読書録、時々、映画録。
Stay Homeで、Amazon Primeで見ました。
過去の何かの視聴履歴に基づいてAmazonが薦めてくれたものと思いますが、面白かったです。
フィンランド映画:「365日のシンプルライフ」(原題:TAVARATAIVAS、英題:MY STUFF、Petri Luukkainen監督・主演、2013年)
「本当に自分にとって大切なものは何か?」ということに否が応でも向き合わされる今この新型コロナウイルス禍の最中、共感する人が多い映画なんではないかと思います。
人生に必要なモノとは
僕はモノに支配されそうだった
部屋はモノだらけだが心はからっぽだった
なぜ不幸なのかを考える場所が必要だ
26歳のペトリは、彼女にフラれたことをきっかけに、自分の持ちモノ全てをリセットする「実験」を始めます。
ルールは4つ。
①持ちモノ全てを倉庫に預ける
②1日に1個だけ持って来る
③1年間、続ける
④1年間、何も買わない
この実験の発想が面白いな、と思います。
持つものすべてを倉庫に預けて、パンツもナシからDay 1 がスタート。
なるほど、1つ目はそれか!と思いました。
私だったら1つ目はなんだろう。。。
生活にどうしても必要なものは、実はとても少ないのかもしれない。
それを超えてモノが増えていくのは、例えば、誰かを想うとき。
その過程が、なんだかじんわりしました。
一緒にこの実験を助けてくれる友達や、理解してくれるおばあちゃんの存在も素敵です。
人生はモノでできてない
モノはただの小道具よ
ではいったい、人生は何で出来てるのか。
じゃあ、なんで私たちはモノを持つのか。
そんなことを改めて感じさせてもらえる作品でした。
生活に必要なものは●個くらいとわかった。
その次の●個は生活を楽しむため。
いくつくらいだと思われるでしょうか。
答えはどうぞ、映画にて。
少しだけ、似た体験
これ見ながら、自分が今の部屋に越してきた時のことを思い出しました。
ここまでエクストリームではないのだけど、ちょっと似てるな、と。
最初に部屋に持ってきたのは、大げさにいえば、仕事に必要なものと、食事に必要なものと、洋服と、本と、ベッドのマットレスと掛け布団だけ。
ガランとした部屋で、マットレスを床に置いただけのベッドで眠って、淋しかったり、一体私はこんなところで何をやっているんだと思ったり。どんな家具を買おうかと悩んだり、ワクワクしたり。
モノがないならないなりに生活を続けられてしまうことを体験して、家って何なんだろう?って思ったり。
カーテン、冷蔵庫、洗濯機、ベッドの台、ソファ、テーブル、椅子、キャビネ、炊飯器、電子レンジ、カーペットと、どれも私には大きな買い物だから、徐々に徐々に、ゆっくりと吟味して買い足して、
調理器具は友達からももらったりして、
家具の組み立てには友達にも手伝いに来てもらったりして。
テーブルを買うまでは、ダンボールに布をかけて代用したりもしました。
電子レンジは、数ヶ月なしで過ごしていたかも。
テレビは持たないままでも生活できてしまったので、結局買わず仕舞いです。
所有とは責任でありモノは重荷になる
どんな重荷を背負うか 僕は自分で決める
新型コロナを受けて、人の考え方やライフスタイルは、どっちの方向に行くのかな、と興味深くみています。
一時の超ミニマリスト志向から、一定程度の買い置きは必要という方向にまた振れるのかもしれません。
テレワークがどんどん進んで、都心回帰よりも、のびのび広い家の方がいいということになるかもしれません。それは、持てるモノ・持ちたくなるモノの量にも影響しそうです。
自分の体験としては、モノが少ない生活はラクです。
本当は、できれば、ちょっと足りない、くらいで生活したいなと思います。
それがわかっているのに、街で、旅先で、素敵なモノを見つけるとつい手に入れたくなってしまう。
思い出の品も、年齢を重ねるごとに増えていきます。
ストレングス・ファインダーで「収集心」が第3位の私。
捨てるのはとても苦手。
理想としては、何かのご縁で私のところに来たモノは、存分に使って、手放すことができるといいな、と。
モノだけではなく、目に見えたものも、聴こえたことも、感じたことも。
私にとって、この読書録はやFacebook投稿は、表現によって収集を形にして、手放すための場でもあったりします。
そして、自分は、できることなら身軽でいたい。
お題「#おうち時間」
ちょうど先日、「実験」について書きました:
モノのほとんどは不要不急なのかもしれない:
この辺りの本、映画、思い出します:
(お気に召す本や映画があればシェア頂ければ幸いです。)