実家の本棚から拝借してきた本。
「バカと無知―人間、この不都合な生きもの」(橘玲 著、新潮新書、2022年10月初版)
読みながら、「はぁ〜〜」とため息をついてしまう本。
そう、人間って、こういうところ、あるよねぇ、と、認めざるを得ない。もちろん自分自身も含めて。
副題の「人間、この不都合な生きもの」が、ピッタリだと思います。
差別すべきでない。
人としての価値は皆同じ。
誰だって失敗する。失敗して人は学ぶ。
頭では、多くの人が理解している。
けれども、日頃、誰もが、本当に差別や偏見が皆無で万人に同じ態度で接し、人の失敗にも寛容であるかと言えば、全くそうでないのが現実の社会。
頭で考えていることと実際の行動は別。
総論と各論は別。
なんでそうなっちゃうのか。
いろいろな研究の引用などからそれを解説してくれている1冊です。
民主主義が本当に良いのか。
本当に共同体があるのがいいのか。
世の中で「良い」とされていることにも、疑問を投げかけます。
後半の
「偏見をもつな」という教育が偏見を強める(p.220-225)
共同体のあたたかさは排除から生まれる(p.226-231)
「愛は世界を救う」のではなく、「愛」を強調すると世界はより分断される」(p.237)
あたりは、本当にそうだなぁと思いながら読みました。
美しい世界が好きな人にはちょっと読みづらいかもしれません。
でも、変化を欲するなら、不本意な現実を直視することもまた必要です。
コーチングでも、自分の弱さや醜さを認めて受け容れることができると、何かが溶けて、その人は次のステージへのシフトが始まります。
逆に、自分にはそんな醜い部分はない、と頑なに否定している(受容していない)状況だと、そこで停滞してしまいます。
本書の正しい読み方は、「人間ってこういうところあるよなぁ」とか、「あの人ってこうだよなぁ」で留めるのではなく、
「自分ってこういうところあるよなぁ、あったよなぁ」「自分って不都合な生きものだよなぁ」と感じながら読むことかもしれません。
以下は、私が覚えておきたい備忘録。
脳の基本的な仕様は、「被害」を極端に過大評価し、「加害」を極端に過小評価するようになっている。被害の記憶はものすごく重要だが、加害の記憶にはなんの価値もない。これが人間関係から国と国との「歴史問題」まで、事態を紛糾させる原因になっている。(p.21)
進化の大半を占める旧石器時代には、人類は30〜50人程度の小集団(バンド)で狩猟・採集生活を送り、150人を上限とする(誰もが顔見知りの)共同体(クラン)のなかで暮らしていた。こうした共同体がいくつか集まったのが最大で1500人ほどの部族(トライブ)で、この同族集団のなかで婚姻を行なっていたようだ。
ヒトはアリと同じく、集団では大きなちからを発揮するが、一人ではきわめて脆弱だ。共同体から排除されることは、ただちに死を意味した。
だったら、いつも集団の最後尾にしがみついていればいいかというと、これもうまくいかない。ライバルと優劣を競い、すこしでも序列を上げないと性愛を獲得できないのだ。
このようにしてわたしたちの祖先は、深刻なトレードオフに直面することになった。
①目立ちすぎて反感を買うと共同体から放逐されて死んでしまう。
②目立たないと性愛のパートナーを獲得できず、子孫を残せない。
わたしたちはみな、なんらかのかたちでこの難問をクリアした者の子孫なのだ。(p.23)
近年の脳科学では、「(自分より下位の者と比べる)下方比較」では報酬を感じる脳の部分が、「(上位の者と比べる)上方比較」では損失を感じる脳の部位が活性化することがわかった。脳にとっては、「劣った者」は報酬で、「優れた者」は損失なのだ。(p.26)
ネットニュースでいちばんアクセスを集めるのは「芸能人と正義の話題」だという。メディアが「こんなことが許されるでしょうか」といつも騒いでいるのも、SNSで不道徳なものがさらし者にされるのも、現代社会にとって正義が最大の「娯楽(エンタテインメント)」だからだ。(p.26)
徹底的に社会的な動物であるヒトは、自分が批判されることを過度に警戒すると同時に、集団からの逸脱行為をつねに監視し、自分より上位の者がそれを行うと、「正義」の名の下に寄ってたかって叩きのめす。それと同時に、劣った者に対しては、自分の優位を誇示する(マウントする)ように進化したのだろう。
気に入らないかもしれないが、私もあなたも、こうやって生き延びて子孫を残した祖先の末裔なのだ。(p.27)
「バカの問題は、自分がバカであることに気づいていないことだ」
自分の能力についての客観的な事実を提示されても、バカはその事実を正しく理解できないので(なぜならバカだから)自分の評価を修正しないばかりか、ますます自分の能力に自信を持つようになる。まさに「バカにつける薬はない」のだ。
ここまで読んで、あなたは「バカってどうしようもないなあ」と嗤ったにちがいない。だがダニング=クルーガー効果では、バカは原理的に自分がバカだと知ることはできない。私も、そしてあなたも。(p.47、心理学者デビット・ダニングとジャスティン・クルーガーの研究について)
社会心理学では、わたしたちは固有の「自尊心メーター」をもっていると考える。このメーターの針が上がると幸福感を覚え、針が下がるとものすごい音でアラーム(危険信号)が鳴る。
自尊心というのは、要するに他者の評価のことだ。ヒトは徹底的に社会的な動物なので、他者からの評価が自尊心や自己肯定感と結びつくように「設計」されている。
その一方で、わたしたちは、自尊心が下がることを、殴られたり蹴られたりするのと同じように感じるらしい。脳は感覚器官からの入力を処理するだけなので、ナイフで刺されることと、面とむかって批判されること(いまならSNSで炎上すること)を区別できないのだ。
ヒトは数百万年かけて、どんなことをしてでも自尊心を高く保つ一方、自己肯定感が下がる事態を死にものぐるいで避けるように進化してきた。
相手との会話で自分の能力を(無意識に)過大評価するのは、暴力から身を守るのと同じで、きわめて自然な反応だ。それに対して、会話なしの条件では自尊心は脅威にさらされないので、自信のなさを正直に伝え、より自信がある者に合わせることができるのだろう。
ここからわかるのは、話し合いのときに、一部のメンバーの自尊心を脅かすと、決定の質が大きく下がることだ。なぜならそのメンバーは、傷ついた自尊心を回復するためになりふりかまわなくなるからだ。(p.63-64)
いったん自尊心への脅威だと見なすと、脳はただちに「攻撃モード」になるので、相手の言葉に耳を貸そうとはしない。この時点で、もはや熟議も説得も不可能になっている。(p.73)
自尊心というのは、そのひと固有のパーソナリティというよりも、他者との関係性で決まるものだ。相手に対して圧倒的に優位なら、自尊心が傷つけられることはない。(p.99)
日本では高い偏差値ばかりが注目されるが、人口のおよそ6人に1人は偏差値40以下だ。だがこのひとたちは、高度化する知識社会の中で「見えない存在」にされている。
問題は、知識社会が(無意識のうちに)ひとびとの知能を高く見積もっていることだろう。(p.83)
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