ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」

京大のファン、山極教授のファン、表紙が可愛い、ということで、目次も読まずにジャケ買いした本。

ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」」(山極寿一 著、2018年4月初版、毎日新聞出版)

ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」 (毎日新聞出版)

 

山極教授を最初に知ったのは、もうだいぶ前の何かの雑誌のインタビュー記事。

ゴリラの研究をしているという、そのお話がとても面白くて引き込まれました。

セミナーでお話ししているのを拝聴した時も、記事から感じていたことを裏切らない、気さくな方でした。

 

野生のゴリラの中にも入り込んでいける方。

ゴリラ視点から見ると、人間には奇妙なことがいろいろ。

例えば、こんなふうに。

仲間を見つめるゴリラ、スマホを見つめる人間(p.65)

メスたちがオスの後についていかないことがある。よく見知った場所であまり危険がないことがわかっているようなときは、メスたちは思い思いの方向に歩きだす。そして互いにブウブウという低い声でうなる。その声が多いほうにだんだんと集まり、やがてまとまって一斉に歩きだすのである。リーダーは不要でもひとりで行動するのは怖い。そこで声を交わし合って希望の多い方向へ同調するのだ。これがゴリラのデモクラシーである。(p.147)

問題はそのリーダーたちである。ゴリラのリーダーはメスや子どもたちに置いてきぼりにされれば、あわててその後を追う。いくら威張っていても、群れの仲間がついてきてくれなければリーダーとしての役割を発揮することができないからである。でも日本のリーダーたちは後ろをふり返らない。ゴリラのおすのようにドラミングをして虚勢を張るのはうまいが、みんなが違う方向へ歩い始めても頑として方針を変えない。みんなの声に耳を傾けているとはとても思えない。(p.149)

 

そして、山極教授ご自身のフィロソフィーも混じります。

人間が心地よく思索にふけるためには、自然の中をひとりで歩くのが一番だ。目に映る自然のたたずまいや虫や鳥の声は、ひとりで思索を練ることを可能にしてくれながら、孤独を感じさせない。都市の街並みを遠望できる立ち位置は、人間の営為を少し離れて眺めようとする境地をもたらす。歩くたびに聞こえてくる自然の音や声は、虫や鳥になって世界を見つめる感性を開いてくれる。

 歩く速度も考えるのにちょうどいい。人間は約700万年前にチンパンジーとの共通祖先と分かれてから、最初に直立二足歩行という人間独自の特徴を身につけた。これは、時速4キロぐらいの速度で長い距離を歩くときにエネルギー効率がいい。(p.130、ハイデルベルクと京都の「哲学の道」に共通することについて)

個人に一つの能力だけを期待し、それを果たせない人々を見捨てようとする社会は生きづらいし、創造の精神は発揮できない。(p.136)

 

ちなみに、ゴリラ(類人猿)とサルは全く違う、ということも、先生の本や記事を読んでくとわかります。

 


この常識に縛られない方が京都大学の第26代総長を務められるというところに、京大という場所の面白さというか、懐の深さを感じてしまいます。

私が京大の雰囲気をなんとなく知ったのは、社会人になってからでしたが、出会う人たちに何か共通して感じていたのは、ちょっと変わってる(いい意味で)、あまり動じない、マイペース、面白い、など。

なんでそうなるのかなぁと思っていたのですが、この本の中から学風が垣間見えて、なるほどと、感じてきたことがつながった気がしました。

私が学んだ京都大学には、「京大生は群れない」という学風がある。これは「集まらない」という意味ではない。京都大学には「対話を根幹とした自由の学風」という伝統もあるからだ。つまり「群れない」とは「他者と安易に迎合しない」という意味であり、対話を通じて他者の意見をよく聞きつつも、自他の意見の相違を自由に展開するという精神なのである。異なる考えを乗り越えてこそ新しい発見を成しとげる道が開けるし、それをともに行った同志ができる。それが健全な学術のあり方であり、科学の進む道なのである。自分の考えを紡ぎ、他者と意見を戦わすことにおいては孤独に耐えなければならないが、ともに新しい世界を切り開くことでは生涯のともを得る。そういう胸躍る世界を経験してほしいのだ。(p.93)

 

大学はジャングル、すなわち熱帯雨林に似ている。ジャングルは地上で最も生物多様性の高い生態系であり、常に新しい種が生まれている。大学も社会で最も多様な知性がすむ場所であり、常に新しい種が生まれている。そして、ジャングルと同じように、研究者たちはそれぞれの分野のことは熟知しているが、他の学問分野の研究者が何をしているかはよく知らない。それでもお互いが共存できるのは、ジャングルと同じように大学が許容生の高い場所だからである。

 しかし、ジャングルと同じように大学は外の世界から完全に自立しているわけではない。ジャングルが維持されるためには豊かな太陽光と水が必要だ。大学もそれに匹敵する社会の支持と資金が必要なのである。そして、ジャングルが閉鎖系ではなく、動物たちが絶え間なく外の世界と行き来をくり返すように、大学も研究者や学生たちが出入りし、また新しく入れかわる。恒常的に新陳代謝を繰り返しながら、その歴史に基づいて不変の特徴を保っている。

 だから、大学をジャングル、つまり多様性と創造性の高い場所と心得ればいい。さらに、伝統を守りながら社会や世界との積極的な交流を通じて、大学の魅力を高めていけばいい。(中略)

 そこで、私は「大学は窓」という目標を掲げることにした。今までいわれてきたような「門」によって閉ざされた場所ではなく、窓をいくつも開けて風通しをよくしようと考えたのである。ジャングルと同じように、大学には猛獣たちが闊歩している。何しろ世界一になろうとしている研究者や学生ばかりなのだから、それはむしろ歓迎すべきことだ。しかも、私はジャングルの王者であるゴリラとつき合いなれている。ゴリラの群れのなかに入っていけたんだから、大学の猛獣たちともうまくつき合えるようになるだろう。(p.201-203)

 

教授が学んだ霊長類学(サルや類人猿の観察を通して人間を知るという学問)は、京都大学が発祥である、というのは本書で知りました。また、「欧米には野生の霊長類が生息していない」ことや、「動物と人間を連続的に捉える見方が、キリスト教圏では育ちにくかった」こと、「日本の霊長類学はすべての生物に社会があるという、欧米思想ではとても受け入れられない考え方をもとにしてはじまった、ということなどは、本書で初めて知りました。(p.126-127)

 

大学だけじゃなくて、人間社会全体もジャングルやサバンナと捉えてみたら、私たちはもっと多様なものに寛容でいられるかもしれません。いろんな動物たちがいそうです。

 

山極教授の試み:

京大野帳:https://u-coop-shop.net/item-detail/1117650 (新しい総長グッズを作ろう!プロジェクトより。京大というキャンパスをフィールドワークするための手帳)

京大おもろトーク:京大Webページ/YouTubeから視聴可。https://ocw.kyoto-u.ac.jp/course/

京大変人講座:KBS京都ラジオで配信したものを、Spotifyで独占配信。

京大変人講座 | Podcast on Spotify

京都アカデミアフォーラム:http://www.kyoto-af.jp/

 

この本は、こんな人が書いています。

coaching.cocomichi.club

 

お気に召す記事がありましたら、ぜひシェア頂ければ嬉しいです。また、もしこのブログを読んで、ここで紹介されている本を購入しようと思われた際は、ここみち書店、もしくは、このブログ内のamazonへのリンクを経由して購入頂けると幸いです。私にとって皆様が本に出会うことのお役に立ったことを知る機会となり、励みになります。

 

 

山極教授、その他の本:

 

 

中に出てくる本: