ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

カンマの女王「ニューヨーカー」校正係のここだけの話

しばらく前に、近所の本屋をパトロールしていて出会いました。

直感的に、面白そう、と思って、即買い。当たり。

万人受けではないですが、語学が好きな人、英語が好きな人、編集が好きな人は、お楽しみ頂けると思います。

シニカルなトーンも、私好み。

翻訳も、この本訳すのはかなり難しそうに思うのですが、原書の感じを損なわないための工夫が随所にされているなぁと思いました。

カンマの女王 「ニューヨーカー」校正係のここだけの話」(Mary Norris氏 著、有好宏文氏 訳、柏書房、2021年1月初版)

カンマの女王 「ニューヨーカー」校正係のここだけの話

 

著者メアリ・ノリスは、アメリカの雑誌ニューヨーカー(The New Yorker)の校正者。ベテラン2人から学び、ご自身も1978年からこのキャリアという、ベテラン中のベテラン。どこにカンマを打つべきか、打たざるべきかは、まさにこの方にかかってる、校正者のクイーン。

 

読みながら、英語について、編集について、プロフェッショナルについて感じたことのメモ。

 

ネイティブも間違ってる

ネイティブが話す言葉や、英語の本を読んでいたり、英語の歌の歌詞なんかを見ていると、文法や綴り、言い回しなど「え?こうだったっけ?」と思うことが時々あります。

こういうとき、私は、「学校で教わったことの私の記憶がおかしかったのかな?」と自分の方を疑ってかかり、混乱します。

ネイティブはいつも正しく英語を話し、使っているという、強烈な思い込み。

ましてやそれが、著名人、政治家、作家などであればなおのこと。

 

その最たる例は、”Between you and I.”

 

あれあれ? Between you and meじゃなかった???と、正直、いつからかずっと不確かな気持ちでした。

 

「大丈夫、あなたが正解よ」と、本書で太鼓判を押して頂いた気持ちです。(p.24, 第4章)

ですよね!!!と、とっても嬉しくなりました。

 

まさに「あのときの彼女と、そして文法に自信を持ちたいと思うみなさんのために、私はこの本を書いている。」(p.25)

ありがとうございます!

 

なんと、あのスピーチの名手であるオバマ大統領ですらa very personal decision for Michelle and Iと言っているとか(p.111)。

そりゃあ、私も、自分の方が間違えていると不安になって当然だ。

 

他にも、

ああ、weird(変な)というスペルってこれでよかったっけ、、、とか(p.27)、

Hopefullyの使い方って本当にこうだったかしら(p.75)*、とか、

He / she / it / he or she / they、どの代名詞で受けたらいいのかしら(第3章)、とか、

どこにカンマやハイフンやアポストロフィを入れるのか、はたまたセミコロンっていつ使うべきもの?とか、

これ、全部、高い教育を受けているネイティブでも迷ったり、知らなかったり、間違えたりするものなんだ!というのを知って、なんだか拍子抜けするような、安心するような。

 

*hopefullyはもともと、「期待を持って」という意味で、They gazed at us hopefully. <彼らは期待を持ってわれわれを見つめた。>と用いられていたが、1960年代から「うまくいけば」という意味で、Hopefully, I will arrive in an hour <うまくいけば、1時間で着くよ。>という用法も一般的になった。ただし、この2つ目の意味はご用で、it is to be hoped that <望むらくは>を使って言い換えるべきだという意見も根強い。(p.75)

 

更には、catalogではなくcatalogueであるのは、travelerではなくtravellerであるのは、別にどっちでも間違いではなくて単にニューヨーカーのこだわりなのか・・・(p.75)、とか、

英語が米語になっていく中で変わったのは、有名なreとerのひっくり返し(theatre→theaterなど)だけではなく、defence→defense、offence→offense、masque→maskなど、いろいろあるんだ(p.40-41)、

しかも、辞書によって見解が異なるものもある、だからどの辞書を採用しているかによって、雑誌によっても(もっと言えば校正者によっても)異なったりする、などというのは、

それはもう私も迷って当然だわね、毎度ネットで辞書を引きたくなるのも当然だわね、という開き直りにすらなりました。

 

確かに、日本語でも、「ずつ」なのか「づつ」なのかなど、結構揺れている言葉はありますね。

 

編集・校正は大胆さと勇気のいる行為

編集・校正の裏側も書かれていて面白いです。

私も少しだけネット記事の編集を手伝った経験がありますが、誤字・脱字の校正に加え、読み手を惹きつけるためにけっこう大胆に手を入れる必要がありました。

その時、葛藤するのは、本人の持ち味を生かすには、どこまで手を入れてどこで止めるのが良いのか、その塩梅。

大きな構成の変更から、校正の細部にまで、どちらでもこの話はあると思います。

この意味合いなら、こっちの言葉ではないか。

ここは漢字の方がいいのか、ひらがななのか。

ここに読点は入れるべきか、入れざるべきか。

どこまでの下世話な表現ならば、面白く、かつ、読者にとって不快にならないか。

 

文法的には直した方がいいけど、それだと面白くなくなってしまう、という葛藤も。

(この辺りは、日本語の方が英語よりも緩いかもしれないなと思います。)

 

そうこうしているうちに、本当に自分が信じているものが正しいんだろうか、と自分を疑ってかかりたくなることも。

 

本書から、この道のプロフェッショナルも、ベテランも、そういう葛藤があるんだなぁと知れて、興味深かったです。

 

著者の個性を殺さず、でも自分の意見も織り交ぜていく。

協働って、どんな世界でもこういうものかも知れませんね。

気になっているところを言わずにいるのが一番不自然かつ後味が良くない感じが本書からも伺えました。

 

プロフェッショナルの道は全てに通ず

いろいろなところに共感した本書。一番の共感ポイントはここでした。

自分の仕事で好きなのは、人となりのすべてが求められるところである。文法、句読法、語法、外国語、文学の知識だけでなく、さまざまな経験、たとえば旅行、ガーデニング、船、歌、配管修理、カトリック信仰、中西部、モッツァレラ、電車のゲーム、ニュージャージーが生きてくる。(p.23)

 

「文法・・・文学の知識」のところを、コーチング、リーダーシップ、心理学、組織開発などの関連の言葉に置き換えたら、それはそっくりそのまま私が普段思っていることでもあります。

 

きっとそれは私だけではない。

プロフェッショナルを自負する人たちは、みんなそうだろうと思います。

実際は、プロフェッショナルを自負するかしないかに関わらず、全ての仕事が、全ての人生が、本来はそうなんじゃないかな、と思います。

 

マニアックな方向けの1冊。もし興味が沸いたら、是非どうぞ。

 

余談:

著者は本や雑誌を読みながら、校正ポイントを見つけてしまうと書いていますが、私も、買ってきた本を読みながら、よく誤植を見つけてしまう癖があります。

明らかな誤字など、出版社に教えてあげた方がいいのかしら??といつもモヤモヤしてます。

この本の中にも、数カ所見つけてしまったような気が、しなくもない・・・。一応付箋を挟みました。 

 

 私が編集をお手伝いした記事はこちらなど:

gendai.ismedia.jp

 

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 本書に出てくる本:

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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