ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

窓ぎわのトットちゃん

昔から大好きな1冊。読書録に追加したくて、再読しました。

窓ぎわのトットちゃん」(黒柳徹子 著、1981年3月初版、講談社)

トットちゃんは、黒柳徹子さんご自身。黒柳さんが47歳頃の著作。

いわさきちひろさんの絵もぴったりはまって、愛らしく、あたたかな気持ちになる本。

今は文庫本が出ているようです。

 

窓ぎわのトットちゃん 新組版 (講談社文庫)

 

もともとは私の母の本です。

母が勧めてくれたのがきっかけか、あるいは本棚から勝手に取り出したか、子どもの頃に読んだ時は、私はすっかりトットちゃん目線で読んでいて、小学校の机のフタをパタン!パタン!と開けたり閉めたりする様子が可笑しくて、冒頭のそのシーンから大好きな本だったのですが、

今改めて読んでみると、これは、小林宗作先生という稀有な教育者が自由が丘に創設したトモエ学園の教育を世に伝える物語だったんだな、と気づきます。

また、まっすぐで生き生きとした文体からは、場面場面の様子や、気持ちがありありと伝わってきて、黒柳さんって文章もお上手なんだなぁということも改めて思いました。


そして、その小林先生の教育方針と子どもへの接し方にとても感銘を受けます。

本書の随所にその寛容さが窺える、いつもトットちゃんを信じて一人の人として接しているママとパパにも。

教育に携わる方、周りにお子さんがいる方にはぜひ読んでほしいです。

 

どんな大人が近くにいてくれるかで、子どもの世の中との付き合い方は大きく変わる

読むほどに、トットちゃんは本当に幸運な人だと思います。

あまりに落ち着きがなく好奇心のままに動きすぎて、先生をも手こずらせ、小学一年生の春に、入学したばかりの小学校を退学させられてしまうトットちゃん。

ご両親の考えで、トモエ学園に転入。

そこは、トットちゃんにとって、とても楽しく、自分らしくいられて、同時に生きていくために必要な人として大事なことを学ぶ場所になりました。


あとがきの言葉を引用します。

ここで私は、私の母に、心からの感謝を伝えたいと思います。それは、「退学になった」という事実を、私が二十歳すぎまで話さないでくれた、という事です。

二十歳を過ぎた、ある日、母が、

「あの時どうして小学校かわったか、知ってる?」と聞きました。私が、

「ううん?」というと、母は、「本当は退学になったのよ」と軽い感じで言いました。

 もし、あの一年生の時、

「どうするの?あなた、もう退学になっちゃって!次の学校に入ったって、もし、また退学にでもなったら、もう行くところなんか、ありませんからね!!」

 もし、こんな風に母にいわれたとしたら、私は、どんなに、みじめな、オドオドした気持ちで、トモエの門を、あの始めての日に、くぐった事でしょう。そしたら、あの、根の生えた門も、電車の教室も、あんなに、楽しくは見えなかったに違いありません。こういう母に育てられた事も私は幸せでした。(p.270, あとがき)


そして、入学できるかどうかを相談した時の小林校長の対応。

母親を帰らせて、トットちゃんと二人になって、

「さあ、なんでも、先生に話してごらん。話したいこと、全部」と促し、お喋りなトットちゃんがようやく話がなくなっても、「もう、ないかい?」と聴くのをやめず、たっぷり4時間、子どもの話を聴き続ける。話し終えたら、「じゃ、これで、君は、この学校の生徒だよ」と(p.28-30)。

...そのとき、トットちゃんは、なんだか、生まれて初めて、本当に好きな人に逢ったような気がした。だって、生まれてから今日まで、こんなに長い時間、自分の話を聞いてくれた人は、いなかったんだもの。そして、その長い時間のあいだ、一度だって、あくびをしたり、退屈そうにしないで、トットちゃんが話してるのと同じように、身をのり出して、一生懸命聞いてくれたんだもの。

(中略)

 あとにも先にも、トットちゃんの話を、こんなにちゃんと聞いてくれた大人は、いなかった。

(中略)

 このとき、トットちゃんは、まだ退学のことはもちろん、まわりの大人が、手こずってることも気がついていなかったし、もともと性格も陽気で、忘れっぽいタチだったから、無邪気に見えた。でも、トットちゃんの中のどこかに、なんとなく、疎外感のような、他の子供と違って、ひとりだけ、ちょっと、冷たい目で見られているようなものを、おぼろげには感じていた。それが、この校長先生といると、安心で、暖かくて、気持ちがよかった。

(この人となら、ずーっと一緒にいてもいい)

 これが、校長先生、小林宗作氏に、初めて逢った日、トットちゃんが感じた、感想だった。そして、有難いことに、校長先生も、トットちゃんと、同じ感想を、そのとき、持っていたのだった。(p.30-32)


そのあたたかさは、最初だけではなく、在学中ずっとです。

私のことでいえば、「君は本当はいい子なんだよ」、といい続けて下さった、この言葉が、どんなに、私の、これまでを支えてくれたか、計りしれません。もし、トモエに入ることがなく、小林先生にも逢わなかったら、私は、恐らく、なにをしても、「悪い子」、というレッテルを貼られ、コンプレックスにとらわれ、どうしていいかわからないままの、大人になっていた、と思います。(p. 266-267, あとがき)


今時の感覚で言えば、ともすれば、不登校になってもおかしくない。そんな状況でも、周りにいる大人の一つ一つの関わりや声かけが、小さな子供に力を与え、世の中に対して歪んだ認識を持つことなくすくすく育ち、のちにその個性こそが素晴らしく花ひらいて、私たちが知っているあの黒柳徹子さんという人になっていく。

すべての先生や親御さんがこういう存在でいてくれたらと思いますが、仮にそうでない場合は、周りの大人がそういう役割をとっていくのも大事だなと思います。

 

本当の教育

コーチングという職業をしているといろいろな人生のお話を聴くことになりますが、家庭や学校や若手の頃に職場で言われた言葉が「呪い」のようになって、身動き取れなくなっている例はとてもよくあります。

そんなんじゃダメだ。もっと早くやれ。どうしてそうなんだ。もっと上手くできないの?

そんなことでは成長できないぞ。そうじゃなくて、こう。そんなことをして一体どうするつもりだ!

そうやって言われた言葉が頭や身体にこびりついている。

そう言った人たちも、本人のためにと思って言っていることが多いとは思うのですが、この前提には、「自分たちの流儀に従え」「先生や親が思う理想の形でできるようになれ」ということがあるのかもしれません。(ちなみに、この ”本人のために” はかなり根深い話なので、ポッドキャストここみち便りなどで別途触れていければと思います。)

いつの間にか、「教育」が、世の中で良しとされていることに私たちを合わせていくことになっているのでは。それは本当の教育なのだろうか。教育って何だろうか。いろんな問いが浮かびます。


トモエ学園の創設者で校長の小林(金子)宗作先生は、牛込小学校の先生、成蹊小学校の音楽教師を務め、成蹊での教師時代に同校の創設者の中村春二氏に影響を受けた方。児童教育に熱意と問題意識があり、パリの学校で作曲家&教育者であるダルクローズからリトミックを学んだ後、小原国茂先生と一緒に成城幼稚園をつくり、その後、トモエをつくられたとのこと(小原先生は玉川学園を創設)。


小林先生の教育方針は、本書全体を通じて伝わってきます。あとがきにはこんな風にまとめられています。

小林先生の教育方針は、この本にも書きましたが、常に、

「どんな子も、生まれたときには、いい性質を持っている。それが大きくなる間に、いろいろな、まわりの環境とか、大人たちの影響で、スポイルされてしまう。だから、早く、この『いい性質』を見つけて、それをのばしていき、個性のある人間にしていこう」というのでした。

 また、先生は、自然が好きでした。子供たちの性格も、出来るだけ自然であること、と考えてらしたようですが、実際の自然も好きで、末娘のミヨちゃんの話によると、小さいとき、いつも、

「自然の中のリズムを見つけよう」

という先生に連れられて散歩に出かけたのだそうです。(p.268, あとがき)


身体に障害を持つ子も、日本語が得意ではない帰国子女の子も、分け隔てなく受け入れ、また彼らが居心地悪くなったりコンプレックスを持つことのないようにとても気をつけている。

だから子どもたちは、身体が不自由なお友達にも過度に気遣ったり遠慮したりすることもなく、一方で、できないことがあれば当然のように思いやりをもって助けたり応援したりする、そういう自然な友達関係をつくっていく。

ダイバーシティ&インクルージョンの先駆的学校ともいえます。


また、子どもは毎朝それぞれに好きな科目から勉強を始めて良く、みんなが早く終わったら先生引率のもとで九品仏まで散歩の時間。散歩しながら、実は自然科学や歴史などいろんな学びが詰まってる。

他にも日本で初めて小学校教育にリトミックが取り入れられていたり、人間が人間らしく生きるための教育が意識されていたことが伝わってきます。

「リトミックって、どういうものですか?」

という質問に、小林先生は、こう答えた。

「リトミックは、体の機械組織を、さらに精巧にするための遊戯です。リトミックは、心に運転術を教える遊戯です。リトミックは、心と体に、リズムを理解させる遊戯です。リトミックを行うと、性格が、リズミカルになります。リズミカルな性格は美しく、強く、すなおに、自然の法則に従います」(p.108-109)

リトミックの種類は、まだたくさんあったけど、とにかく、校長先生は、子供たちの、生まれつき持ってる素質を、どう、周りの大人達が、損なわないで、大きくしてやれるか、ということを、いつも考えていた。だから、このリトミックにしても、

「文字と言葉に頼りすぎた現代の教育は、子供達に、自然を心で見、神の囁きを聞き、霊感に触れるというような、官能を衰退させたのではなかろうか?

(中略)

 世に恐るべきものは、目あれど美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば、燃えもせず......の類である」

などと嘆いていた校長先生が、きっと、いい結果を生むに違いないと授業に入れたものだった。そして、トットちゃんは、イサドラ・ダンカン風に、はだしで走りまわり、とびまわって、それが、授業だなんて、すごくうれしいと思っていた。(p.111-112)


こういう教育で育ったら、偏差値はかならずしも高くならないかもしれない。でも、人間力は高まります。偏差値で学校を評価する仕組みの限界と歪みを感じます。


黒柳さんが1933年生まれだから、この小学校に通っていたのは1940年代。太平洋戦争の最中の日本でこんな教育が実現できていたことも奇跡とも思います。最後は空襲で焼けてしまいますが、それまで、当局から潰されたりすることもなく子供にとっての楽園が守られたのは、そして通った子供の一人がこうして本を出版してくれたのは、読み手の私たちにとっても幸運と思います。

どう見ているかは、伝わっている

本書では、トットちゃんの目線から、大人への信頼度や好感度が上がっていく瞬間が何箇所か描かれています。

”普通なら、そのトットちゃんの、してる事を見つけた時、「なんていうことをしてるんだ」とか「危ないから、やめなさい」と、たいがいの大人は、いうところだし、また、反対に、「手伝ってやろうか?」という人もいるに違いなかった。それなのに、
「あとで、もどしておけよ」
とだけいった校長先生は、(なんて、素晴らしい)と、ママはこの話をトットちゃんから聞いて思った。
この事件以来、トットちゃんは”トイレに入った時、絶対に下を見なくなった”。それから校長先生を”心から信頼できる人”と思ったし、”前よりももっと先生を好き”になったのだった。(p.66、もどしとけよ)

噺家が上手だと、トットちゃんは、大声で笑ってしまう。もし、誰か大人が、この様子を見ていたら、「よく、こんな小さい子が、このむずかしい話で笑うな」と思ったかもしれないけど、実際の話、子供は、どんなに幼く見えても、本当に面白いものは、絶対に、わかるのだった。(p.70, 落語)

トットちゃんがこの人を好きだ、と思ったのは、すべり終わって、トットちゃんが、みんなから拍手されたあと、この人が、腰をかがめ、トットちゃんの手を取って、とても、トットちゃんを大切な人のように見てから、
「サンキュー」
といったときだった。その人は、トットちゃんを、「子供」という風じゃなく、ちゃんとした大人の女のひとのように、あつかってくれた。そして、その男の人が、腰をかがめたとき、それは、トットちゃんが、心の底から、その人の優しさを感じるような、そんな姿だった。そして、その人のうしろには、真白な世界が、どこまでも、どこまでも、続いていた。(p.172-173, サンキュー, シュナイダーさんとのスキーの後で)

話を聞くと、先生は、少し困ったような顔でいった。

(中略)

「トットちゃん、そのリボン、ミヨが、うるさいから、学校に来るとき、つけないできてくれると、ありがたいんだけどな。悪いかい、こんなこと、たのんじゃ」

(中略)

トットちゃんは、少し残念だったけど、(校長先生が困ってるんだもの、いいや)とすぐ決めたのだった。それと、決心した、もう一つの理由は、大人の男の人が...しかも自分の大好きな校長先生が...リボン屋さんで一生懸命、探してる姿を想像したら、可哀そうになったからだった。本当に、トモエでは、こんな風に、年齢と関係なく、お互いの困難を、わかりあい、助け合うことが、いつのまにか、ふつうのことになっていた。(p.210-211, リボン)


年齢的にも身体的にも、トットちゃんはもちろんまだ子ども。できないこともわからないこともいろいろある。でも、人としての存在、センス、心は、生まれたときからひとりの人格であり、そのことについて大きいも小さいも、一人前も半人前もない。

そのことを言語表現できるようになるのは大人になってからだけど、自分がどのように見られているのかは、小さい頃から、ちゃんとわかる。自分をちゃんと一人の人として扱ってくれているかどうかは、よくわかる。


これは別に子どもに限らないのかもしれません。

新入部員や新入社員や何かを新しく始めた人を、できない人と見るのか。一人前の、心のある、可能性のある人と見るのか。


自分がコーチングを学んだCTIジャパンで、私のスーパービジョンを担当してくださった方のことを思い出しました。私がコーチをしているセッションの提出録音を聴いて、未熟すぎる内容にツッコミどころは満載で、具体的アドバイスも頂いたと思いますが、私の身体と心に強く刻まれたのは、その方が私の人としての大きさやコーチとしての可能性を私以上に見てくれたことでした。その愛情深い関わりは、試験に臨むときも、一番大きな支えとお守りになりました。思い出してもちょっと泣けてきます。


ちなみに、このCTIが用いているコーアクティブ®︎・モデルにある人間観「人はもともと創造力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である(People are Naturally Creative, Resourceful and Whole, NCRW)」は上記の小林先生の考え方にとても近いです。


今や私もプロフェッショナル・コーチを名乗るようになり、またご縁あってCTIジャパンでファカルティにもなり、クライアントをNCRWの目で見ることはもちろん、コーチングを学びに来られる方たちにも個性を生かして唯一無二の存在として輝いてほしいと思いながらコースをリードさせて頂いていますが、一定のスキルの習得支援と個性の尊重の両方の実現のために試行錯誤の日々で、小林先生のビジョンやあり方、人への関わり方はどれもとても刺さりました。そして、もっと探究したくなりました。どこま行っても学ぶことばっかりです。


久しぶりに読んでみると、違う視点での気づきがある。

これも読書の醍醐味ですね。

 

この記事は、こんな人が書いています。 

coaching.cocomichi.club

 

お気に召す記事がありましたら、ぜひシェア頂ければ嬉しいです。また、もしこのブログを読んで、ここで紹介されている本を購入しようと思われた際は、ここみち書店(神保町PASSAGEbis!内)、もしくは、このブログ内のamazonへのリンクを経由して購入頂けると幸いです。私にとって皆様が本に出会うことのお役に立ったことを知る機会となり、励みになります。 

 

 

小林先生の理念に共感なさる方は、この本もきっとお役にたつと思います。

www.cocomichi.club