「ジャケ買い」だった1冊。
タイトルも面白いし、絵も可愛らしい。
読んでみたら、中身も面白かったです。
「生きものたちの「かわいくない」世界 動物行動学で読み解く、進化と性淘汰」(ヴィンチェンツォ・ヴェヌート 著、安野亜矢子 訳、ハーパーコリンズ・ジャパン、2021年12月初版、本国イタリアでは2020年初版)
イタリアの人気ポッドキャスト番組が書籍化されたものです。
動物は大好き。
ついついインスタでも動物系のリールを見てしまいます(最近のお気に入りは鳥羽水族館のラッコです)。
子どものように純粋無垢に見える動物たちを、「かわいい」と思って愛でていますし、
本能のままに生きる動物たちを見て、「動物はいいよなぁ」なんて思う時もありますが、
いや、動物の世界も、実際、そんなかわいいばっかりじゃないよね?
けっこうシビアな世界よね?
という内心抱いている疑問に直球を投げてくるタイトル。
ミラノの生物学者が、ユーモアたっぷりに動物界のリアルを教えてくれます。
テレビでの番組は断られたそうで、こういうものも喋れちゃう・書けちゃうのが、ポッドキャストや本の魅力ですね。
人間の当たり前は、地球の当たり前ではない
大人になると一通り世の中を知ったような気になりますが、地球には知らないことがいっぱいです。
カメは本当に130歳以上生きることができるとか、観賞用のコイで226年生きたものがいるとか、ニシオンデンザメは400年生きるとか。(p.288)
アイスランドガイは食べられなければ500年、クロサンゴは捕獲されなければ2000年、海綿動物は3000年生き、ベニクラゲはもはや不死身と言えるなど。(同)
かつて陸生動物だったシャチは、外洋で泳ぐ際に脚や毛を必要としなかったため、やがてそれらを失ってしまったとか(p.114)、
アリゾナ州の砂漠に生息しているトカゲ・ウィップテールリザードは、オスが姿を消して、メスだけが存在し、メスは交尾をすることなく自らのクローンをつくって繁殖するとか(p.109)、
すべてのカタツムリには男性の生殖腺(精巣)と女性の生殖腺(卵巣)の両方を持っている「雌雄同体」で、どんな相手に出会っても100%の確率で繁殖できるとか(p.170)、
ハタという魚は、メスとして生まれ、10年後にオスになるとか(p.172)、
クマノミ亜科は、オスの子どもしか産まず、その一部が後にメスになるとか(p.173)、
確認されている哺乳類のうち、子育て・教育・保護に関わる父親はわずか10%だとか(p.181)、
ゴリラのペニスは勃起時で3cmに対して、南米に生息するコバシオタテガモという小型のカモのそれは42.5㎝だとか(p.115)、
一方のカモのメスは、無理矢理に交尾しようとするオスの精子をはじき、好ましいオスの精子だけを受精することができるとか(p.115)、
サワアンテキヌスというネズミに似たオーストラリアの有袋動物は、1ヶ月にわたって1日12時間とりつかれたように交尾をするとか(p.116-117)、
ツバメの巣にいるヒナの30%は、その巣にいる父親の子供ではないとか、ハクチョウも同様であるとか(p.132)、
人間界においても、ナミビア北部の遊牧民・ヒンバ族では、浮気は当たり前のもので非難されるものではないことから、婚外子の割合は48%にのぼり、「妻から生まれた子どもは自分の子ども」という「社会的父性」という考え方であるとか(p.144)....。
何かに驚くということは、それだけ自分の中に「当たり前」が強固につくられていて、
その「自分の当たり前」を基準に世界を見ているということでもあります。
ニンゲン様が地球をコントロールしているかのような錯覚を覚えることもありますが、人間の尺度で考えること自体が、きっと大いなる勘違い。
その他の生物、もしくは宇宙人からニンゲンを見てみた時には、布を巻きつけた毛のないサルたちが、有用なものから無用なものまでいろいろと作り上げ、あーでもないこーでもないといちいち騒いでる、というようにも見えるのかもしれません。
それぞれの世界には、それぞれの常識
読んでいると、それぞれの動物界にそれなりの慣習があって、いいねぇと思うものもあれば、そうでもないものもある。
人間社会の中では、昨今「生きにくさ」がよくフォーカスされる印象がありますが、それぞれの動物界の中でも、同じように、「このしきたりは好きじゃないな」と感じている動物もいるのかもしれません。
でも、人間のように異議を唱える術がないし、引きこもる間も自死を選ぶ間もなく、群れの法則に従わなければ、おそらく餌や縄張りを失って自然と淘汰されていく。
「生きにくい」とか、言ってる場合ではないのかもしれません。
そう思うと、それを表現できる人間社会、自分の流儀を貫いても(他者と同じだけの何かを享受できないことはあったとしても)命までは奪われずに生きてはいける人間社会は、動物よりも自由なのかもしれない、とも多います。
1000年後の人間は、姿形も今と異なるかもしれない
「自然界には、必要のないものは消えてしまう」という基本ルールがある(p.114)
体毛が不要になって生えなくなったシャチのように、私たち人間の体も、未来永劫同じではないのかもしれないなぁとも思いました。
身長や体毛などは既に新しい世代では変わりつつあるように感じますし、生殖機能も雌雄同体の生物もいるわけで、子孫を残すために必要とされていた性交渉よりも人間にとってより効率的な方法が見つかると、いずれはそういう風に人類も変わっていくのだろうか?などと、発想はどこまでも広がります。人間の場合は、自然の進化に加えて、技術による人工的な変化もありますし。
先日紹介した「歴史思考」で深井さんが書かれていたことともつながりますが、今、この時代の常識や美意識が未来永劫常識とは限らない。
価値観だけではなく、生物学的にもそういう可能性ももしかしてあるのかもしれない。
そう思うと、今もしかしてある「生きづらさ」も、少し感じ方が変わってくるのかもしれません。
本書に出てくる本:
ポッドキャストはこちらと思われます。
Il gorilla ce l'ha piccolo / Vincenzo Venuto
トレーラー:
第1話:
日本の生物系ポッドキャストは、例えばこの2つ。
すごい進化ラジオ:
ミモリラジオ:
私たちの番組も、聴いてみていただけたら嬉しいです^^
「独立後のリアル」:人生本気で変えたい人のコーチをしてきた2人が、これからの時代を賢く面白く生きるヒントを愉快に無責任に話しています。
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