアル」の相方・はっしーからも、吉本隆明さんの本をよく読んだと聞いています。そろそろ私も読むべき時でしょうか。

こうやって、私の次の本が決まって行ったりします。

 

 

この読書ブログはこんな人が書いています。

coaching.cocomichi.club

 

(お気に召す記事がありましたら、ぜひシェア頂ければ嬉しいです。また、もしこのブログを読んで、ここで紹介されている本を購入しようと思われた際は、このブログ内のamazonへのリンクを経由して購入頂けると幸いです。数十円の話ですが、私にとって皆様が本に出会うことのお役に立ったことを知る機会となり、励みになります。)

  

 

関連する本:

www.cocomichi.club

www.cocomichi.club

 

 関連記事:

note.cocomichi.club