ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

悪女入門 ファム・ファタル恋愛論

今年「最強の女」を読んでから、すっかり鹿島茂さんのファンになってしまい、

もっと鹿島さんの本を読んでみよう、ということで読んだ1冊。

悪女入門 ファム・ファタル恋愛論」(鹿島茂 氏 著、2003年6月初版、講談社現代新書)

雑誌FRaUに2002年3月〜2003年4月に連載されていたものだそうです。

 

悪女入門 ファム・ファタル恋愛論 (講談社現代新書)

 

ファム・ファタル(femme fatale)とは、日本語直訳では「宿命の女」「運命の女」。

でも原語のフランス語での意味はもう少し深い。fatale=致命的・命取りの、という意味の色合いが濃くなる。

「恋心を感じた男を破滅させるために、運命が送りとどけてきたかのような魅力を持つ女」(p.10)

 

本書は、そんなファム・ファタルたちを題材にしたフランス小説 11作品を読み解きながら、その誘惑術を分析し、解説する本です。

誘惑の対象は男性ですから、男性の本質も扱われていきます。というか、そちらが主題かもしれない。

何が面白いかといえば、まずは、この鹿島さんの視点の鋭さ。女の心理、男の心理。納得するものもあれば、私の理解の範疇を超えるものもあり。

さらに、これらをズバリ言い抜く鹿島さんの言葉遣いや文体がとても好きです。

抽象と具体を自在に行き来し、凡人にはおよそわからない世界を、卑近な例を出して、見事にわかりやすくしてくださる。

とりわけ本書で特徴的なのは、ファム・ファタルの技や男性の深層心理を、まるで標本を指しながら解説するかのような表現。

「この一節はファム・ファタルを目指す女性にとっては、拳々服膺、熟読玩味して検討すべき重要なテクストです(p.76)」とか、

「この言葉に注目してください。なぜなら・・・」とか

「この一節は、ファム・ファタルを目指そうという女性、とりわけプロのファム・ファタル志願者には、ことのほか重要ですから、しっかりと心に刻んでください。というのも、ここには、男という存在の本質があらわになっているからです。(p.92)」などなど。

いちいち笑ってしまいました。

 

また、誘惑術を学ぶ以上に、フランス文学の解説書としての価値が高いのではないかとも感じました。

私はフランス文学に明るくなく、ここで取り扱われている11作品は一つも読んだことがないのですが、本書内での抜粋箇所から垣間見るだけでも、本書なしでは、もとの作品はきっとほとんど意味不明、文学的価値を全く理解できないだろう、と思いました。

作品をご存知の方は、それをお手元に、きっともっと本書を楽しめるだろうと思います。

 

さて、内容は、一部だけを抜粋するとかえって、本書の面白みや深さが損なわれてしまうような気がするので控えておきたいと思います。ぜひ、ご自分でご確認ください。

プロローグから官能的な表現が入ってきますので、ドキッとしながら読み進めることになります。

 

一つわかったことは、私はファム・ファタルにはなれない、ということ。笑。

でも、私のような人間のために、先生がこの本を書いてくださったこともとてもよくわかりました。その部分がとても共感致しましたので、ここを抜粋させて頂きます。

 

 最近、私が提起している概念の一つにゴレンジャー・ガールというのがあります。

 いきなり、こんなことを言っても、読者はなんのことかわからないでしょうから、少し説明しておきます。

 いまもテレビで毎週放映されている子供番組に「〇〇戦隊× ×レンジャー」のシリーズがあります。(中略)

 この番組が始まった頃、近所の子供たちの遊びを観察していますと、女の子の中に、かならずゴレンジャーの紅一点のモモレンジャーをやりたがる子供がいました。つまり、たいていの女の子たちはおままごとやお人形さんごっこをして遊んでいる中で、少数ですが、男の子にまじってゴレンジャーごっこをして遊びたがる女の子がいたのです。私は、こうした紅一点の女の子ゴレンジャー・ガールと名付けました。

 観察していると、このゴレンジャー・ガールは、かわいいかわいくないにかかわらず、男の子たちからとてもモテているようでした。しかし、私は、この子の未来を透視してみて、なんとなく悲しい気持ちになりました。なぜなら、思春期を過ぎたら、このゴレンジャー・ガールは、絶対にモテなくなるだろうなと予想できたからです。

 男の子たちは、思春期を過ぎて性欲モードに入ったとたん、それまで一緒にあそんでいたゴレンジャー・ガールには見向きもせず百パーセント女である女の子(私はこれをウッフンと名付けました)のほうに間違いなく惹かれるはずです。なぜなら、ウッフンたちは、先天的に男を蠱惑する技術を身につけていますので、男の子たちは手もなくやられてしまうからです。オスの本能を持った男は、フェロモン誘導にたけた メスのほうに吸い寄せられていくのです。

 ところで、このウッフンの中には、誘惑技術を全て身につけたスーパー・ウッフンとでもいえる女の子がいます。こうしたスーパー・ウッフンの誘惑技術は、もはや技術と言うよりも芸術(アート)の域にまで達しています。 ひとことで言えば、スーパー・ウッフンというのは、誘惑のアーティストなのです。彼女たちにかかっては、どんなに志操堅固な男でもひとたまりもありません。巨万の富をもった大富豪であろうと、あるいは前途有望なエリートだろうと、たちまちのうちに軍門に下ってしまいます。

 一方、ゴレンジャー・ガールはというと、こうしたスーパー・ウッフンや普通のウッフンが次々にいい男をゲットしていくのを指をくわえて見ているしかありません。彼女たちは、たとえ好きな男ができたとしても、女の媚び(コケットリー)を駆使して男を籠絡するという技術を知らないからです。そのために、やっと好きな男ができて、いい関係に入ったと思っても、「友達以上、 恋人未満」の関係をなかなか抜け出すことができません。そのあげく、思い詰めたようにいきなり愛の告白をしたり、セックスに誘ったりして、逆に男に引かれてしまうことが多いのです。

 私は、こうした状況を観察していて(女子大の教師(注:当時、共立女子大学で教鞭を取られています)ですから観察のサンプルには事欠きません)、ゴレンジャー・ガールたちに、なんとかスーパー・ウッフンの高度な誘惑技術を学ばせる方法はないかと考えました。なぜなら、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが『第二の性』でいみじくも言っているように、「女は女として生まれるのではなく、女になる」のですから、ただ肉体的に女として生まれてきたというだけでは、誘惑術は身につかないからです。どこかで、それを後天的に学習することが必要となります。とりわけ、先天的にそれを欠いているゴレンジャー・ガールには学習が不可欠です。人間としての魅力という点から見ると、ウッフンよりもゴレンジャー・ガールのほうが魅力のあるケースが多いのに、結婚までこぎつけないどころか、恋人もできないとは、あまりにもかわいそうです。何とか、彼女たちが誘惑術を無理なく学べる方法はないものでしょうか?

 そんなとき、ふと、「なんだ、そんなことなら前からやっているじゃないか」と膝を打ちました。

 なんのことかといえば、私が大学で教えているフランス文学というのは、ファム・ファタルと呼ばれるスーパー・ウッフンの登場する小説ばかりなのですから、少し、力点の置き方を変えてやれば、「フランス文学史」も「フランス文学演習」も、そのまま、ファム・ファタルの誘惑術の講義となりうるのです。 フランス文学を勉強するといったのでは、欠伸をしてしまう女子学生も、ファム・ファタルの誘惑術ということなら身を乗り出すにちがいありません。なにしろ、それを学びさえすれば、ゴレンジャー・ガールもスーパー・ウッフンに変身できるのですから。

 こうして、従来の講義ノートをファム・ファタルの誘惑術、つまり悪女入門という観点から書き直してみたのが、この本です。

 

こんな大学の授業があったら、ぜひ取りたかった!!!

こんな本を書くことができる教授がいる大学って素敵。

 

本書で扱われているのは全て小説の中のファム・ファタル。

最強の女」は、実在した5人のぶっ飛んだ女性の人生を書いたもの。私はやっぱりリアルな方が好きみたいです。

鹿島さんの本は膨大にあるので、また来年もいろいろ読んでみたいと思います。

 

 

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