何でまだ読んでいなかったんだろう、と思うような出会い。
自分にとってのバイブルに1冊追加です。
自分の中に毒を持て<新装版>(岡本太郎氏 著、2017年12月初版、青春出版社、1993年に出版された文庫の新装版)
冒頭から飛び込んでくるこの文章。
この始まりを読んで、続きを読みたくならない人がいるかしら。
人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。僕は逆に、積みへらすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。
人生に挑み、ほんとうに生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命をひらくのだ。それは心身とも無一物、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。
今までの自分なんか、蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。
(中略)
自分らしくある必要はない。むしろ、”人間らしく”生きる道を考えてほしい。
(中略)
誰だって、つい周囲の状況に甘えて生きていく方が楽だから、きびしさを避けて楽な方の生き方をしようとする。
ほんとうの人生を歩むかどうかの境目はこのときなのだ。
安易な生き方をしたいときは、そんな自分を敵だと思って闘うんだ。
たとえ、結果が思うようにいかなくたっていい。結果が悪くても、自分は筋を貫いたんだと思えば、これほど爽やかなことはない。
人生というのはそういうきびしさを持って生きるからこそ面白いんだ。(p.11-15)
ひたすらに、いのちをかけてこの一瞬一瞬を生きよ、と迫ってくる。
おのれを殺して、おのれに挑め、と。
真剣に、無条件に、人生をひらけ、と。
危険な道を取って、ほんとうの意味で生きろ、と。
厳しさの奥には、人間に対する深い愛も伝わってくる。
ダメならダメでいいじゃないか。
人間は誰もが未熟なんだ。
そんなのを取り繕うから、おかしくなる。
そのままの自分で生きろ、と。
それが美しいんだ、と。
人生、即、芸術。(p.47)
何度も繰り返されるメッセージに共感できる今の自分を、少し成長したんだなとも感じます。
はい、確かにわかる。
きっとそうなんですね、ではなく。
太郎さんの次元には到底及ばないけれども。
本当に本当に微々たるものだけれども。
その感覚は、確かに体験したことがある。
わずかな瞬間かもしれないけれど。
ぼくがここで問題にしたいのは、人類全体が残るか滅びるかという漠とした遠い想定よりも、今現時点で、人間の一人ひとりはいったいほんとうに生きているだろうかということだ。
ほんとうに生きがいをもって、瞬間瞬間に自分を開いて生きているかどうか。
システムのベルトコンベアーに乗せられ、己を失って、ただ惰性的に生活を続けていというのなら、本質的に生きているとは言えない。(p.244)
フリーランスとして独立して、ウンウンと唸りながら、試行錯誤しながら全力で生きている今の日々は、この問いに
「はい、ほんとうに生きています」
と嘘偽りなく答えられる。
それはとても嬉しいことだと思います。
芸術は爆発だ。
あまりにも有名な太郎さんのこの「爆発」の意味を、私は本当にはわかっていなかったのだということも、この本で知りました。
そして、本来の意味を知って、これも、心の底から共感します。
“爆発”の秘密
ぼくは芸術と言ったが、それは決して絵・音楽・小説というような、職能的に分化された芸ごとや趣味のことではない。今世間で芸術と思っているのは、ほとんどが芸術屋の作った商品であるにすぎない。
ぼくが芸術というのは生きることそのものである。人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し爆発する、その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。
“芸術は爆発だ”
ぼくの気ままに使った言葉。(中略)
ぼくとしては昔からなれた言葉なので、何で今さら騒がれるのか、不思議な気がする。
ところで一般に「爆発」というと、ドカンと大きな音が響いて、物が飛び散り、周囲を破壊して、人々を血みどろにさせたり、イメージは不吉でおどろおどろしい。が、私の言う「爆発」は全く違う。音もしない。物も飛び散らない。
全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッと開くこと。それが「爆発」だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちのほんとうの在り方だ。
自分自身も爆発していたい。
クライアントさんが爆発していくのも、心からの喜びです。
一人ひとりが爆発したら、本当に、世界は、地球は、どこまでも広がっていくような気がする。
この記事はこんな人が書いています。
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以下は、私自身のための備忘的な抜粋です。
人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。
夢がたとえ成就しなかったとしても、精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ。(p.29)
しかし、よく考えてみてほしい。あれかこれかという場合に、なぜ迷うのか。こうやったら食えないかもしれない、もう一方の道は誰でもが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。それなら迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるなら。
そうじゃないから迷うんだ。危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとうはそっちに進みたいんだ。(p.31)
情熱というものは、”何を”なんて条件つきで出てくるもんじゃない、無条件なんだ。(p.40)
ほんとうに生きるということは、いつも自分は未熟なんだという前提のもとに平気で生きることだ。それを忘れちゃいけないと思う。(p.80)
人間は精神が拡がるときと、とじこもるときが必ずある。(p.85)
生きるということを真剣に考えれば、人間は内向的にならざるを得ないのだ。(p.90)
つまり、自分を大事にしすぎているから、いろいろと思い悩む。そんなに大事にしないで、よしそれなら今度から、好かれなくていいと決心して、自分を投げ出してしまうのだ。(p.94)
人間誰でもが身体障害者なのだ。たとえ気どった格好をしてみても、八頭身であろうが、それをもし見えない鏡に映してみたら、それぞれの絶望的な形でひんまがっている。しかし人間は、切実な人間こそは、自分のゆがみに残酷な対決をしながら、また撫でいたわりながら、人生の局面を貫いて生き、進んでいくのだ。(p.120)
何でもないことに筋を通すことの方が、カッコいい冒険よりもはるかにむずかしいし、怖ろしい遊びなのだ。(p.131)
人生うまくやろうなんて、利口ぶった考えは、誰でも考えることで、それは大変卑しい根性だと思う。繰り返して言う。世の中うまくやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。一応世間体もよく、うまくはいくかも知れないが、ほんとうに生きているのではない。流されたままで生きているにすぎない。(p.137)
失った人間の原点をとりもどし、強烈に、ふくらんで生きている人間が芸術家なのだ。(p.212)
人間の生命、生きるという営みは本来、無条件、無目的であるはずだ。何のためにこの世に来たのか。そして生きつづけているのか。ほんとうを言えば、誰も知らない。本来、生きること、死ぬことの絶対感があるだけなのだ。(p.223)
何でもいい、見物人ではなく、とにかく自分でやってみよう。動いてみよう。(p.238)
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