ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

お金の減らし方(新版)

実家に行ったら置いてあり、タイトルに惹かれて読んでみました。

文体も含めて、面白かったです。

多くの人にとって、お金との付き合い方について新しい視点が得られると思います。

だから、実は、お金を増やしたい人が読むと良い本。

新版 お金の減らし方」(森博嗣 著、2020年4月初版、2024年6月新版初版、SB新書)

 

新版 お金の減らし方 (SB新書)

 

著者は、工学博士で、もともとは国立大学で研究者や助教授などをされていた方。

30代後半で作家デビューして、本が売れて、印税20億円。

今は、本書のようなエッセイなど書きながら、大好きな庭園鉄道に心置きなく没頭されています。

そんな金持ちの20億円の使い方なんか聞いても仕方がない、と思って手放してしまうと、本書の価値を得損ねてしまうかもしれません。

 

夢を叶えるために、稼ぐ手段を考える

夢を描こうとするとき、大人はつい、今の生活の延長上にそれを考えてしまいます。

だから、今手元にあるお金の範囲内や、妥当に見積もれる収入額の範囲に収まりがち。

著者のライフストーリーは、ここに警鐘を鳴らしてくれます。

 

大学で研究職をしていた頃はとても貧しい。大手企業に就職した同期などと比べても薄給。

といっても、特に悲壮感があった様子でもなく、同期を羨むでもなく、淡々と生活していた印象。

ご自身も「お金に困ったことは一度もない」と言ってらっしゃる。お金はなければないでそういう生活をするし、あればあったで欲しいものを買う。そういうスタンス。

30代も半ばを過ぎた頃、昔からの夢「庭に、自分が乗って遊べる鉄道を建設する」を実現したくなり、どうにかお金を工面できないか、と考えた。

何か、効率的な「バイト」はないか。

ただ、日中は仕事がある。土日も出勤している。他大学の非常勤講師や一級建築士の講師の仕事もあるが、忙しくなるわりには安い。

そして思いつく。

だが、夜は空いているので、自宅でなにかできないか、と考えた。そこで、思いついたのが、小説を書くことだった。(p.19)

そして早速やってみる。

毎晩帰宅した後、パソコンで小説を書いてみた。睡眠時間を半分にして書いたら、一週間ほどで書き上げることができた。
 慣れない作業だったけれど、思いのほか、すらすらと書けたので、仕事として行けるのではないか、という感触があった。人生で最初に書いた小説だ。それまでそんなものを書いたことは一度もなかったので、どんな具合か、やってみるまでわからなかったのだ。
 書いたあとで、出版社に送るためには、どうすれば良いのか、と考えた。まず、書店へ行き、これまで手にしたことのない小説雑誌なるものを開き、作品を募集していないか、と探してみた。すると、講談社の雑誌で募集しているのを見つけた。編集部の住所が書かれていたので、その雑誌を購入して帰ってきた。さっそく、プリントアウトした作品を送ってみた。
(中略)
 最初は半分練習のつもりだったので、次の作品をすぐに書き始めた。ちょうどその第二作が書き終わった頃、講談社から電話があったのである。
(中略)
 それで、講談社の編集者と会うことになったが、僕の作品を気に入ってくれて、本にしたいと言われた。まさか、こんな簡単にバイトが成功するとは予想もしていなかった。当時は、講談社がどれくらい大きい出版社かも知らなかったのだ。
 そういうわけで、その後、書くものも書くもの、つぎつぎと本になり、どんどん印税が口座に振り込まれるようになった。森家は、一気にリッチになったのである。夢のような話だが、嘘ではない。脚色なく書いている。本当にこのとおりだった。(p.20-21)

 

夢を叶えていく人たち、お金持ちになっていく人たちは、この発想なのだと思います。

「お金がない」から「できない」ではなく、「お金がない」から「どうしたらどうしたらできるか?」を考える。

 

ちなみに、著者は元々小説に興味があったわけでもなく、そもそも大量に読書はするけど小説は読んでおらず、小説家となった後も小説が得意とも思わない。

けれども、これが、自分にできる割の良い”バイト”であり、その"バイト”による副収入は、庭園鉄道のため。

だから、基本の生活スタイルも変わらない。庭園鉄道を拡張するために敷地の広い家に引っ越したりはするけれど、欲しくないものは買わない。

 

本書は、そんな昔からの夢を叶えたお金持ちから学ぶお金との付き合い方です。

 

お金とは、「欲しいもの」を買うためのもの

若くして結婚した著者が、奥様に伝えた家庭の運営方針に驚かされます(p.27)。

「欲しいものはなんでも買えば良い、でも必要なものはできるだけ我慢をすること」

そして、こんな約束もしている。

僕が稼いだ給料は二人のものであり、それぞれが1割を遊びに使う。残りの8割を共通費として家庭を維持していこう、というものだった。(p.68)

かなり貧乏だったのだけれど、お金が不足した場合には、食費を削ればいいし、着るものも買わず、ずっと同じ服装で良い、くらいには考えていた。そういうものを「必要だから」と買うことには、もともと反対だった。
 遊びに使うもの、自分が欲しいものは、全体の一割の金額をやりくりして、それぞれが自分の好き勝手に使えば良い。その額を超える大きな買いものがしたかったら、そこから貯金をすれば良い。どんなものを買おうが、けっして口出しはしない。
 僕たちは、これを「防衛費」と読んでいた。当時、日本政府は、ずっと防衛費1%を維持しているようだったので、自分の家庭でも、防衛費10%を厳守することにしたのだ。これには、自分の趣味を守る、自分の嗜好の権利を守る、というような意味合いがあったと思う。(p.68-69)

 

この「防衛費」を守る一方、8割の共通費の支出のお財布の紐は硬いそうです。

必要なものへの支出は、極力出し渋る。

 

一般には逆の方が多いのではないかと思います。

「必要なものを買って、余ったら、欲しいものを買おう。
でも実際には、なかなかお金が余らないから、欲しいものが買えない」というように。

 

「必要」という盲目

本書を読んでハッとさせられるのは、「それって本当に必要?」という素朴な疑問。

 必要なものの多くは、実は絶対に必要というわけではない。何しろ、それを買う今現在、それがなくても過ごせているからだ。一方、欲しいものは、それ自体でかなり説得力を持つ。(p.100)

必要だから買うものよりも、欲しいから買うものの方が、自分にとって価値がある、というのが、この考え方の根底にある理屈である。必要という条件は、多くの場合、他者の要請であったり、社会の常識や習慣であったりするが、事実上、本当に自分の生活に必要かどうかは疑問である。その交換で何が得られるのか、と考えた時、実質的な効果、つまり価値を見出せないこともある。自分のお金をつぎ込むのならば、確実に価値あるものと交換すべきだろう。(p.101)

 

著者は、実は必要ではないものまでも、”必要”と言うことでお金を詰まってしまっているのではないか?ということを指摘してくれています。

”必要”な飲み会、"必要”な洋服、”必要”なお土産、”必要"なお稽古事、"必要"なランドセル....。

それらのどれくらいが本当に必要なのか。

必要でないなら、それらをどれくらい欲しいと思っているのか。

単なるストレス発散や、コンビニに寄ってなんとなく、など、”必要”でも”欲しいもの”でもないものにお金を使っている...なんてことは、多くの人に起きているのではないかと思います。

 

私がやりがちなのが、本当は「欲しい」だけなのに、なんとか「必要だから」と正当化しようとすること。

それを買うお金はあるのに、誰も咎めていないのに、自分の中で「欲しいという理由だけで贅沢するのは....」という躊躇いがあるのだともいます。それはおそらくこれまで育った文化などによるもの。

もうその文化からは自由な大人になって、説得しなくてはいけない相手もいなくなったのに、自分自身を相手にいまだに説得を続けて、頭の中でこんがらがる。

そんなくらいだったら、「欲しいから買う!」の方がよっぽどすっきりします。

 

「お金の減らし方」を考えることは、自分は何をしたいのか、を考えること

では、”欲しいもの”にだけお金を使おう、とするとき、真の問題に直面します。

 考えるべきことは、自分は何をしたいのか、である。
 結局は、お金の減らし方が、人生における考えどころとなるだろう。
 何にお金を使うのか? 何を買うのか? その買ったものを、どう使うのか? そこから何が生まれるのか? 自分は、そのことでどのように変化するのか? それを考えることが、当面の課題、お金の使い道である。(p.107)

 

私が、初めてコーチングを学ぶために、CTI(Co-Actitive Training Institute)のアメリカでの基礎コースに参加した時、トレーナーから「What do you want?」と問われて、私は答えに窮しました。

この「答えられない経験」で、「私は、自分が何を欲しているかわかっていないんだ」ということを強烈に自覚しました。

 

これはきっと私だけではありません。

人は、自分が欲しいものを、実は知らないでいたりします。あるいは欲していても、認めないようにしていたりもする。

さらに言えば、そのことを考えないようにもしている。

だって、正面から向き合うのは面倒くさいから。

だから、メディアや友人が良いと言っているものに乗っかってみたりするのではないかと思います。

 

(前略)自分の気持ちによってものの価値が決まるということに気づくことが、お金を無駄にしないうえでもっとも重要な点といえる。もう少し別の言い方をすれば、この「気持ち」というのは、「欲求」でもあるだろう。お金を使って手に入れる価値とは、結局は自分の欲求を満たすことだ、と言える。だから、まず自分の欲求をよく知ることが基本になる。(p.49)

値段がすなわち価値だ、という安直な認識に長く浸かっていると、効果なものは価値がある、効果なものを持っていれば周囲から尊敬される、というような歪んだ価値観へシフトしてしまうかもしれない。何が間違っているのかといえば、自分の欲しいものがわからない人間になっている、という点である。簡単にいえば、自分の人生を見失っていることに等しいだろう。自分は何が好きなのか、何がしたいのか、ということを感じられないほど、感覚が麻痺してしまう。一種の病気だと言っても良い。(p.50)

 自分の好きなことがやりたいからお金を減らす、という行為をしっかりと理解している人は、お金を増やすことには、さほど興味を示さない。お金は増えることは楽しみではないからだ。もちろん、お金は沢山あった方が良いことはまちがいないけれど、それはより大きな減らし方が可能になるからである。つまり、お金が貯まって、貯金の金額が増えることなどは、一時的な仮の状態であって、最も自分の満足に近い時間というのは、お金が減るときなのである。そう考えていれば、回り道をしてお金を増やすことに頭を使おうとは考えない。
 お金というのは、いったい何か、という点をもう一度思い出してもらいたい。
 お金は、自分の満足と交換するためのものであり、価値があるのは、その満足の方なのである。(p.62)

 

「お金の減らし方」を考えるとは、要は、「自分は何を欲しているのか」に向き合うこと。

 

「お金がない」という便利な言い訳

自分の内なる声に耳を澄ませて自分が欲しているもののを知るのは、意外と簡単ではないです。

だから「お金がない」と安易に口にしたりする。

 多くの人は、「時間」や「お金」が不足しているから自分のやりたいことが実行できない、と言い訳をするのであるが、実は、本当にやりたいことがわからない人である場合が非常に多い。何がしたいのか?どうしたいのか?具体的に質問をしていくと、はっきりと答えられない、という場面になる。
 一方で、本当にやりたい、どうしてもやりたいと考える人は、「時間」も「お金」もなんとか工面してしまう。自分の好きなことをしている人は、まるで自由人のように傍から見えるけれど、時間とお金が潤沢にあるから、好きなことができるのではない。それは全然違う。かなり苦労して時間やお金を生み出している。
 そもそも発想が逆なのである。僕の周囲で、そういった例を確認してみたが、例外はなかった。(p.53-54)

 

コーチングでクライアントさんとお話していると、お金のこと以上に、「時間がない」という人がとても多いです。

でも、本当に欲しているものを丁寧に聴いていくと、実は、そんなにお金も時間もかからないものだったりする。

それを叶えるために、本当に必要なのは、時間でもお金でもなく、誰かに何かを伝える勇気だったり、行動を起こしてみる決意だったりします。

 

今後、「自分の好きなことをする時間とお金がありません」と言われた時には、こちらの言葉でお返事してみようかと思います。

 

「やらなければならないことが多すぎて、自分の好きなことが全然できません」という相談をときどき受けるのだが、これを打開するためには、「自分の好きなことをするために、やらなければならないことをしてみてはいかがでしょうか」が答えである。(p.30)

 

 

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