スティーブ・ジョブズ I・IIの読書録、続きです。
前半(1)は、ジョブズの仕事スタイルを中心に感じたことを書きました。
後半は、ジョブズの人となりや、奇才はどんなところに現れるのかというところに焦点を移したいと思います。
テクノロジーとリベラルアーツが交わるところ
ジョブズのプレゼンにも出てくる、テクノロジー通りとリベラルアーツ通りの交差点を示す道路標識は、ジョブズの人生のテーマを表すものです。
「iPadのような製品をアップルが作れるのは、テクノロジーとリベラルアーツの交差点に立ちたいといつも考えているからだ」(II, p.350、ジョブズ自身の言葉)
芸術的な創造性に触れると元気になるのだ。それがテクノロジーと関係があればなおさらだった。(I, p.486)
創造性と技術が交わるところにジョブズの興味がある(I, p.475)
だからこそ、他にはないブランドになっていきます。
「テクノロジー業界で唯一、ライフスタイルブランドを生み出したのがスティーブなんだ。車ならポルシェやフェラーリ、プリウスなど、持っているだけで誇りが感じられる製品がある。運転する車には自分が反映されるからだ。アップル製品も、ユーザーからそのように思われている」(II, p.80、ラリー・エリクソンの言葉)
元々の着想は、ポラロイド創設者エドウィン・ランドの「文系と理系の交差点」「人文科学と自然科学の交差点」という話だとのことです。
「Liberal Arts」は、日本語に訳しにくい言葉だと感じているのですけれども、辞書では「分科、人文科学、文系、学芸、一般教養科目(専門科目に対して、哲学、歴史、文学、自然科学、語学など)」となっています。
どんなイノベーションも、人間性を置き去りにすれば、それは、美しさが失われていたり、直感的に受け入れ難かったりすると思います。
昨今のビジネスの世界では、専門性を磨く一方で、リベラルアーツの重要性に対する認識は高まっていると感じますが、ジョブズはそのムーブメントに大きく貢献した人でしょう。
このリベラルアーツの感性は、何かを学べばすぐに身につけられる類の知識やスキルとは異なり、様々なものに五感を通じて触れ、長い時間をかけて本人の中で熟成・統合・融合して現れるものと思います。これを養うには、知的好奇心を全開にして、自分自身で、直接、多様な本物に、出会い、触れ、読んでいくしかなく、ジョブズは人生を通じてこれに貪欲でした。
それはとても個人的な体験であり、だからこそ、他者には真似できないものになります。
マイクロソフトのビル・ゲイツとの対比がとても面白いと思いました。
(前略)彼らがやってきたことはすごいと思うし、それはそれで大変だったはずだと思う。マイクロソフトはビジネス面に優れていたけど、製品面で意欲的になることはなかったー本当はそうするべきだったんだけどね。
ビルは自分を”製品タイプ”の人間に見せたがったけど、本当はそんなタイプじゃなかった。彼はビジネスマンなんだ。彼にとっては、すごい製品を作るよりビジネスで勝つ方が大事だった。世界一の金持ちになったし、それが目的だったのなら達成できたわけだ。僕はそういう目的を持ったことはないし、それに、なんだかんだ言ってもビルもどうだったんだろうと思う。すごい会社を作った点は評価しているし、彼と仕事をするのは楽しかったよ。頭が良くて、ユーモアのセンスも意外にあるしね。でも、マイクロソフトのDNAに人間性やリベラルアーツはあったためしがない。マックを見ても、それを上手にコピーできなかった。本質がわからなかったんだ。(II, p.469-470、ジョブズ自身の言葉)
美意識について
リベラルアーツで磨かれる一つは美意識。
ジョブズは美しいものを讃え、積極的にそういうものに出会いに行きました。
「すばらしい芸術は美的感覚を拡大する。美的感覚の後追いをするんじゃない」(I, p. 269、自分のポルシェの素晴らしさについて、ジョブズの言葉)
日本をこよなく愛したのも、この美意識によるものです。いや、逆か。禅的なものを愛するから、日本的な美を理解する美意識が培われた、といえばいいでしょうか。
スティーブは禅と深くかかわり、大きな影響を受けています。ギリギリまでそぎ落としてミニマリスト的な美を追求するのも、厳しく絞り込んでゆく集中力も、皆、禅から来るものなのです」(I, p.97, リード大学時代の友人ダニエル・コトケの言葉)
直感や洞察を重視する仏教の教えにも強い影響を受けています。
「抽象的思考や論理的分析よりも直感的な理解や意識の方が重要だと、この頃に気づいたんだ」(I, p.97 大学時代を振り返っての本人の言葉)
これは本だけの知識ではなく、体験としても学んでいます。最初は、ロスアルトス近郊に鈴木俊隆老師を見つけ、禅センター拡大を要請し、その後は、知野弘文(乙川弘文、曹洞宗)氏による常設センターにて学んでいますし、結婚式も、ヨセミテ国立公園のアワニーロッジという洋式の場所ながら、知野弘文が執り行い、木魚をたたき、銅羅を鳴らし、香をたいてお経をあげたとか。(I, p.536-537)。
こんなに禅に傾倒しているとは知りませんでした。
そして完成されていくジョブズ自身のデザイン哲学は、レオナルド・ダ・ヴィンチのものとされるこの格言に言い表されます。
洗練を突きつめると簡潔になる(I, p.179、p.265)
Simplicity is the ultimate sophistication.
激詰めの議論と、果てしない試行錯誤の末、出来上がるものは、とてもシンプル。「シンプルに見える機能の一つひとつが、実は、クリエイティブなブレインストーミングの結果」(II, p.310) です。
もう一つ、大事にしているのが人間性。
アップル製品に感じる温かみ、触りたくなる感じ、ワクワク感、PIXERの映画に出てくる全てのキャラクターの愛らしさなどは、優れたマシーンを作る、優れたCG技術を駆使する、という感覚だけでは決して到達できないものです。
「形態は感情に従う」(I, p.277、アップルのデザインを請け負ったfrogdesign社のハルトムット・エスリンガーの言葉)
という言葉が読後も妙に残りました。
すごい人物同士は、繋がっている。人と人の繋がりがアイディアを形にする。
感性が高まっている人たち、意識レベルが高まっている人たちのところには、自然とそういう人が集まります。
私は、世界各地から天才的な芸術家が集まっていた1920年代のパリの話がとても好きなのですが、この本からも似たような感じを受けます。技術を抜きつ抜かれつ、盗んだり盗まれたり、というような競争や駆け引きになるのは芸術とはちょっと違いそうですけれども。
アップル創業時にアップルにいた人たちやその周辺にいた人たちは、 残った人も去った人も、それぞれにすごいキャリアを歩んでいます。あそこで活躍していた人が次はここに現れたり、ここで働いてた人が次はあちらで起業したり。ビル・ゲイツとは協働関係にあったり敵対したり。Google共同創業者のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンはジョブズがメンターをしてあげていたり、同社CEOのエリック・シュミットはアップルの取締役だったり(ゆえに、ジョブズはグーグルがアンドロイドで電話事業で対抗してきたことに、裏切られたと激怒するわけですが)。
物理的にもとても近いところにいて、数ブロック先に住んでいたりします。
何か新しい時代が生まれゆくとき、それは決して一人が起こしていくものではなく、そういう同じような意識の人たちが有機的に繋がっていて、色々なところで同時多発的に起こり、それがお互いにまた刺激しあうものなのだろうと思います。
日本のスタートアップの世界などもそうなのだろうと思いますし、私自身もコーチングや組織開発、リーダー育成の分野でもそれを感じます。こういう空間に端っこでも立ち会っていると感じることがあると、ゾクゾクとします。
そういう場に加わろうとする鍵があるとするなら、ジョブズから学べるそれは、興味があること・やってみたいことは、まず口にしてみて、すぐさま誰かに相談してみることでしょうか。ジョブズは人と会うための労を惜しみません。そうすると、その人が誰かを紹介してくれる。その誰かがまた別に誰かを紹介してくれる。遠方でも自宅でも会いに行く。そういう風にして、出会うべく人々が繋がっていく感じがあります。
時間が濃い。
こういう人たちの動きはとてもはやく、とても濃い。
職場や自宅、どこでもすぐにお互いを訪ねあい、その場から物事が動いていく。仮にすぐには何も起きなくても、そこから何かが始まっていたりする。
大企業では数年かかるだろう話が、数日で動く。
そういう時間の経過の仕方は、とても濃い感じが伝わってきます。え、これ1年以内の出来事なの?と。
本当に必要なことだけに集中しているから、1年で本当に大きく物事が進みます。
天才も、練習をする。
ジョブズのプレゼンテーションが天才的なのは、周知のこと。
「ジョブズのプレゼンテーションにはドーパミンを放出させる力がある」のだそうです。(II, p.131, 「スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン」カーマイン・ガロ氏著からの引用)
本人もそれが好きです。「すばらしいショーを展開するのは、すばらしい製品を生み出すのと同じくらいわくわくすること」です。(II, p.116)
この本で、ほー、と思いましたのは、こういうイベントの予行演習を、ジョブズがとても念入りにするという点。
あのプレゼンス、あの語り口。自然にそれができているのだと思っていたのですが、そうではなくて、何度も練習している。
天才や優れた人が自然体に見えるからといって、ぽっと出てきてその場で湧いてきた言葉を喋っているわけではない。
であるならば、凡人は、本当にもっとちゃんと準備しなくては、と我が身を反省しました。
むき出しの感情
インドに長期滞在したり日本にも何度も訪問するほどに仏教や禅に傾倒していながら、理解に苦しむのはその気性と対人関係。
ジョブズの性格はとても複雑。
感受性と無神経、短期と超然性が渾然一体となっている(I, p.56)
ジョブズが結婚したローリーンよりも愛していたという過去のパートナーであるティナ・レドセは、ジョブズについて後日、ジョブズが自己愛性パーソナリティ障害だったんだと納得したとも言っています(I, p.523)
感情の起伏はとても激しく、それを隠すこともしません。あるいは隠せないのかもしれません。
製品のデザインや製作、新製品発表イベントの企画・運営といった日常的なことから始まり、アップル社内で海賊チームとしてマッキントッシュ開発チームを旗揚げする対立、ジョブズがアップルを追放される時など大きな事象まで、ジョブズの周りでは、怒り、恨み、悲しみが入り乱れ、およそ普通の大企業では見ることがないだろう感情のぶつかり合いがあります。想像を超えるカオスだろうと思います。
その一方で、素晴らしい製品ができた時、無理だと思っていたことが実現できた時などは、本人はもちろん、周囲も、これ以上ないほどの歓喜です。
素晴らしいアイディアに触れた時、ー例えば、リー・クロウがThink Differentというアイディアを持ってきてくら時ーなどには、アップルへの愛に感動して涙も流しています。
また、一度は喧嘩別れした人たちも、その後にまたよりが戻ったりもしています。
ものすごく生々しい。生身の人間がそこに見えます。
一緒にいると疲れるかもしれません。
他方、感情はどんなものであれエネルギーです。
だとすると、怒りや悲しみがないところには歓喜もないのかもしれません。
なんでもスマートで受容的であることがよしとされつつあるこのご時世、表現が難しいですけれども、
対立や一歩踏み込んだ関わりからこそ生まれる何か、
怒りによってこそ気づく大事なもの、
悔しさからこそ生まれるエネルギー、
落ち込むことからこそ生まれる何かは、
確実にあると思います。
映画「セッション」を見たときにも同じようなことを思いました。
リーダーが全ての面で優れているとは限らない。全ての面が優れていなくても、すごいリーダーでありうる。
ビジョナリーであることと、人を動かすことに関して、ジョブズは神がかり的に長けています。
けれども、対人関係においては、相手を即座に天才か間抜けかに二分し、間抜けで何の役にも立たないと思えば、罵倒したり、貶したり、散々です。
本人の感情も不安定ですし、リーダーシップの理論などに照らせば、とても優秀なリーダーではありません。
彼の周りで傷つく人、悲しむ人は、沢山います。
その一方で、彼と共に仕事をすることを大きな喜びと感じる人たちも沢山います。
そして、現実に、彼は、素晴らしいものを世に沢山産み出しています。
ジョブズは誰に対してもniceであろうとすることよりも、彼の強い信念「素晴らしい製品をつくる」ということに狂人的にこだわり続けました。というか、本を読む限り、そこには、人間関係とどちらを取るかといった葛藤はなく、もう、そうせずにはいられない、そうしない理由などわからない、という人です。
教科書的に満点なリーダーを目指すのも一つの形ですが、欠けている部分を埋めようとしている間に失うものをもあるかもしれません。もしジョブズが、「すばらしい製品を作る」ことよりも、人間関係を優先していたら、私たちはMacも、iPhoneも手にすることはなかったかもしれません。
エキセントリックでいられるように自分の周りのに自分を補完する人を意識的に配置するのか、それとも、はなから自分がエキセントリックでいると自分を助けてくれる補完型の人が寄ってきてくれるのか。意外と後者なのかもしれない、と思ったりもします。明確なビジョンがある限りは。
なお、ジョブズは私生活では、もうここにはリーダーシップはないと言った方がいいかもしれません。23歳で生まれたリサは相当の間認知せず、その母親クリスアンとの関係はこじれにこじれています。ローリーン・パウエルと結婚するときも、その前に付き合っていたティナ・レドセとどちらと結婚すべきか迷い、自分でもどうしたいのかわからず、友達や知り合いにどちらがいいかを聞いて回ったりしたりしています。(I, p.532)
ひとりの人生は、いろんな人で支えられている。
完璧ではない、というか、ヒドイ人と言われてもおかしくないジョブズが、世界を舞台にクリエイティビティを発揮し続けてくることができたのには、彼と彼のビジョンを理解し、愛してくれ、自分に足りない部分を補ってくれた仲間やパートナーや家族の存在は欠かせないと思います。
(前略)あの人も、すべての面で非凡なわけではありません。例えば、他人の身になって考えるといった社会的スキルは持ち合わせていません。でも、人類に新たな力を与える、人類を前に進める、人類に適切なツールを提供するということを、あの人は心の底から大事にしています。(II, p.431, 妻ローリーン・パウエルの言葉)
そのサポートは、ジョブズの周りで傷つけられる人たちに対しても注がれます。
仕事では、ジョブズに散々罵倒されたりした人を、周囲が労わります。
プライベートでは、例えばジョブズがリサに冷たくても、ジョブズの友人たちや仕事仲間たちはリサを気にかけてあげているし、ローリーンもリサを支えようと努力し、学校行事もほとんどローリーンが出席しています。(I p.543)
こういうところ、つまり、ジョブズの仕事は仕事として尊敬するけれども、適切ではない態度をとっている部分では、ジョブズの機嫌や感情に右倣えするのではなく、周囲の個々人がそれぞれの倫理と良識に従って判断し行動しているのは、素晴らしいなと思います。
また、ジョブズが大きく落ち込んだりした時は、それまでの傲慢ぶりに関わらず純粋な支援を提供しています。
それらは、人間の不器用さ、人間らしさを理解しているからできることだと思いますし、ジョブズ自身もこういった周囲のサポートに大きく助けられたと思います。
あの日、あの時、あの場所で・・・
本書を読んでいると、いろいろな人の人生が絡みあい、いろいろな出来事が絡みあい、それぞれの人生が織り成されていくつながりと不思議さとを感じます。
あの時にあの場所であの人との出会いがあったから、その後の展開が起きる。
あの時にあの人から聞いた話が刺激となって着想が生まれる。
あのときの失敗が、のちの成功の種になる。
あのときの試行錯誤で見つけた技術の断片が、後々に花開く。
それは数々の製品やアップル社だけではなく、ジョブズという天才が生まれたのも、この数々の奇跡的な交差点によるのではないかとすら思えてしまうのです。
スティーブの実の母ジョアン・シーブルは、ウィスコンシン州の田舎で手広く事業展開をしていたドイツ系移民の父の元に生まれています。実の父アブドゥルファター・ジョン・ジャンダーリは、製油所なども展開するシリアの有力者の息子で、教育熱心な親の方針でアメリカに留学していました。
ウィスコンシン大学の大学院生同士で出会った二人が恋に落ち、大学院生時代に妊娠。ジョアンの父がこの二人の結婚に反対していたことから、スティーブが生まれた当時は結婚できず、ジョアンとジャンダーリはスティーブを養子に出すことにします。
当初予定していた引き取り先は弁護士一家。でも女の子を希望していたため破談となり、引き取ったのは、高校中退で機械工のポール・ジョブズと、会計事務職の真面目な母クララ。
スティーブが生まれたのは1955年2月24日。養子縁組が正式に決まったのは同じ年の7月頃、ジョアンの父が亡くなったのは8月。そしてジョアンとジャンダーリはその年の12月に結婚し、その後、スティーブの妹にあたるモナを授かっています。
スティーブは、育ての親から、機械工としての美学を学びます。彼が携わる製品で細部まで完璧さにこだわるのは、ポールの背中から学んだものです。
養子引き取りの条件として絶対に大学に行かせることという条件が設けられていたため、ポールとクララは、スティーブが大学に行きたくないと言っても無理にでも行かせましたし、スティーブが嫌がらせ的に選んだ高額なリード大学でも何とか費用を工面して本人が希望するところに行かせました。
また、ポールとクララは、スティーブが並外れて優秀であること、自分たちよりもはるかに頭が良いことに気づき、その部分をとても大切にしようとします。ある意味、学校教育よりも、スティーブのことを信じています。それは、二人が学歴としては高くないゆえに、スティーブの優秀さをまっすぐに認めることができたんではないか、と思ったりします。
実の両親に捨てられたことは確かに、スティーブの心に大きな傷を残すことになるのですが、
もしスティーブが生まれたのが半年後で、ジョアンの父が亡くなった後だったら。
もしスティーブが当初予定の弁護士の家に引き取られていたら。
もしポールの職場がパロアルトでなかったら。もしポールが家を構えたのがマウンテンビューでなかったら。
そうしたら、
父のガレージでエレクトロニクスにのめり込むことも、
リード大学でスピリチュアリティとリベラルアーツにはまることも、
リンゴ農園コミューンで過ごして社名の由来を得ることも、
カウンターカルチャーの反逆的なところや、Think Different的な発想を得ることも、
アップルの共同設立者であるスティーブ・ウォズニアックと出会うこともなかったのかもしれない、
そうしたら、
ジョブズが残した数々の功績を、今、私たちは享受できていなかったかもしれない、とも思うのです。
ジョブズの功績、人生について
どんな功績だったか。列挙すると改めてそのすごさを感じます。
享年56歳。アップルIの開発が20歳の頃(1975年)。36年という短い期間での出来事です。
リーダーには、全体像をうまく把握してイノベーションを進めるタイプと、細かな点を追求して進めるタイプがいる。ジョブズは両方を追求するー過激なほどに。そして、様々な業界を根底から変える製品を30年にわたって次々と生み出したのだ。
・アップルII ーウォズニアックの回路基板をベースに、マニア以外にも買えるはじめてのパーソナルコンピュータとした。
・マッキントッシュ ーホームコンピュータ革命を生み出し、グラフィカルユーザインターフェースを普及させた。
・『トイ・ストーリー』をはじめとするピクサーの人気映画 ーデジタル創作物という魔法を世界に広めた。
・アップルストア ーブランディングにおける店舗の役割を一新した。
・iPod ー音楽の消費方法を変えた。
・iTunesストア ー音楽業界を生まれ変わらせた。
・iPhone ー携帯電話を音楽や写真、動画、電子メール、ウェブが楽しめる機器に変えた。
・アップストア ー新しいコンテンツ制作産業を生み出した。
・iPad ータブレットコンピューティングを普及させ、デジタル版の新聞、雑誌、書籍、ビデオのプラットフォームを提供した。
・iCloud ーコンピュータをコンテンツ管理の中心的存在から外し、あらゆる機器をシームレスに同期可能とした。
・アップル ークリエイティブな形で想像力がはぐくまれ、応用され、実現される場所であり、世界一の価値を持つ会社となった。ジョブズ自身も最高・最大の作品と考えている。(II p.465-466)
なぜこうも次々と生み出せるのか。
そのヒントは、やはりあの有名なスタンフォード大学でのスピーチの中に見えるような気がします。
人生を左右する分かれ道を選ぶとき、一番頼りになるのは、いつかは死ぬ身だと知っていることだと私は思います。ほとんどのことがー周囲の期待、プライド、ばつの悪い思いや失敗の恐怖などーそういうものがすべて、死に直面するとどこかに行ってしまい、本当に大事なことだけが残るからです。自分はいつか死ぬという意識があれば、何かを失うと心配する落とし穴にはまらずにすむのです。人とは脆弱なものです。自分の心に従わない理由などありません。(II, p.288、スタンフォード大学のスピーチより)
Stay hungry, Stay foolish.
そう、ありたいと思います。
* * *
ほんとに、濃い本でした。ボリュームも、内容も。
本書がここまで面白い本になっているのは、ジョブズ本人の人生がイノベーティブなものであることはもちろんですが、著者の取材力、この複雑で密度の濃い人生をわかりやすく表現する文章力と構成力と、加えて、読みやすい翻訳のおかげと思います。
著者の他の本も読んでみたくなりました。
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