新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
新年の記事は、この年末年始に読んで刺さりすぎた1冊から。
「新インナーゲーム 」(W. Timothy Gallway氏著、後藤新弥氏 訳・構成、2000年7月初版、日刊スポーツ出版社)。
副題は、「心で勝つ! 集中の科学」。
自らも優れたテニス・プレーヤーであるW.T. ガルウェイ氏(ハーバード大学のテニス部主将)が、ティーチング・プロとしてレッスン生にテニスを教える中から(より正確にはレッスン生を観察する中から)得られた気づきをベースに作った上達のためのモデル「インナーゲーム」について説明する本です。
もともとの本は「インナーゲーム」 として、アメリカでは1972年に、日本語訳版は1976年に出版されていて、本書はその改訂版です。とはいっても、基本的なアイディアは当初から変わらないとのことです。
「72年の初版以来、日本を含めた世界各国で高い評価を得て、「インナー・ゲーム」理論はスポーツ界に定着した観がありますが」(p.5)とあるので、スポーツの世界の方々、ずっと以前からコーチング等をされている方々には、常識的に知られている本なのかもしれないですが、恥ずかしながら今回初めてこの本を知りました。
今時の言葉で言うと、選手がZONE(ゾーン)に居続けるためにはどうしたらよいのか、ということを書いている本です。
テニスが主要な題材とはなっているものの、ガルウェイ氏は大学卒業後にヨガや東洋思想を研究していたこともあるとのことで、書かれていることは極めて普遍的です。40年以上経った現代でも全く古さを感じない理論で、テニス以外のスポーツはもちろんのこと、ビジネスや人生一般についても活用できるものです。
また、私に一番刺さったのは、プレーヤー自身の視点よりも、選手がZONEを体験できるように、居続けられるように、指導する側の人間がすべきこと・すべきでないことは何か、という支援者としての視点での学びでした。
教育、指導、メンタリング、コーチング、育児など幅広い場面において示唆に富む内容と思います。
特に、学校の先生や上司など教えたり導いたりする立場にある人、コーチやコンサルタントなど誰かの変化や成長をサポートする立場にある人には、是非とも読んで頂きたい本です。自分が良かれと思ってやっていることが、実は諸悪の根源だったりするかもしれません・・・。
インナーゲームとは
直訳すれば「内側のゲーム」。選手は、アウターゲーム(外側のゲーム)、つまり試合そのものを戦っていると同時に、インナーゲームも戦っている、と著者は言います。
インナー・ゲームは、プレーヤーの内側のスポーツだ。集中力の突然の途切れや、緊張、自信喪失、自己非難といった、内なる障害を克服するゲームのことだ。(p.26)
そして、このインナーゲームを制さずには、上達も勝利も満足も得られない、と。
練習では完璧にできるのに、本番ではうまくいかない、
体力・技術面では勝っているはずなのに、試合では負けてしまう、
調子が良かったのに、ふとしたことをきっかけに崩れてしまう、
どうずればいいのか頭ではわかってはいるのに、体がそのように動かない、
などの症状の原因はインナーゲームにあると。
今でこそスポーツにおけるメンタル面の重要性は広く理解されていると思いますが、1970年代当時、著者の観察と分析と提言は革新的だったであろうと思います。
自分の中の「セルフ1」と「セルフ2」の存在
インナーゲームを引き起こすのは何か。
それは、プレーの最中ずっと、プレーヤーに語りかけている「何か」です。
自分の昔の例では、例えばこんな感じかと。
「あー、今のは前に出るべきタイミングじゃなかったね」
「うわ、またテイクバックが遅い。もっと早くから引かなきゃ。いや、それじゃ逆に早すぎだって」
調子が良い時も、この「何か」はよく喋ります。
「いいねいいね。今みたいな感じでもう1本行こう!」
この「何か」とは、プレーをしている自分とは別の、だけれども、自分自身。
著者は、命令者である自分を「セルフ1」、プレーをしている自分を「セルフ2」と名付けました。
試合中も練習中も、ひっきりなしに自分に対して命令し、励まし、叱咤するもう一人の自分がいることに、あなたは気づいているだろうか。
小うるさい上司のような「命令の専門家」は、自身のスポーツを妨害する張本人でもあった。
これは驚くべき発見だ。(p.44)
このセルフ1が口やかましく指示をすればするほど、ダメ出しをすればするほど、褒めることですら、セルフ2は、萎縮し、固くなり、とてもぎこちなくなります。頭の中も沢山の情報で混乱し、「正しいこと」をやろうとして、とても目の前のボールに集中することなどできません。
セルフ1はセルフ2に対して「しっかりしろ!自信を持て!」と言うでしょう。
でもそんなセルフ2は自信を持つことができるはずがありません。 だってセルフ1こそがセルフ2を信頼しておらず、自分(セルフ1)が教えてやらなくちゃいけない存在だと見ているのですから。
Let it happen ー 全てはセルフ2に任せよ
どうすればインナーゲームを制することができるのか。
それは、ひとえに、「セルフ1を静かにさせる」こと(第3章)。
子供は誰にも強要されずに、ごく自然に歩き始め、話し始めてしまうのに、大人は、「正しい打ち方」に縛られて、頭でテニスをしようとしすぎる。
内側からの「感覚」を無視して、外側の形で自分を判断しようとするから、自身のテニスを見失う。(p.56)
人間の体には知性が内在しています。何かにぶつからずに歩くというだけでも、瞬時に膨大の情報を処理し、体を動かしています。内臓が生命維持のための動きをし続けているのと並行して。
人間の肉体は、しばしばその脅威を見過ごされ、過小評価される。
ここで言う肉体とは、筋肉や骨格だけでなく、脳、意識・無意識の記憶力、神経システムを含めた存在、すなわち「セルフ2」を指している。セルフ2は素晴らしい賢さと、潜在能力の集積体である。(中略)内側の知性は、子供のようにものごとを容易に吸収し、学び取る能力を持っている。一つの動作のたびに数億の細胞を動かし、神経伝達システムを駆使している。その点では、いかなる優れたコンピューターも、プロはおろか、初心者のテニス・プレーヤーにすら、とうてい太刀打ちできない。
つまり読者は例外なく、自分のセルフ2に大きな自信を持つべきだ。「不器用な体」と呼んできた肉体は、(中略)素晴らしい器官なのである。
物言わぬセルフ2の内側の知性を認めることで、我々の傲慢な、不信感に満ちていた自分自身への接し方は、変わり始める。それによって、不必要な自分への指示、非難、集中力を途切れさせる結果となる過剰管理といった傾向を、解消させるはずだ。(p.95-96)
セルフ2が本当にのびのび動き始めたとき、「無我の状態」、いわゆるZONEが訪れます。
無我の状態にあるプレーヤーは、ボールやコート、場合によっては相手への意識が高まっている。しかし自分自身に対してこうしろ、ああしろと指示を出したり、打ち方について考察したり、どうやって同じミスを繰り返さないようにするとか、今したことを続けようなどと、考えながらプレーしているわけではない。
意識は高まっている。しかし思考はしていない。頑張りすぎることもしていない。彼は(彼女は)ボールがどこに行くか知っているが、そこへ打ち込むために頑張ることはしない。何かをするのではなく、それはまるで自然に「起きる」ように見受けられる。しかも本来望んだ以上の正確さを伴っている。プレーヤーは、スムーズな動作の流れの中に埋没する。しかし発揮されるパワーと正確さは、最高度に達する。(p.39-40)
このような時、心はとても静かです(quiet mind)。
インナー・ゲームのプレーヤーは、他のいかなる外側の技術よりも、リラックスした集中状態の大切さを知るようになる。自信の本当の基盤がどこにあるかを発見する。勝つためのキーが「力まないこと」だと知るだけでなく、それを体で理解するようになる。勝つぞというギラギラした欲望に燃え上がるのではなく、自分の心が静かに肉体と調和する状態に置こうとする。そのときに内側から自然にわき起こってくる能力を、プレーで発揮しようとする。そしてしばしば、自分自身の能力が予期していたもの以上であることを発見する。(p.27)
セルフ1はとても出しゃばり。主導して求める結果を得ようとする。「Make it happen」(p.98)というスタンス。
でも本当に効果的なのは、セルフ1は黙って、セルフ2に任せる。「Let it happen」(同)というスタンス。
セルフ1による語りかけは、ポジティブ思考的な励ましも含め、邪魔であると、著者は言い切ります。
要は、鍵はセルフ1とセルフ2の関係性。この2者間のコミュニケーションについては幾つかのヒントが示されています。(第3章、第4章)
- セルフ2を尊敬する
- セルフ2に伝えるときは、セルフ2の母国語を用いる
- 裁判癖をなくす(自分のプレーについてJudgeをしない)
- 求める結果の視覚イメージをセルフ2に与える
- その視覚イメージを実現するように、セルフ2に「依頼」する
個人的に面白かったのは2点目。セルフ2の母国語は、言語ではなく、「視覚と感覚によるイメージ」なのだそうです。セルフ2と何かを伝えようと思ったら、セルフ2が分かる方法でコミュニケーションを取る必要があります。(そう思うと、セルフ1が言葉を浴びせ続けることの無意味さをますます感じます・・・。)
Let it happen が大切なのは、試合中だけではなく、練習中も同じです。
足の位置、体の向きの角度、腰の高さ、ラケットの引き具合、高さ、フォローの仕方など、事細かに細分化して、それぞれ「正しく」できているだろうかと考えると、セルフ1が勢いづいてしまいます。
著者が提案するのは、「正しい形」を頭で言葉として理解してその通りに体を動かそうとするのではなく(実際問題、そんなことはまずできないので)、プレーヤーの体自身で体験し、ぴったり全てがうまく行くときの感覚を自分で掴みとる、ということ。
望ましいボールの軌道をイメージし、ボールを打ってみる。そのとき、例えば自分のラケットがどこにあるのか、ボールと自分はどれくらいの距離にいるのか、ということを意識して何球も打ってみる。大切なのは、その自分をよく観察することと、そのときの感覚を「感じ取る」(feel)こと。
セルフ1に黙っていてもらえれば、セルフ2は「感じ取る」ことを通じて自然に学習していきます(「自然習得(natural learning)」)。これは、言葉で理解することよりもはるかに効果があります。
「頑張り」は本当に必要か
上記のセルフ2が自由になっている状態、無我の状態、というのを一時的であっても経験したことがあるという人も多いと思います。頑張りすぎているわけではないのに結果が出ているようなとき。
私自身は、仕事している中でそれを感じたこともありますし、過去には、お茶を習っていたときに手が勝手に動くという体験や、受験のときもおよそ自分の学力では無理であろうという高校の入試で、諦めた途端に解法が天から降ってきて手がすらすら動いた、というような体験が思い出されます。
感覚としては、無重力のような。とても気持ちがいい。けれども非常に短い一瞬のことで、またその感覚になりたい、なろう、としてももううまく行きません(その時点で「さっきと同じようにしよう」とセルフ1が発動しているので)。
また、こういうときの感覚は、何といいますか、あっけない、という感じもあります。特に興奮しているわけでもなく、心は静かで、手だけが動くような。自分の手柄というよりも、単純に幸運だったという感覚。「やってる感」「やってやった感」みたいなものがない。
これを、「これこそが望ましい感覚」ととるのか、「それでは物足りない」ととるのか。後者ととると、セルフ1がむくむくと復活してきます。
一旦セルフ2がプレーする状態を経験できたのに、またセルフ1が復活してくる様子について、著者の観察が素晴らしいと思いました。
(前略)結果がそうなるとわかっているのに、なぜある人々はセルフ1の復帰を歓迎し、セルフ1にテニスをやらせるのだろうか。おそらく、2つのテニスがもたらす満足感が異なるのだろう。
一所懸命に自分が頑張るテニスでは、結果がよかった場合には、エゴが十分に報われる。自分が、やったのだ、自分が努力したのだ、と。
しかし、自分はただサーブにサーブさせるインナー・ゲームでは、「自分」はヒーローではないように感じられる。自身の肉体の素晴らしさや、驚くべき結果に興奮はするが、それは誰か他人の手柄のように思えて、エゴが満足されない。
従って、欲望や自我を満足させるためにコートに出て行く人にとっては、たとえテニスの結果が多少不満足でも、セルフ1のテニス、つまり「オレが、私が」のテニスの方が愉しいのだろう。(p.179)
つい数日前、友人から似たような話を聞きました。いわゆる悟りの境地的なところに行くと、ただ幸せで、それはフツーの人間にとってはとてもつまらない世界なのだそうです。
だって、人間は、ドラマが大好き。ドラマチックなことが大好き。だから悲劇やら喜劇やらを自分の人生の中に作り出そうとしてしまうんだそうです。人間界とはそういうもので、だから無我の境地に行くのは難しい。この世はこの悲しい悪癖を改める修行の場なんだと。この本と相まって、何だか妙に納得しました。
なお、念のためですが、著者は努力は不要と言っているわけではありません。
必要以上に頑張ることや、アウターゲームに勝つという本来の目的を忘れて「頑張る」こと自体が目的になっているおそれがあることについて、問いを投げてくれているものです。
つい、頑張ることを美徳と考えてしまいがちな自分には、はっとさせられる部分でした。
支援する立場にとっての示唆
冒頭にも書きましたが、この本で私に一番刺さったのは、プレーヤーがZONEを体験できるように、支援者がすべきこと・すべきでないことは何か、という学びでした。
「セルフ1は口やかましい上司に似ている」(p.45)というフレーズが出てきてから、その後のセルフ1とセルフ2のやりとりは、私には、上司と部下の関係性としてしか見えなくなってしまいました。
そして、職場で管理職としての帽子を被った自分が職場の部下との関係がうまくいっているとき、いっていないとき、それぞれに何が起きていたのかが、とてもよくわかりました。読みながら、正直、だいぶ痛かったです。
私の場合、物事を進ませようと気が急いだり、クオリティの高いものを追求しようとすると、自分の言動・態度がセルフ1になりがちです。
また、上記の、頑張り=美徳というメガネで世界を見ていたために、物事がスムーズに動いている状態に、セルフ1である自分ひとりが物足りなさを感じていたのかもしれない、っとも思いました。
先述の「セルフ2を尊敬せよ」という言葉(このとき、この一文は、私には「部下を尊敬せよ」と映っている)は、「思いやりを持って」とか「相手の立場に立って考える」というようなよくある言葉をはるかに超えるインパクトでした。私はメンバーを本当に心から尊敬できているだろうか、と自問しました。
その他、この辺りの言葉も刺さりました。
イメージは言葉に勝り、示すことは教えることに勝り、教えすぎは教えないことに劣る(p.38)
セルフ1は、もっとよくなることを、自分主導で仕切りたいのだ。常に主人公の役を演じたがる。責任者としての氏名表記(クレジット)を要求する。そして、ものごとがうまくいかないときには、苦しみ、心配する。(p.86)
ご自身が、上司、親、教師、コーチなどの立場にあるとき、本書は是非読んで頂きたい本です。そして、もし、私と同じように、「セルフ1は口やかましい上司(≒親・教師・コーチ等)と似ている」という表現にドキッとされた場合には、自分がまるでセルフ1のようになっていないか、どんなときにそうなってしまいそうか、検証してみるのは価値のあることではないかと思います。
また、支援者自身がセルフ1的になることはないという場合でも、こういう立場の人の指導の仕方やちょっとした発言(例:うまくやっているね、という一言ですら)が、プレーヤーの中のセルフ1を発動してしまうきっかけとなってしまうことにも、自覚的でいたいところです。
では、もう上司も親もコーチも何もしない方がいいのか、というとそうではありません。
インナー・ゲームの根幹は、極めて単純で古典的な、心と肉体の調和を確立するためのプロセスにすぎない。だから、ここには「近道」とか「速修法」といった術はない。各人が、必要な内側の作業を、本人自信で経験しなければならない。ただ、適切なコーチングは、そのプロセスの大きな助けになれるはずだ。(p.10)
本書では、著者自身のコーチング事例が散りばめられており、テニスのことではあるのですが、とても参考になります。
実践例として、癖や習慣を変えたい際のステップが示されていたところを、抜粋しておきます(第6章より)。支援者の役割は、以下のステップをプレーヤー自身が取れるようにサポートすることです。
- 新鮮な気持ちで観察して、変えたい箇所を見つける(p.169)
- 望む結果の具体的な画像を制作する(p.171)
- セルフ2を信じきる(p.172)
- 変化と結果を、「無判断」で観察する(p.174)
教師や上司やコーチの役割は、何かを「教え」たり、良くできた・まだまだだと「評価」したりすることではなく、当事者が「体験」する環境を作り、プレーヤーの「セルフ2」の自然学習を支援することだ。これが本書を読み終えての今の自分の今一度の理解であり、目指したいところです。
そういう導き方は、先日の記事「日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ」のお茶の先生の在り方に通じると感じます。
言葉にするのは難しい世界
とても読みやすい文体でスラスラ読み進むことができるのですが、本当のところ、著者が表現しようとしていることは、実は、とても感覚的・体験的で、鈴木大拙が引用されているなど、禅的な世界にも通ずるところがあると感じます。
なので、言葉で理解するというよりも、過去の自分自身の体験から「それを知っている」というところが呼び起こされて理解が進むという感じでした。この記事も、いざ言葉にしてみようとすると、とても難しさを感じました。
それだけに、理解したと思っても、あっという間に指の間をすり抜けて行ってしまいそうです。
また、この記事で取り上げたこと以外にも、集中方法、コートの上で繰り広げられている競技以外の人間ゲーム、そもそも競技をする意味は何なのか、など多くのことが詰まっていて、何度も読み返したい、手放せない本になりそうです。
新年から良い本に出逢いました。
本年もよろしくお願い致します。
- 作者: W.T.ガルウェイ,後藤新弥
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鈴木大拙について言及する際に。
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それについて思いを巡らし、塾考し、考えをまとめようとする刹那に、本来の無我の境地は失われ、思考が邪魔者として立ちはだかる。矢は放たれても、もはや的に向かってまっすぐに飛ぶことはない。的自体が、元の位置からは、すでに消えているのだ。計算がーーつまりそれは誤算に過ぎないのだがーー割り込んでくる。
人は考える葦と、古来言われてきた。しかし、真の偉大な能力は、計算や思考をしないときにこそ、発揮されるのだ。「子供のような純真さ」を人は取り戻すべきである。(p.58より再引用)
エリック・バーン(Eric Berne)はカナダの精神科医。交流分析が有名です。
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