ハリー・ポッターシリーズ、第3巻。
アズカバンに収監されていた囚人シリウス・ブラックの脱獄のニュースから始まる物語。
第2巻までに編み込まれていた文脈が徐々につながってくるのも感じられ、より立体的にハリポタの世界観を感じられた1冊。立ち向かうべきものも、私たちの日常ともつながりやすく感じ、引き込まれました。
「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」(ハリー・ポッターとアズカバンの囚人、J・K・ローリング著、松岡祐子訳、静山社、2001年7月初版)
ネタバレの可能性があるので、未読の方は、以下は読まないことをお勧めします。(引用ページは単行本です)
アズカバンにいる吸魂鬼(ディメンター)という設定などは、今の私たちの人間社会に照らしても、こういうことってある!こういう人っている!と思ったりもしました。
「吸魂鬼(ディメンター)は地上を歩く生物の中でももっとも忌まわしい生物の一つだ。もっとも暗く、もっとも穢れた場所にはびこり、凋落と絶望の中に栄え、平和や希望、幸福を周りの空気から吸い取ってしまう。マグル(=魔法使いではない普通の人間)でさえ、吸魂鬼の姿を見ることはできなくても、その存在は感じ取る。吸魂鬼に近づき過ぎると、楽しい気分も幸福な思い出も、一かけらも残さず吸い取られてしまう。やろうと思えば、吸魂鬼は相手を貪り続け、しまいには吸魂鬼自身と同じ状態にしてしまうことができるーーー邪悪な魂の抜け殻にね。心に最悪の経験だけしか残らない経験だ」(ルーピン先生、p.243)
吸魂鬼が現れた理由について
「飢えてきたんだ」(中略)
「ダンブルドアがやつらを校内に入れなかったので、餌食にする人間という獲物が枯渇してしまった...クィディッチ競技場に集まる大観衆という魅力に抗しきれなかったのだろう。あの大興奮...感情の高まり...やつらにとってはご馳走だ」(ルーピン先生、p.243)
アズカバンの場所について
「海のかなたの孤島に立つ要塞だ。しかし、囚人を閉じ込めておくには、周囲が海でなくとも、壁がなくてもいい。一かけらの楽しさも感じることができず、みんな自分の心の中に閉じ込められているのだから。数週間も入っていればほとんどみな気が狂う」(ルーピン先生、p.243-244)
吸魂鬼について
「(前略)二、三百人もあそこのぶち込まれていりゃ、連中はそれでええ。そいつらにしゃぶりついて、幸福ちゅうもんを全部吸い出してさえいりゃ、誰が有罪で、誰が無罪かなんて、連中にとってはどっちでもええ」(ハグリッド、p.287)
吸魂鬼にキスをされたら
「餌食の魂を吸い取る。(中略)魂がなくても生きられる。脳や心臓がまだ動いていればね。しかし、もはや自分が誰なのかわからない。記憶もない、まったく...なんにもない。回復の見込みもない。ただーーー存在するだけだ。空っぽの抜け殻となって。魂は永遠に戻らず...失われる。(ルーピン先生、p.321)
第3巻で素晴らしいストーリーと描写だなと思ったのは、ハリー自身の中に起きている葛藤でした。1巻、2巻の時よりもたくましくなっているけれど、まだ13歳。その辺りがとてもリアルに書かれているなと。
また母さんの声が、いまにも聞こえるかもしれない...いまは考えてはいけない、さもないとどうしてもまたあの声が聞こえてしまう。聞きたくない...それとも、聞きたいのだろうか?(p.310)
頭の中で、両親の最後の瞬間の声がくり返されるのは、たしかに恐ろしいが、幼いころから一度も両親の声を聞いたことがないハリーには、このときだけが声を聞けるチャンスなのだ。しかし、また両親の声を聞きたいと心のどこかで思っていたのでは、決してちゃんとした守護霊(パトローナス)を造り出すことなどできない...。(p.316)
ハリーは自分自身に腹が立った。両親の声をまた聞きたいと密かに願っていることを恥じていたのだ。(p.319)
前巻以上に、自ら選択していく姿が印象的でした。
そして、やっぱりダンブルドア校長の言葉が響きます。すっかりファンです。
「我々の因果というものは、常に複雑で、多様なものじゃ。だから、未来を予測するというのは、まさに難しいことなのじゃよ...。」(p.557)
「愛する人が死んだ時、その人は永久に我々のそばを離れると、そう思うかね? 大変な状況にあるとき、いつもに増して鮮明に、その人たちのことを思い出しはせんかね? 君の父君は君の中に生きておられるのじゃ、ハリー。そして、君がほんとうに父親を必要とするときに、もっともはっきりとその姿を顕すのじゃ。
(中略)
そうじゃよ、ハリー、君は昨夜、父君に会ったのじゃ...君の中に、父君を見つけたのじゃよ」(p.558-559)
次の4巻目からは、単行本1巻につき上巻&下巻というボリュームで、ちょっとおののいております。(文庫本だともっと多いかも?)
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