ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

最強の女 ニーチェ、サン=テグジュぺリ、ダリ・・・天才たちを虜にした5人の女神(ミューズ)

面白すぎました。

先日、bunkamuraで開催されていたマン・レイ展に行った際、館内のミュージアム・ショップで出会った本です。

最強の女 ニーチェ、サン=テグジュぺリ、ダリ・・・天才たちを虜にした5人の女神(ミューズ)」(鹿島茂 氏 著、祥伝社、2017年10月初版)

 

最強の女  ニーチェ、サン=テグジュぺリ、ダリ・・・天才たちを虜にした5人の女神(ミューズ)

 

芸術作品に触れるとき、私のクセとして、作品そのもの以上に、

その人の一生はどんな人生だったのだろうか?

どんな時代に生きたのだろうか?

どんな人たちと交流していたのだろうか?

というところに関心が向きます。

 

今回のマン・レイ展は、そういう意味ではいろんな点で私の興味を満たしてくれました。

というのも、彼は、基本、自分の友人や彼女・妻をモデルとして写真を撮っていたので。

ピカソ、ジャン・コクトー、ダリ、シャネルなどなど、錚々たる顔ぶれが写真展の中にいました。

 

そうやって眺めた写真に登場していた2人の女性(リー・ミラーとガラ)が、この本に取り上げられていたので、買ってみました。

この2人を含む計5人の、最強の女。

確かに最強だった。

こんなのあり???と、凡人の私の理解や想像の範囲をはるかに超えていて、読みながら目がくるくるしました。

 

もし今、

子どもを家に残して、自分だけ女友達と旅行に行ってもいいのかしら?とか、

家事も十分にできていないのに、仕事をしても大丈夫かしら?とか、

夫以外の男友達と食事に出かけてもよいのかしら?

などということに悩んでいる方がいらしたら、

この本を読んだら、あっという間にそんな悩みは吹き飛ぶんじゃないかと思います。

そんなの、罪悪感を感じるレベルの話ではない、と。

 

前置きが長くなりましたが、本書の内容をご紹介。

 

まず、「最強の女」とはどういうことか。

 現代的な基準だったら、案外、簡単である。美人で、スタイルがよくて、聡明で、仕事がバリバリできてetc.いろいろあるだろうが、私に言わせると、こういった現代的な条件には何かが決定的に欠けている。

 こう書くと、必ず次のような答えが出てくるはずだ。「わかった。男からモテなければいけない、でしょう」

 そう、確かにそれはそうなのだが、私の考えでは、「男からモテる」だけでは「最強の女」とは言えない。(中略)価値があるのはその時代の最高の男にモテることである。それも、一人だけであってはいけない。その時代最高の複数の男たちから言い寄られ、しかも、そのうちの何人かとは深い関係になっていなくてはならないということだ。

 すなわち、女の価値は、深い関係になった男たちの価値の「総和」による、という観点を導入してみたいのである。(中略)

 もちろん、フェミニズム的観点からは、こうした価値の測り方それ自体が男性至上主義によるものだと非難されるかもしれない。(中略)

 確かに、それも一理ある。とりわけ、近い未来において女が完全に男と同権となり、同じように現実に立ち向かうような時代が来たのなら、この価値観の方が正しいということになるだろう。

 だが、男性至上主義がまかり通っていた過去においてはそうはいかない。というのも、そうした過去においては女の価値は「受け身」を前提に測られていたからである。「自己主張しない」ことにプラス・ポイントが置かれていた点では、日本も欧米も変わりはない。女性は、結婚前も後も、「家庭の天使」として父親や夫を支えるのが理想だとされた。女性の自由が比較的許されていたフランスにおいてさえ、自らの意志において多くの男性と交際した女性は淫婦扱いされた。

 ところが、そうした風潮の真っ只中にあって、こうした価値観を断固として認めず、「わたしは付き合いたい男と付き合うの。そのことでだれからも文句わ言わせないの」とばかりに、多くの男たちと交際し、そのなかから自分のお眼鏡にかなった選りすぐりのエリートだけを恋人・愛人、ないしは夫とした超例外的な女性が現実にいたのである。(中略)

(中略)

 と言っても、彼女たちは娼婦では決してない。「付き合った男たちの価値」を取り去ったとしても、言いかえると、彼女たちはいっさい男たちと付き合わなかったとしても十分に価値のある女、つまり、現代的な観点から見た場合にも、偉大な業績を残した価値ある女たちなのだ。

 ひとことで言えば、彼女たちは、自らの価値において自立しているばかりではなく、その価値に惚れ込んで次々に言い寄ってきた男たちの価値においても卓越している二重の意味でのスーパー・ウーマン、ようするに「最強の女」なのである。(p.3-5)

 

この定義にはいろいろご意見あると思います。

この本が出てから数年の間にも女性に対する世の中の見方・考え方もさらに変わりつつありますし。

一方、そうでない時代が過去にあったのも事実。

そんな中で最強に生きた女性たちがいるならその人生を垣間見てみたいと思うのは、きっと私だけではないでしょう。

 

その女たちはこの5人。帯の言葉を借りてご紹介。

 

ルイーズ・ド・ヴィルモラン(Louise de Vilomorin, 1902-1969, 享年67)

サン=テグジュペリ(「星の王子さま」の著者)、アンドレ・マルロー、ジャン・コクトー他を虜にした20世紀前半の最強のミューズ。

 

リー・ミラー(Lee Miller, 1907- 1977, 享年70)

モデル、写真家、戦場カメラマン、料理家と自己実現しつつ、マン・レイから大富豪まで手に入れた女。

 

ルー・ザロメ(Lou Andreas-Salome, 1861 - 1937,  享年76)

「二大巨人」ニーチェとフロイト、「最高の詩人」リルケの心を捉えた才女。

 

マリ・ド・エレディア(Marie de Heredia,1875 - 1963, 享年87)

パリのサロンで名声を博し、詩人たちの心をつかみ、自身も詩人・作家として一世を風靡。ペンネームはジェラール・ドゥヴィル(Gérard d'Houville) 。

 

ガラ(Gala, 1894 - 1982年, 享年87)

シュールレアリスムの三巨頭、ポール・エリュアール、マックス・エルンスト、サルバドール・ダリに火をつけた女。

 


結婚して6人の子供を産んだ後は、自分の義務は果たしたとばかりに何人も、しかも「最高の男」を、誘惑し愛人とするルイーズがいるかと思えば、

 

写真家としての自分を育ててくれたマン・レイと大恋愛をするも、その彼を捨ててエジプトの大富豪と結婚し、さらに夫をカイロに置いて魅力的な男たちと砂漠の冒険旅行に出かけるリーがいて(そして離婚するに至るも、元夫から多額の資金をもらえていることにも驚愕)、

 

夫に対しては一生涯絶対に体を許さず(フランス語で「白い結婚、マリアージュ・ブラン」と言うそうです)、夫には、同居する家政婦を代理妻として持たせて家事も子づくりも育児もそちらに任せ、一方で、自分は別の相手と肉体関係を持つルーのような人もいて、

 

夫の友人と愛人関係になり、夫もそれを知っているのに3人で旅行に出るわ、その友人との間にできた子どもを、離婚もすることなく出産してしまうマリ、

 

さらには、 夫(エリュアール)と、その友人夫妻(エルンスト夫妻)と一緒に旅行に来ているのに、その旅先でエルンストと熱愛関係になってしまったり、夫が新進気鋭の画家・ダリを訪ねるスペイン旅行に同行し、深い仲になるや、フランスに帰らず、スペインに残り続ける(そして結婚することとなる)ガラ、

 

など。
こんなのは、彼女たちのストーリーのごくごく一部。

 

読み進めるたびに、「え〜〜〜?」と何度も声を出してしまいました。

いや、ほんと、何でもありですねと。

もうよくわからなくて笑ってしまうところもありました。

 

彼女たちの最強っぷりもすごいのですが、

「それでもいい」という男性もいる、というところもまた驚きで、

自分の妻が、他の男と暮らすことを容認したり、何故かその部屋まで用意してあげたり、

自分の妻を、他の男と共有することをむしろ望んだり、

妻に他の男ができたのが離婚理由だとしても慰謝料を支払ったり、大金を渡して送り出したり、

ここに登場する男性陣の心の内はどんなものだったのだろうか?と、そちらからの目線でも話を聴いてみたくなるし、

男性の読者にも、一体、これはどういう心理なのだろう?と感想を聞いてみたいところです。

 

 

現実は小説より奇なり。

現実を生きた人の人生は、映画や小説よりも興味深い。

もちろん、この本も、自伝でもないし、直接本人と話して書いたことでもないので、あくまで一側面から見た話でしかない、登場した男性陣にあの世で話を聴くことが叶うならばまたきっと違う絵が浮かんでくるに違いない、ということは理解している必要がある上で。

 

  

鹿島茂さんの本は初めて読みましたが、文体もテンポもユーモアも、とても好きでした。

この本を男性が書いているところがいいなとも思いました。

よくここまで女の気持ちがわかりますね、と。

いや、むしろ女自身だと、そこまで客観的になれなかったり、女にそんな気持ちがあることは認められなかったり、葛藤があったりで、こんなにも淡々と容赦無く心理を描写できないかもしれません。

人間の抱える複雑さ、矛盾をここまでキレのある言葉で言い抜いてもらって、もはや清々しいです。

フランス文学を専門とする方々は、どうして皆さん、こうも面白いのでしょうか。

 

欲を言えば、もっと写真があると嬉しいなと。

何か写真を見て書かれているだろう文章が多数あるのですが、それが見れないのはちょっと残念でした。

 

 

マン・レイと女性たちは9月6日まで。渋谷・bunkamuraにて。

アメリカ出身の彼が活躍した1920年代のパリは、タイムマシンがあれば是非行ってみたい時代と場所です。

www.bunkamura.co.jp

 

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