よく行く本屋さんをパトロールしていて出会った本。
かなり面白かったです。
家族って何? 親子って何? 父親と母親って何で決まるの? ということについて、新しい視点をもらったり、改めて考えさせられたりしました。
家族法を専門とする女性弁護士の視点ということで、好きに生きよう!といった精神論や、社会学的な見解だけではなく、法律や判例やそこに編み込まれている歴史や社会の考え方が紐解かれていくのが新鮮でした。
昨今のLGBTQ関連のニュースなどを耳にする度に、「この話は、人権や性の趣向という話を超えて”家族”の話になるな」とも思っていたので、そういう意識にも応えてくれる本でした。
アメリカの最近の状況もわかったり、それとの対比で見る日本の「家」の考え方なども、なるほどなるほどと思いました。
終盤、感覚的にややわからないと感じるところもありましたが、それを割り引いても、いろんな人が読むといい本だなと思います。
「「ふつうの家族」にさようなら」(山口真由氏 著、KADOKAWA、2021年2月初版)
内容は本書を読んで頂くとして、今回は私が本書を読んで感じたこと。
37歳未婚の女性という立場からのリアルな声を赤裸々に書くその姿勢に、私のパンドラの箱を開けられた感じもします。
その姿勢に敬意を表しつつ、私も普段より踏み込んでみようという気持ちになりました。
”ふつう”について思うこと
いつの間にか、マイノリティ
本書を読んで、私がまず私が思ったこと。
「あ、私、いまだに、”ふつう”であろうとしていたんだな。」
「あ、私、いまだに、”ふつう”でないことに後ろめたさを感じているんだな。」
40代、バツイチ、子供なし。
世界的に見ても、とっくにマイノリティなのに。
私が日頃接する方々は、配偶者や子供の有無に関わらず思いっ切り仕事して思いっ切り遊び、また、気持ちの良い付き合いをしてくださる方ばかりなので、あまり家庭の有無を意識させられることはありません。
また、世の中的にも、シングルマザーの方々のように”弱者”として世間から見られたり、特別な優遇策があるわけでもないので、
日々生活していると、マイノリティだということをすっかり忘れがちになります。
自覚させられるのは、例えば、こんなとき。
公的なサービスや税制などが配偶者や子どもがいる家庭を前提にしているとき。
ホームパーティーなどで皆が夫婦・子連れで集まって、自分だけが単身というとき。
ああ、そうだった、いつの間にか、私はマイノリティになっていたんだなぁ、と。
ちなみにこの記事を書くにあたり、国勢調査を調べてみたら、40代女性の90%が配偶者and/or子どもと暮らしているということだそうで、確かに私はマイノリティだと、改めて自覚した次第です。
10%ではマイノリティとは言わない、ということであるならば、少なくともマジョリティではない、という表現と、適宜、読み替えてください。
"ふつう"が私たちを苦しめる
マジョリティの中にいる世間一般の方々の言葉や視線は、時に、悪気なく、無意識に、暴力的です。
何気ない一言にこちらの気持ちがザワつくこともあるし、
「かわいそう」「イタイ」「触れてはいけない」という視線や空気を感じて居心地悪くなる場面もあります。
そんな時の私の気持ち。
「すみません。私も、パートナーも子供も持たないと決めて生きてきたわけじゃないのですが。子供は天からの授かりものだからともかくとして、パートナーはいつも欲していて自分なりにベストは尽くして生きてきたつもりなのですが。どういうわけだか、今はこういうことになっていて。今もとても幸せですけど、もちろん、もっと幸せになりたい気持ちもあるんですけど。」
こういう痛みがあると、他者の痛みにも敏感になります。
例えばテレビなどで、こういう子供への関わりがあったりすると、私は「無神経だな」と思います。NHKに多い気がしますが・・・。
「夏休み、どこに連れて行ってもらったの?」
「お父さんにこれを買ってもらったんだね。よかったね。」
このテレビを見ている視聴者の中には、
どこかに連れて行ってくれる人がいない子供もいるかもしれない。
お父さんがいない子供もいるだろうし、お父さんがいても、何も買えない家庭もある。
「話し手の中に無意識に存在する”ふつう”」によって、知らぬところで、けっこう人が痛みを感じていることがあると思います。
こういう些細なことが、「自分は"ふつう"じゃない」という感覚を植え付けていくことになり、そこからコンプレックスなどが生まれていく発端にもなり得ます。
どなたか忘れましたが、お笑い芸人の方が、「子供むけのクリスマスイベントなどで、"お父さん" "お母さん"という言葉は使わないようにしている」とおっしゃっていて、その感性にはとても共感しました。
”ふつう”に潜む驕り
こういう痛みが起きるのは「その人はどういう環境にあるのか」という客観的事実の観察を超えて、
「"ふつう”でないことはかわいそうなことだ、哀れなことだ、大変なことだ」
という評価が世の中と個々人の中にあるからだろうと思います。
両親は揃っているのが"ふつう"。
父母には愛されるのが"ふつう"。
子供は親を想うのが"ふつう"。
結婚するのが"ふつう”。
結婚したら、子供を持つのが"ふつう”。
現実には、片親の環境で育つ人もいるし、実の親から愛情をもらえないこともある。
結婚したくてもできない人もいる。
確かにそこには、辛い気持ちや、淋しい気持ちがある時はあるだろうと思います。
けれども、それを他者が「ひどく可哀想がる」「憐れむ」接し方をする人を見ると、そこに私は、
暗にそれは”ふつう”が上で、”ふつうじゃない”のが下、
”ふつう”が良くて、”ふつうじゃない”のが良くない、
と見ているような傲慢さを感じてしまいます。
確かに淋しい。大変なこともある。
だから、周りの人が支えればいいじゃないか。
そこに可哀想だという視点は要らないのではないか、と。
”ふつう”って何だろう?
結局、戻ってくるのはこの問い。
”ふつう”は、辞書によれば、「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。」
何が、誰が、”ふつう”を決めるのだろう。
最初はその時代の人たちに多く共通する生き方・考え方、でしょうか。
それが社会的制度によってガチッと固められ、
さらにメディアによって煽られる。
あるいは逆のような気もします。
先に制度があり、メディアが煽り、それにより庶民の"ふつう”がつくられる。
例えば女性と妊娠・結婚について。
生まれてから卵子は減る一方なのに、高校生・大学生で妊娠すれば「早すぎる」、下手をしたら「ふしだらな」。
若い女性がいろいろな挑戦をするともてはやされるのに、35歳過ぎても独身でいれば「遅すぎる」。
大学卒業してある程度経験積むまで働いて、でも高齢出産となる前に妊娠して、なんていうと”ふつう”の出産年齢は27、28〜35歳くらい、と、寿命は伸びる一方なのに、むしろ”ふつう”な出産期間はむしろ短くなってるかも。なかなか狭い。
社会がつくる「こうあるべし」が、生理的なことに逆らって、いろいろややこしくする。
例えば、子供を産む環境。
両方の親が揃っているべき。
その親は夫婦であるべき。
そういう「〜べき」から解放されて、例えば「妊娠したらそのタイミングで出産する、社会みんなで育てる」というのが"ふつう"だとしたら、日本の少子化はあっという間に止まるのではないか、とちょっと本気で思っています。
動物の世界は、避妊具などもないですから、こういうことだろうと思います。
誰もが痛みを持っている
一方で、もしかしたら、統計上マジョリティ側に入っていらっしゃる方々も、私にはわからない痛みや葛藤、苦しさがあるのかもしれない、とも思います。
パートナーもいて、子供も望んでいるのに、様々な事情で子供を持つことができない痛み。
家族があるのにそこから愛を得られない痛み。
"ふつう”の中にもいろんな競争があって、苦しいのかもしれない。
”ふつう”から振り落とされないように、苦しいのを堪えて頑張っている場合もあるのかもしれない。
結局、人間、生きている限り、何らかの痛みを持っている。
その点において、みんな同じ。
一見”ふつう”に見える家族も、よくよく話を聴いてみれば、
兄弟のお母さんは別の人かもしれない。
養子に来たのかもしれない。
障害を抱えていらっしゃる方もいるかもしれない。
”ふつう”なんていうのは、実はどこにも存在しなくて、幻想なのかもしれない。
日本では面白いパラドックスも起きているなとも感じます。
学校の制服など全員一律のものを嫌ったり、自分が特別な存在であろうとする人は少なくないのに、一方では"ふつう”を求めている。
”ふつう”の範囲内のユニークさ?
そのストライクゾーンはなかなか狭そう。
本書のこの言葉は、私にはとても響きました。
「ふつうであることなんて、あきらめてしまえばいい」と。(p.65)
法律や権利が物事をややこしくする
おそらく、人間の本能的・生物的なところでは、どんな事情があれ、そうなった状況に応じてそれぞれに生きていく。
困っていたら、きっと助け合う。
けれども、母親と名乗れるのは誰か、父親と名乗れるのは誰か、養育すべきは誰か、そういう権利や義務を法律で決めていこうとするからややこしくなる。
夫婦だとこういう権利があって、そうでないとこれはない、とかするからややこしくなる。
形ばかり法学部に在籍した身ですが、最近、「法律こそ、世の中を整えるのではなく、むしろややこしくしているそのものではないか?」などと思ったりします。
人に必要なのは、究極、ぬくもり
いろいろ思いを巡らせて、今私が至る一つの考えは、
「人は、生きていくために、ぬくもりを必要としている。」
そのぬくもりは、すべて、家族から与えられるべき。
家族の愛は、家族の中で注がれるべき。
世の中全体がこれを正しいとしているかのように見えるから、苦しくなる。
親戚・近所の人、その他周囲の人から与えられているぬくもりも受け取れなくなる。
家族の外に対してぬくもりを渡さなくなる。
本当は、そのぬくもりは、きっと誰からもらってもいい。
こういうことを書くと不愉快に感じられる方々もいるかもしれず、少々勇気がいりますが、
「うちの子、うちの子」と、至近距離から過剰なまでの愛情を注ぎ、管理し、あたかも所有しているかのような親御さんに遭遇すると、ちょっとザワザワします。
我が子が最も可愛いというのは至極当然なことなことですが、それ以上ではないのではないか、と。
生まれてきた子どもは、宇宙がたまたまその家にその生を授けただけのことであって、本来は、社会の皆の子どもなのでは。
だから皆で育てればいいのでは。
そうでなければ、単身者から集められた税金が子育て世帯に割り振られるのをは、一体なんでなんだと。
不妊治療や卵子凍結や精子提供に反対意見を述べるつもりはないですが、それぞれの事情で子供がいない人は、生物の自然な流れを受け止めて、社会の中で子供にぬくもりを提供する存在になっていけばいいのでは、
そのぬくもりを子供が受け取ることも、親御さんは喜んで受け取らせたらいいんじゃないか、と、いうのが個人的な見解です。
単にロマンチストなだけかもしれません。
ただ願うのは、自分も含め、誰もがぬくもりを感じて生きていけること。
平等について思うこと
最後に、もう一つだけ、感じたこと。
フェミニズムについても、元々あまり知らなかったので、この本でだいぶ勉強になりました。
男女平等を獲得していくための一連の歴史。
その恩恵を私自身も受けているだろうと思います。
一方で、生物としてどうしようもない性差がある、とも思います。
この文章に、とても共感しました。
加齢と生殖能力関係の男女の違いについて述べられた上で、
必死で勉強した学生時代、男子に比べて自分が不利だと思ったことはない。懸命にもがいていた社会人の時にも、色々思うところは増えても、決定的に不公平な扱いを受けたためしはなかった。でも、ここにきてはじめて、私は男女の差をアンフェアだと心から感じた。50 代で血のつながった子供を持てる男性はめずらしくもないのに、女性の場合にはそれがほぼ不可能なのだ。(p.55)
この気持ちは、男性にはわからないものだろうなぁと思います。
フェミニストの立場からは、「生殖に関する新しい技術が男女の非対称性を解消する」(p.52、シュルツ教授の論文の引用)として、技術革新に期待が寄せられる、という方向もありうると思うのですが、
個人的には、そこまでして生物の理に逆らうのだろうか?と素朴に思ってしまったりもします。
例えば、卵子凍結や卵子凍結。精子ドナー。
本書で、アメリカの精子バンクの事情を知り、これもまたすごい世界だなと思いました。
精子をもらいたい女性は、誰の精子をもらっても同じ料金で、誰の精子をもらうのかを選べない代わりに、
精子ドナーになる条件は厳しく設定されていて、精子提供希望者の1%しかドナーになれないのだとか。
その条件とは、伝染病の検査、自分や家族の病歴のチェック、身長や学歴の最低条件などなど。
”エリート”な男性にとっては”おいしい”バイトで、名門大学のキャンパスでは、精子バンクがイベントキャンペーンを張ったりもするそうで、まるでサークルの勧誘活動のような。
(登録できる人・できない人の間で優越感・コンプレックスのようなものも生じるのでしょうか。男性も男性で、女性にはわからない気持ちを経験されているのかもしれません。)
平等を求めた結果として、男性と同じ時期に高い学歴を得て仕事で成果を出そうとするから、タイミングなどが難しくなってきたという新たな課題が生じてきたとも言えるわけで・・・。
そうしたら、そこにまた新しい解決策を、というのは、なかなか終わりのない感じもします。
例えば、性差があることを受け止めたうえで、例えば、若いうちに産みたければ産んで、幼少期は一緒にいて、25過ぎてから大学に行く・休学するとか、30過ぎてから初就職する、というのが至極当たり前になれば、育児か・仕事か、などとお母さんたちが引き裂かれる思いもしなくても済むのではないか、など、思ったりします。
いろいろ思うところが出てきてなかなか思考がまとまらず、つらつらと書いてしまいました。
普段読まない本を読むと、刺激があります。
よかったら皆様も、いろいろ考えてみるきっかけとなさってみてください。
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思い出す本。久しぶりに読みたくなりました。
思い出す映画。名作。
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