ホリエモンこと堀江さんのYouTube投稿(ホリエモンチャンネル)をよく見ていまして、メディアだけではわからない情報や知識を得たり、ズバリと言い切ってくれる内容に共感したりして、楽しませて頂いています。
が、実は本は一冊も読んだことがなかったので、最新刊を読んでみました。
「東京改造計画 (NewsPicks Book)」(堀江貴文氏 著、幻冬舎、2020年5月初版)
報道では、東京都知事選への出馬はまだ明確ではなさそうですけれども、いやいや、もうこれは、提言に留まるというよりもマニフェスト。
文体も、「〜してはどうか」と言ったものではなくて、「〜したい」という表現。
さらに小池都知事の都政について正しているところから、余計に今度の選挙を意識している感じも受けます。
「経済」「教育・社会保障」「新型コロナウイルス対策」「都政」「未来の生き方」の5つの章にまとめられた37の提言(公約?)は、東京をこんな街にしたい!という思いに溢れています。今の都政に対する苛立ちも伝わってきます。
37項目の全項目のタイトルは、Amazonの本の概要のところで見ることができます(「続きを読む」をクリックすると出てきます)。
個人的には37項目中、8割くらいは是非やったらいい、または、やってみてもいいかもしれない、と思いました。それは嫌だ、やめてほしいと思うのは1項目くらい。(その他は、私はとしては、どっちでもいい。)
オンライン選挙や「正解」を教えない教育なんかは、今すぐにやってほしいと思います。
読者も一度は考えたことがあるであろうアイディアも見つけることができると思うので、共感する人も多いかもしれません。
また、「第二章 教育・社会保障」は今、喫緊の対応が求められているところでもあり、学校の先生方もこの部分は新しい視点を得る参考となるのではないかと思います。
「東京改造計画」。
東京を改造して何を実現するか。
それは都民一人ひとりが「未来の生き方」をできるようにすることだ。
僕らはそろそろ「労働」や「お金」から解放されてもいい。
自分の好きなことややりたいことに没頭し、遊ぶように生きよう。(p.161)
刺激的な表現をするために何かと炎上する堀江さんではありますが、その姿勢には政治家の方々はもちろん、私たちも学ぶべきところがたくさんあります。
提言内容の詳細については本書を読んで頂くとして、ここでは、私たちが学べる姿勢について、私なりの視点で書いてみたいと思います。(もちろん、見習わない方がいいと思うところもありますが、それらは一旦横に置いて。)
究極の当事者意識
本書の「あとがき」執筆日は2020年5月19日。
本書全体も、新型コロナウイルス感染後の日本や東京の状況を踏まえて書かれています。
どうしてこんなスピードで200頁の本を出版できるかといえば、
ここに書かれていることは堀江さんがコロナ禍の前からずっと考えていることを表現しているだけだから、だと思います。
コロナはある意味、堀江さんが以前から発信していた日本の課題と日本に必要な変革を、喫緊の課題として全ての国民に突きつけた形。
きっと、時代が自分に追いついてきたと思っているのでは。
(マインドに関する部分だけで言えば、大変おこがましい話ですが、私もちょっとそう思っています。笑。)
そこにあるのは、誰かが規定する社会の中でただ生きるのではなく、自分たちの社会は自分たちで創る、という意識だと思います。
今ある常識は過去の誰かが作ったものだ。これからの新しい常識は僕たちの手で作っていかなければならない。(p.104)
私たちは、この社会で生き、共に社会を創っていく一市民である、という社会科の教科書に出てきそうな言葉を、今の日本国民のどれくらいの人が、本当の意味で意識し、実践しているでしょうか。
政府がそう言うから、役所がそう言うから、とただ従う。
それだけでは、結局は、誰かの決める枠組みに従って生きているだけです。
政治家をただ批判したり、ケチをつけたり、行政に文句を言っているだけなのも、結局同じです。
そこからは何も生まれません。
今に不満ならばどうしていきたいのか、それを自分たちで考え、自分たちでつくっていく。
私たち自身、都知事に立候補せずとも、日常の範囲でもできることは沢山あるはずです。
ポジションを取る
政策や対策に対して、批判するのは簡単です。
「こうしたらいいんじゃないですか」という案を思いついたり、投書・投稿したりするのも、そんなに難しくありません。
でも、そこまでのステージと、「いろんな批判はあると思うけど、私はこうしたいと思う。」さらには「こうする。」と自分の言葉で表現するというステージには随分の開きがあると思います。
本のカバーの内側に書いてある言葉がとても象徴的でした。
僕は、どんな攻撃を受け、反対意見にさらされようとも、
自分の言葉で提言を続ける。
自分の行動で証明し続ける。
自分の意見を持ち、さらにそれを表現する人々を見て、傲慢であるとか、エラそうであるとか、人は色々言います。
けれども、これは、実は簡単なことではありません。
日頃の会議の場ですら、上司や同僚、部下からの反応や評価を心配して自分の意見を言わないということが沢山起きています。
公の場で、氏名を明らかにして、発信していくというのは、とても勇気のいることです。
みんなが内心思っていながらもタブーと思って言えていないことだったりすれば、なおのこと。
勇気を持ってポジションを取ってくれる人がいるから、議論や対話が展開します。
日本は昔から、村八分とか、出る杭は打たれるとか、奇抜なことを言うと袋叩きに合う文化ですが、そろそろ、もっとこういう、議論の呼び水となってくれる人たちの価値を大切にすべきではないかなと思います。
「叩き台」っていう言葉も、改めて思うとナンダカナ、という感じもしてきます。
英語だとstarting pointとか、basis for discussionとかでしょうか。
また、最初に取ったポジションから変えることにも、私たちはもっと寛容でいいと思います。
論を戦わせることで決めたいのは個人の勝敗ではありません。
この社会や組織が進む方向です。
その議論や対話によって、自分にとってよりよいものがわかった。
いいじゃないですか。それで。
論を戦わせたもの同士、合意した案で、一緒にやっていこう。
ますますいいじゃないですか。
第一次情報を自ら体験している、または、入手している
堀江さんの発信に私が耳を傾けるのは、話が上手で面白いからだけではありません。
展開する主張が、ご自身の体験や、自分で調べたこと、その筋の人に直接話を聴きに行って得た情報など、いつも、堀江さん自身が獲得して、ご自身で納得した一次情報に基づいているからです。
これは、とても大事なことだと思っています。
私が会社員時代に部下からの報告でいつもカチンと来てしまっていたのが、「XX部署のXXさんがそう言ってました。」「そういうことだと聞いています。」という根拠。
実際は、よくよく調べていくと、はるか昔の話だったり、元々の情報源は違う趣旨で話していたことがねじれて伝わっていっていたりします。
確からしいソース(情報源)に自ら当たっているか、ということは、その人がその問題についてどれだけしっかり考え勉強したか、ということの表れでもあると思います。
原典・原点に当たれば当たるほど、問題の本質も見えてきます。
ポジションを取ろうとすれば、自ずとこういうこともしたくなってくるとも言えると思います。
若い人たちも含め、いろいろな人たちから学んでいる
上記にも関連しますが、交友関係が本当に幅広い。
そしてそれは、権力者や母校の東大といった人脈ではなく、ご自身の判断で面白いと思った人たちと付き合っているということだと思います。
そこには、年齢も、学歴も、職業も、稼ぎも、国籍も、関係ない。
外身ではなくて、中身の人間を見ている。
よっぽど、その辺の普通の人の方が、無意識のレベルで、外形的なもので人を評価・判断していたりします。
ちゃんと反論に答えている
各種メディアでの発信がよく炎上していますが、実はそれに真面目に応答していたりして、律儀だなとも思います。(さらに炎上して注目を集めるための意図的な行動なのかもしれないけど。)
もう一度言おう。これは暴論だと炎上するだろう。
しかし、ここで伝えたいことは常識を一回疑ってゼロベースで議論してみようということだ。僕はそのための過激なお題を投げ続ける。
全ての進化はそこからしか生まれない。(p.105)
政治家が、国民の質問に真正面から答えている例は、どれくらいあるでしょうか。
国会答弁ですら、議論がすり替えられています。
だって、真正面からは答えられないから。
いろいろな事情で。あるいは十分に情報や知識を持ち合わせていないから。あるいは自分の意見がないから。
表現が辛辣なので見下しているようにも聞こえるのですが、問われたことに真正面からデータも引っ張り出して答えていて、ある意味、むしろ対等に扱っている。
質問をかわすような態度や通り一遍の答弁で、国民を馬鹿にしているのかと思ってしまうときもある官職の方々より、よっぽど真面目だと思ってしまいます。
4年に1度の東京都知事選、次回は今年6月18日告示、7月5日投開票。
告示日を書いてみて、緊急事態宣言解除後の東京の段階的緩和の最後のステップが6月19日予定なのは、これと何か関係があるかしら?、と思ってしまう。
堀江さんが出馬されたら、メディア的にはとても面白いことになるだろうとは思います。
ただ、公的機関は、法律などの縛りが本当に多くて、身動きが取りづらい。社会に変革を起こすなら民間の立場の方がよっぽどやりやすかったりします。
堀江さんの目指す3S(スピード、スマート、スモール)を実現するには、公的な立場になって手足を縛られるよりも、今のようなやり方で都政に外圧をかける立場でいる方が、自由かつ大胆に変革を起こしていけるような気もします。
いずれにせよ、日本の首都はどんな街であるのがいいのか、みんなで思いを巡らすときですね。
著書を調べていたら、なんと、このコロナ騒ぎの2月から今までの4ヶ月程度の間に本書も含めて、6冊も見つかりました。冒頭で5月30日付の本書を最新刊と書きましたが、すでにその後に1冊出てる・・・。
手を動かしてくれる人がいるとはいえ、すごい。さすがの多動力。
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