ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

Dance with the Issue 電力とわたしたちのダイアローグ

とっても上映期間の短い映画、けれども、ぜひとも皆さんに見てほしい映画。

ということで、大慌てでブログアップします。

東京では、11月23日(木・祝)まで @ 下北沢 シモキタ エキマエ シネマ K2)

延長されるといいですが。

「Dance with the Issue 電力とわたしたちのダイアローグ」

(監督:田村祥宏(たむらやすひろ)、株式会社イグジットフィルム代表取締役、特定非営利活動法人ブラックスターレーベル:代表理事)

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内容は、監督の言葉で紹介します。

映画『Dance with the Issue』は、映画の持つ新しい可能性を目指して作られた作品です。 本作品が目指すのは『つながりのアップデート』。 エネルギー課題という解決困難な社会課題を、コンテンポラリーダンスというアート表現を通じて体感することで、市民一人ひとりが自分と社会とのつながりに思いを巡らせ、未来の新しい可能性に自ら気づくことを促します。 日々の暮らしの中で目を背けたかったり、なかなか言い出すことのできない想いや意見と改めて 向き合ってみる、そして映画というアートを通じてより自由に、易しく、対話をすることができたら。 私たちブラックスターレーベルは、映画が皆さんの暮らしの隣人として、もっと身近な存在となることを願っています。

 

経済産業省や東京電力など、電力業界の中心にいらっしゃる方々や専門家のインタビューと、そこで語られていることがダンスから織りなされる映画。

期待以上の作品でした。

 

責めるところからは何も始まらない。

個人的な話ですが、前職時代、電力関係の方々とお仕事させて頂いていた時期があり、日本のエネルギー事情について学ばせて頂いたり、見学などに行かせて頂いたりもしていました。
見たり学んだりする中で、世の中にもっとこういうことを知ってほしい!と思うことが沢山あって、でも自分にはその術がなくてもどかしくも感じていたのですが、それを伝えてくれる作品でした。

情報がわかりやすく届いてくるだけではなく、そこにダンスという表現が交わって、感性にも届いてくるものがあります。


この映画でいいなと思ったのは、誰が正しくて、誰が間違っているかという争いではないということ。

原子力も当時はそれが様々な問題を解消するものだと思われた。

自然エネルギーだって今はもてはやされているけれど、それが未来永劫正しい策なのかどうかは誰にもわからない。

実際、本作品の中では語られていなかったけれど、数十年後に太陽光パネルの耐用年数が来たときに、大量に発生するパネルのゴミはどうするのかという問題が発生すると教えていただいたこともあります。

今の電力業界の様々な不自由さは、電力を確実に届けていくために作られた体制ゆえでもある。

何のために?って、私たち市民が快適に暮らせるために。日本が成長するために。

私たちは、みんなでその時代を生きてきた。

その恩恵も受けてきた。

それによる、望ましくない影響についても、私たちは当事者。

だから、ここからを考えることも当然当事者で。

そのためには、安易な批判や糾弾に傾くのではなく、評価・判断を保留して、まずは起きていることを知り見つめる必要がある。

その時、本作のダンスがとても効いてきます。

情報や知識だけでは、論争の沼にハマってしまう。

ダンスを見ながら感じる心や身体感覚は、正しさの競争を超えていきます。

11/19の上映後アフタートークの田村監督のお話によると、この映画を見て涙される電力関係のお仕事の方もいらっしゃるとのことです。

 

「安定供給」とは何だろうか。

前職中、私が日本の電力事情を知って一番愕然としたことは、電力の「安定供給」のために、多くのエネルギーが消費されているということでした。

電力は貯めておくことができないので、「安定供給」するためには、いつも需要よりも多く発電している必要がある。

日本は、世界でも電力消費の多い国。

以前に暮らしたヨーロッパなどは、部屋は結構暗くても気にしない人が多かったですが、日本では、すぐに蛍光灯をぱっとつける。

電気以外も、なければないでなんとかする、ではなく、どうにか解決しようとする文化。

さらに、日本は、世界でも際立って停電のない国。

「お客様は神様」な日本で、「電気が届かない」となればお客様がお困り・お怒りになってしまうから、いつも足りるだけの電力を発電する。

私たちの欲望のままに、電力需要は増え続け、それにいつでも応え続けてくれる。

そのために大量の石炭が、海から発電所までトラックが何往復もして、大量の石炭が燃やされて、、、

これって、際限がない...と思いました。

自然エネルギーになったとしても、「欲しい量の安定供給」を目指してしまったら、いつの日か、日本の至る所が太陽光パネルで覆われ尽くされそうです。

 

コロナで私たちも、不確実な生活に少しだけ耐性ができたかもしれません。

「コロナで学級閉鎖」「水不足だからプールはお休み」があるなら、時には「今日は電気が足りないみたいだから学校も仕事もお休み」という選択肢だってあってもいいのではないか、などと思ったりもします。

 

私たちは、どんな環境で、どんな暮らしがしたいんだろう?

自然との共生は田舎に行かないと無理なのか?

自分ごととして考える、その入り口に、ぜひ見てみてください。

 

dwi.blackstarlabel.org

 

この記事に関心を持たれた方は、こちらの本もどうぞ。

www.cocomichi.club

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