ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択

6月、下北沢の本屋B&Bで、稲垣えみ子さんと浜田敬子さんの対談があるというので、そのオンライン配信に申し込みまして、合わせて買った稲垣さんの最新著書。

家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択」(稲垣えみ子 著、マガジンハウス、2023年6月初版)

帯の言葉は、「人生100年時代のまさかの出口戦略。デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその これがほんとうのお金に頼らない生き方」。

 

家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択

 

稲垣さんは、以前にご著書「寂しい生活」を読んで、驚嘆しつつもとても共感しました。

自称・物欲まみれの生活から一転、東京で、冷蔵庫を含む全ての家電を捨てて快適に生活していらっしゃる。

浜田さんは、昨年FIGARO Japonさんのイベントで鼎談させていただいたのご縁からお話させていただくようになった方。

おふたりの共通点は朝日新聞記者(稲垣さんが先輩)。お親しいとは知りませんでしたが、対談イベント、楽しく聞かせていただきました。

 

で、その後、届いて読んだ本がこちら。

最初のうちは前作で知っている話が繰り返し出てくるので、ちょっとまどろっこしくも感じたのですが、途中から、本書の本題に入っていって俄然面白くなります。

漫談かと思うようなトーンの中にポンと核心的な一文があったり、その緩急やテンポなど、さすが新聞記者出身、文章お上手だなぁ〜とも感じたりもしました。

 

人生をなんとかしてくれるのは、お金じゃなくて、生活力

一般に、老後のことに話が及ぶと、だいたいは、どこかで「老後に必要な資金」の話になります。

2000万円でも足りない? じゃあいくら必要なの?と。

老後の資金がありません!」なんていうコメディ映画もありました。

だから、つい、老後に必要なものは「お金」と思いがちなのですが、実際に必要なのは、家事ができる力だ、と本書は力説します。

 この不確実で、成長も期待できず、なのに100年も生きなきゃならないおっそろしい世の中をなんとか生き抜くための最強アイテムとして、ほとんどの人が懸命にお金を貯めようとしている。でも、そもそもお金を稼ぐことも貯めることも難しくなったからこそこんな不安な時代になっているのであって、今や、お金にばかり頼って幸福な人生を全うするのは途方もないミッション・インポッシブルである。我らに必要なのは、お金に取って代わる人生の必須アイテムではないだろうか。「◯◯さえあれば人生何とかなる」の「◯◯」に入る「お金」以外の何かを発掘せねばならない。

 そう、それが家事なのだ。(p.7-8, はじめに)

 

どう感じられるでしょうか?

私は、本書で書かれていることは、全般、体感値としても、かなり同感でした。

稲垣さんほどまでにはモノを捨てられていないにしても、そうだよね、そうだよね、と思いながら読みました。

 

私は日頃、外食やお惣菜率が高いのですが、だいぶ前、田舎に住む祖母の家にいつもより長めに泊まって、2人分の食事を毎食全部作る、ということをしたことがあります。4泊くらいだったでしょうか。

意気込んで食材を買って行ったものの、実際には、一日に食べられる量なんてさほど多くもなく、高齢になってくればなおのこと。つくった料理は、かなり冷凍庫に保存することになりました。

簡単な食事で毎日自炊していれば、食材ってそんなに沢山はいらないんだな(沢山あってもそんなに消費できないんだな)、食費って実はそんなにかからないんだなと感じたのをよく覚えています。

また、3食作る合間に洗濯したり、片付けたり、昼寝したりしていると、あっという間に1日経ってしまい、暇すぎて退屈なんていうことは全くありませんでした。

 

いや、そうは言ってもお金はいろいろかかるじゃん、という時、その「いろいろ」は自分でつくり出している可能性が高いです。捏造とすら言えるかもしれない。

 

家事をラクにする究極の方法

高度経済成長期に入って以来、日本の家庭は、掃除機、洗濯機、乾燥機、炊飯器、冷蔵庫、食洗機など、何でも自動化する方に進んできた。

けれども、やっぱり家事は大変、という声はなくならない。

実際、家事に費やす時間は5年前と比べて4分増えているそうです。

男女平均の1日家事時間:男性は19分→25分、女性は2時間24分→2時間26分。総務省調査。(p.39)


逆に、上記のいずれも持たない稲垣さんの場合、朝5時起床〜午後10時就寝の1日の中で家事は以下の計40分とのこと。

<朝>
洗濯(タライで前日の汚れ物を手洗いし干す):約10分
掃除(ホウキで床を掃く or 雑巾で床を拭く):約10分

<昼>
調理(昼ごはん):5〜10分

<夜>
調理:(夜ご飯):5〜10分


朝ごはんは、前日の残りだったかな?ちょっと忘れました。

ちなみに、生ごみはベランダでコンポストにしてらっしゃるのでゴミ出しは2ヶ月に一度(!)だからゴミ出しも不要、毎日銭湯なのでお風呂洗いも不要、モノがほとんどない生活でいらっしゃるので「片付け」という家事は発生しないのだと思います。

さらに、これが、頑張って減らして、テキトーにイヤイヤやっている40分ではないというところも大事と思います。

この40分は、ただの40分じゃない。全てをやりきった40分、「自分の人生これで十分」と心から確認できる40分なのだ。

 だって、日々きちんと片付いた部屋で、清潔で着心地の良いお気に入りの服を着て、美味しく健康的なものを食べることができたなら、他に何がいるというのだろう?(p.20)

 

こんな稲垣さんが提唱する方法がこちら。

 

家事をやめるための(イナガキ流)3原則 (p.42-87)

その1 「便利」をやめる

その2 人生の可能性を広げない

その3 家事の分担をやめましょう

 

納得?びっくり?

「便利」は本当に効率的なのか実は怪しい、というのは、私も生活しながら感じていました。

本書では、それをもっと見事に暴いてくれています。

便利なものはまさにその便利さゆえに、シンプルな物事をいつの間にか「オオゴト」にしてしまう特性があるのだ。(p.44)

 冷蔵庫も電子レンジも手放したら、冷凍も作り置きもできないから日々ごく単純な料理をするしかなくなってしまったが、やってみればそれで十分満足できる自分がいた。でも冷蔵庫や電子レンジがあると、それを使ってあれこれ凝ったたいそうな料理を作ることが当たり前になってしまう。で、いつの間にか、日々凝ったものを作ることができない自分に敗北感や罪悪感を抱いたりしてしまう。
 つまりはですね、便利なものっていうのは「自分」を見えなくするわけですね。本当の自分は案外ちょっとのことで満足できるのに、えらく大掛かりなことをしないと満足できない、幸せが得られないかのような錯覚を日々作り出していくという恐ろしい側面を持っているのであります。(p.48-49)


洗濯に至っては、清潔に暮らしたいから洗濯機を買っているのだと思うのですが、「まとめて洗えて”便利”」と思うから、まとめて洗う日数分の下着や衣服が必要になる。そして、その日数の間は、実は汚れ物が溜まっている状態でもある。

そうなのだ。清潔に暮らすとは、大量のものを効率的にまとめて洗うことではなく、「その日の汚れ物をその日に洗うこと」だったのだ。その行為自体が、新しいまっさらな1日をまっさらな気持ちでスタートする合図なのだ。人生を明るく前向きに生きるエンジンなのだ。(p.47)

 

滝藤賢一さん主演の「家電侍」というドラマを見た時の感覚も思い出します。

江戸時代の長屋に暮らす浪人・兼梨四十郎(かねなし・しじゅうろう)が、現代の家電を次々と手に入れられるようになる設定です。妻を楽にしてあげようと思いから、次々と、冷蔵庫、炊飯器、掃除機、エアコン、スチーマーなどを手に入れて、本人も家族も"便利になった”と喜んでいて、いろんな料理を作る”可能性”も広がっている。

作品としても、現代は便利な時代になってよかったね、という趣旨だとは思うのですが、私は、家電が増えるごとに、それを発電するために自転車を漕ぐ量が増えて疲弊していく四十郎、当初はこざっぱりしていたのにどんどん狭くなる家を見ていて、なんとも複雑な気持ちでした。

便利になっているはずが、労働が増えているように見える。空間はごちゃごちゃしてきているように見える。

 

そして、家事が減らない核心はここ。

 当時の私が夢見ていたのは、日々、昨日とは違うごちそうを食べ、広い家に住み、山のような服を毎日取っ替え引っ替え着る.......という、お姫様のような暮らしがしたいという「可能性」である。でもそれは冷静に振り返ってみれば、実は自分自身が本当に求めていたわけではなく、際限なくモノを売るために誰かが意図的にこしらえた一つの物語にすぎなかったのではないだろうか。
(中略)
お姫様は自分で家事をしているだろうか?もちろん、していない。お姫様の暮らしは、幾多の使用人がいてようやく成り立っているのである。
で、あなたの場合はどうだろうか。あなたが目指しているお姫様の暮らしを実現するために、幾多の使用人を雇うことができるだろうか。姫の暮らしを実現するのにお金を使うことが精一杯で、使用人を雇うお金など残っていないのが普通なのではないだろうか。ならば、誰が使用人になるのかというと、それは「あなた自身」ということになる。
 それこそが、我らがの家事がどうやっても楽にならない最大の理由なのではないだろうか。すなわち、我々は人生の可能性をポジティブに追い求めているはずが、いつの間にか自分自身が自分の欲望を叶えるための使用人になり、姫が欲を募らせるほどに、時間もエネルギーもどんどん吸い取られていくのである。冒頭で「可能性は危険だ」と書いたのはそういうことだ。(p.64-65)


そして、高度成長期の日本の一般家庭では、あるいは今も、”家事分担”という名のもとに、お母さんにその家事が偏って家庭内の将軍様・お殿様・お姫様の使用人になっていた、ということも少なくないのかもしれません。私も人のことが言えません。

一人ひとりが自分のことを自分でやった方が実は早い、というのは共同生活でも経験があります。食事だけはつくると洗うを分担する方が早いような気がしますが、自分でも食器洗いをすると思えば、料理の時に使う食器は減らしたくなるなど、最初から家事が少なくて済むような思考にもなります。

 

家事と老後

稲垣さんが家事について書こうと思ったのは、お母様が認知症になり、そこで体験したことがきっかけだそうです。

このパートは、胸にぐっときます。ぜひ読んでみてほしいです。


認知症になると、できないことが増えていきます。それは、認知症になる本人にとっても、家族にとっても、敗北感を伴うつらく、悲しいこと。

でも、だからといって、何もかもができなくなるわけではない。

多少ボケても元気に暮らしていく鍵を、稲垣さんは、近藤誠さんの著書「家族よ、ボケと闘うな! 誤診・誤処方だらけの認知症医療」で見つけていらっしゃいます。

アメリカの600人以上の修道女たちを対象に行ったナン・スタディから見えてきたことは、アルツハイマーの病変があるのに認知症を発症していなかった人たちは

「集団の中で、自分のできることはしっかりと行いながら、環境の変化の少ない暮らしを何十年も続けている」(p.122-125)

ということ。


もとからの生活をシンプルに、自分で面倒見切れるくらいのサイズに収めておくことが、結果的には老後も楽になるのかもしれません。


家事を特別なことにしない。

家事を複雑なものにしない。

家事を人任せにしない。

老後が心配な人は、お金の心配をするよりもこちらから始めてみると、いつの間にか、お金の心配も消えているかもしれません。

何度も言うが、家事ができるとは、一言でいえば「自分のことは自分でできる」ということ。日々健康的で美味しいものを食べ、すっきり片付いた部屋で自分に似合うこざっぱりしたものを着て暮らす。それができるのが「家事ができる人」だ。(p.86)

 

本書は、イベントで購入したため、サインも入れていただきました。(オンライン参加だったので、後日郵送で届きました。)

一緒に書いてくださっていた言葉は、「自分を信じて生きていく」。

ほんとに、そうですね。幾つになってもそうありたい。

 

 

なお、独立してみると、老後の考え方もだいぶ変わります。

以前にポッドキャストでも話しましたので、ぜひ合わせて聴いてみてください。

 

独立後のリアル

Ep. 105 フリーランスと老後(金曜討論シリーズ)

open.spotify.com

「独立後のリアル」は、人生本気で変えたい人のコーチをしてきた2人が、これからの時代を賢く生きるヒントを愉快に無責任に話すポッドキャスト番組です。毎週金曜21時、Spotify、Apple Podcast、Google Podcast, Amazon Music, Audibleなどで無料配信中。

 

また、本書の中で稲垣さんも絶賛している、こんまりさんこと近藤麻理恵さんの本は、私もイチオシです。「人生がときめく片づけの魔法」、もしまだ読まれていなかったら、ぜひどうぞ。

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寂しい生活

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