ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

90歳セツの新聞ちぎり絵

何がきっかけで見つけたかわかりませんが、いつからか、ツイッターで木村セツさんの新聞ちぎり絵をフォローしています。
ちぎり絵展を開催中というツイートが流れてきて、それは行かなくちゃ!と急遽行ってきました。
場所は表参道の山陽堂書店さん。
そして出会ったのが本書「90歳セツの新聞ちぎり絵」(木村セツ 著、編集協力:木村幸子(娘さん)、木村いこ(お孫さん)、2020年2月初版、里山社)

2階で作品を見て、1階で本書を買い求め、3階でコーヒーを頂きながら一気に読みました。

 

90歳セツの新聞ちぎり絵

 

読後の感想は、「尊いなぁ・・・」。
言葉にすると、とても陳腐になってしまいますが。

何が尊いって、セツさんの人生そのものが。

ちぎり絵を始めたのは、ご主人が亡くなって、することがなくなって。
気力を失っているのを心配した娘さんがすすめられて。
その時が90歳。

ご自身の人生は、戦争があって、戦争や病気で兄や姉を何人も失って、自分も空襲で死ぬかと思った、若い頃は何もいいことがなかったと。
結婚して、子供を産んで、ご主人が体が弱かったことを補うためにも働いて。
仕事も、養鶏や農業や喫茶店や、その時々で必要なこと、できることをやってきた。
趣味があるわけでもなく、必要なことをやってきた。
かといって嫌嫌というわけではなく、その中でも楽しみを自ら見つけてやってきたことが伺える。
悲しみを経てきたけれど悲観する感じもなく、今できることに真摯に力を注いできたことが伺える。

生きてくってそういうことじゃないか。
それ自体が、というか、それこそが、とても尊いことじゃないか、と。

つらいことも、悲しいことも、たいへんなことも、生きていたらいろいろあるけど、それでも生きていく。
亡くなっていく人たちがいる中、残された者は、今を生きていく。

現代の私たちは、もしかしたら、成功した、失敗した、失業した、離婚した、受験に失敗した、病気になった、お金がない、趣味がない、など、自分や他者の身の回りに起きることや状況を過度に大きくとらえすぎているのかもしれません。

考えを巡らせたところで、あらゆる策を講じたところで、
起きることは起きるし、起きないことは起きない。

できることは、今日という日に、創り出すことにエネルギーを注ぐだけ。
それが仕事かもしれないし、ちぎり絵なのかもしれない。

そんな人生や生き方が伝わってくるような作品の現物を見て感動し、
本を読んで心が温まり、
そしてコーヒーでさらに満たされる、そんな夕方でした。

 

作品も、本当に素晴らしいです。

絵は苦手と言っていたはずの人が、お孫さんの言葉を借りれば、

祖母が作った最初の作品を見た時、驚きで言葉になりませんでした。
モチーフの選び方ひとつにしても、新聞のパーツ選びにしても、最初から感性が爆発していました。(中略)
これまでの人生で見てきたもの、感じてきたものが溜まりに溜まって新聞ちぎり絵で爆発したのかもしれません。それも九十年分も溜めていたので、その爆発力はすごいです(p.111)

 

私も祖母もセツさんと同い年で、本当に一生懸命働いてきた人で、とても近しいものを感じます。
祖母も畑仕事や工房での仕事の合間に創っていた手毬の出来栄えや、庭から取ってきた花でさっと生けるセンスは素晴らしく美しく、この世代の人たちは誰かに習わずとも、買って来ずとも、自分で創るということが自然にできる人たちなのかもしれません。

 

娘さんやお孫さんが編集をしたり、没頭するセツさんを見守ったりする様子が伝わってくるのも素敵です。

 

木村セツ&木村いこ 祖母と孫の2人展は、今週土曜日まで。
私のお気に入りは、ソフトクリームの作品🍦。


「趣味はなんもなかった。食べるだけが趣味でした。もうずっと働いていました。よう働きました。おとうさんが亡くなる前に、私に、いくつになっても勉強せなあかんって言うたんです。その言葉が残ってるんやと思います。私もちぎり絵するから、おとうさんのことほんまに全然思わんようになりました。」(帯より)

 

 

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