ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

ピカソの言葉 勝つためでなく、負けないために闘う

大好きな、山口路子さんの著名人の言葉シリーズ。

ピカソの言葉~勝つためでなく、負けないために闘う」(山口路子 著、2023年4月初版、だいわ文庫)

 

ピカソの言葉~勝つためでなく、負けないために闘う (だいわ文庫)

 

いつもは「読むだけで美しくなる言葉」シリーズで女性を取り上げていらっしゃるのに、珍しいなと思って手に取りました。

今回の作品について、著者ご本人の言葉ではこんなふうに書かれています。

  私には「いつか書きたい人」リストがあります。(中略)古くからリストにあり、なかなかリストから消えなかったのがピカソです。

 (中略) ああ、もっと、ピカソという人のことを、そのユニークさを、魅力を、絵画鑑賞を趣味としない人にも伝えたい、と思った時、私のなかにピカソが宿ったのかもしれず、とすればもう三十年間、いつか書きたい、と思っていたことになります。

 私の執筆のテーマのひとつに「芸術家とミューズの関係」があります。(中略)ミューズの役割は画家と同じくらい重要なのではないか。これまでさまざまな場でそんなことを言ったり、書いたりしてきました。ミューズというと、画家の従属物的な存在、受け身の女性性そのもののように捉える人もいますが、私は違って、ミューズの存在はひそかに能動的積極的に、とても強いと思っています。
 女性が変わるたびに画風を変えたピカソは、画家とミューズという視点からも私にとって特別に興味深い存在であり続けているのです。(p.247-248、おわりに)

 

読むにつれ、ピカソという人物が見事に浮かび上がります。

圧倒的な天才

他者からも、自らも、もはや生まれながらに類稀な天才なのだと認める存在。

画力、作品量、注ぐ時間とエネルギー。何もかもが他を圧倒している。

そして、経済的にも、名誉的にも、存命中に大成功している。

 美術史上ピカソほど生前にお金を稼いだ画家はいません。
「わたしがふれるものすべてが黄金になる」と言っていますが、これはほんとうで、たとえばレストランでナプキンにちょっと落書きをするだけで大人数の食事代が支払えたし、数日で描き上げた絵で家を買うこともできたし、ある本にちょこっとデッサンを描けば、その本はその瞬間、高価な美術品となったのです。(p.7, はじめに)


それでいてもなお、描き続ける。

なぜなら、ピカソにとって、描くとは、生きることそのものだから。

 有名になりすぎるほど有名になって、計算不能なほどの富を得ても、ピカソはとにかく描き続けました。
 美術史上ピカソほど多くの作品を創作した画家もいません。約13,500点の絵とデッサン、それ以外の版画や彫刻、陶器は約13万点。もっとも多作な画家としてギネスに認定されています (p.7、はじめに)

 

素晴らしい言葉もたくさん残しました。

「探すのではない。発見するのだ」(p.28)

あらかじめのゴールや対象はなく、いままで知らなかったことを知ること、見えなかったものが見えることが大事だという、有名な言葉。

「何も見えないときには、黒を塗れ」(p.44)

真実を描けというメッセージ。

 

「創りなさい。続けなさい。」(p.106)

愛人の一人ラポルトがピカソにもらった唯一のアドバイス。

 

「作品よりも作家本人の生き方が重要」(p.241)
「問題はその人間が何者なのかということ、重要なのはその人間のドラマだ。」(p.240)

 

「昨日、絵を描いたよ。何かをつかんだような気がする。これまでとは違ったものだ。」(p.232)

90歳で亡くなる9ヶ月前に、訪れた友人にいった言葉。死ぬまで絵と格闘し、自己探究し続けたことが伝わります。

 

描く意味

生前から成功していたのは、ただ描きたいものを描きたいように描いていたわけではないのだろうと感じました。

届けたいメッセージがあって、それが届くための工夫をしている。稼ぐことや健康に気をつかっていたのも、その工夫に入ると思います。

この部分は私にとっては、本書のハイライトでした。

「わたしは「恵まれた少数の人々」のために絵を描こうとしたことがない。
画家の使命は、ふだん絵を見ない人々のなかにも何かを呼び覚ますことだ。
わたしは、わたしの絵を観る人に、わたしなしでは発見できなかった何かを発見させたい。」

(中略)

「人はすでに知っていることだけを知ることができる。......だから新しいことを伝えたいときには彼らが知っているものもそこに入れるんだ。すると、おぼろげながらにも何かが見えてきて、彼らは、ああ、なるほど......と思う。そこまでくればすぐに、ああ、わかったぞ!になる。こうして人々の精神は未知の世界に導かれ、いままで知らなかったものを知るようになるんだよ。」(p.98-99)

 

圧倒的な傲慢さ

すごい人だと思うけれども、一方で、ひどいな、一緒にいたら大変そうだな、ということも、本書で知りました。

「われは王なり」(p.74、19歳でパリに行く直前に描いた自画像に書き入れた言葉)

「わたしから離れる勇気のある者などいない」(p.156)

こういう傲慢さを、かっこいいなと思えた時代もあるかもしれないですが、今の私は、正直なところ、ちょっと引いてしまいます。

「相手がどんなに有名な人であろうと、自分に劣等感を頂かせるような人(例:作家アンドレ・ジッド、彫刻家ジャコメッティ)とのとの交友は断つ」(p.177)、というのも、ざわざわしました。


ピカソに恋してしまったら大変そうです。

「わたしは恋愛の情にかられて仕事をする」(p.110)という言葉のとおり、描くエネルギーを女性から得ているし、恋人が変わるたびに画風が変わる。新しい作風に出会うためにいつも新しい女性を求めている。

91年の生涯で、深い関係になったミューズは十数人。ちょっとした関係を含めたら数えきれず。そして常に複数の女性と関係を持っている。(p.111, 115)

「わたしは矛盾だらけの人間だ。愛すると同時に、破壊してしまおうとする激しい感情をいだく」(p.114)

「私にとって女は二種類しかない。ミューズとドアマットだ。」(p.112)

つきあった女性たちは、精神的に病んでいったり、ピカソの死後に自殺している人もいます。

それでも離れられない魅力があったというのもすごいことですが、

もしピカソが今の時代に生きて同じことをしていれば、#MeToo で取り沙汰されることも起こり得そうな。

 

「だから、もうピカソの作品は見ない!」「美術史から抹消すべき!」とは私は思わないです。でも、もし現代でピカソに出会ったら、それはDVじゃないか? 相手の人は大丈夫だろうか?と思ったりするかもしれません。直接話せる機会があるなら、何を欲しているの?何を怖れているの?と本人に聴いてみたくなります。

かつてであれば、メンタルがやられても恋に溺れていく人も一つの生き方と疑問も持たなかったかもしれず、時代が進むにつれて私も知識を得て、価値観も変わってきているということなのかもしれません。

そう思うと、芸術も、ビジネスも、何もかも、その時代だから生まれたもの・生まれるものがあるんだなと思います。

 

そして、今、私の関心事は、傲慢で人を不安にさせたりもするピカソとは対照的な人柄とされるのに、ピカソと深い友情関係にあったというマティスに改めて向いています。彼から見たピカソはどうだったのか。ピカソに劣等感を抱かせずに交友を深めることができたこの人はどんな人だったのか。

知れば知るほど、知りたくなる。これだから読書は終わらない。

 

ここまで人物像を浮き上がらせてくれるのは、いつものことながら著者の取材力・構成力・文章力と、その人への愛。

このシリーズは、いつもその人のことを身近に感じさせてくれて、いつも大好きです。

 

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本書に出てくる本:

フランソワーズ・ジローによる『ピカソとの生活 』は、「ピカソと過ごした日々が、芸術家の目線で語られていて、それでいてピカソへの愛情もたっぷり、魅力的な一冊」とのこと。

中田耕治による『裸婦は裸婦として―人間ピカソ』は、「ピカソという一人の人間がじつに鮮やかに描かれて」いるとのこと。

 

関連する記事:

40代前後の一時期は恋愛関係にあったシャネルの言葉を集めた本。「ヨーロッパでもっともセンスのある女だ」とピカソに言わせしめた、19世紀的なものをすべて葬り去った"皆殺しの天使"。(p.170-171)

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