とても好きな本のひとつです。
人にお貸ししたときも、だいたいお気に召されます。
映画化されたのを観に行く前に、久しぶりに読み直しました。
「日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ 」(森下典子氏著、単行本(2002年1月初版、飛鳥新社)で読みましたが、今は新潮文庫での出版のようです。)
大学生の頃からお茶を習い始め、その後もずっと継続してきた著者が、25年間にお茶を通して感じたことを記したエッセイです。
とても丁寧で細やかな表現で、読んでいるうちに、あたかも自分自身もその掛け軸とお花によって整えられた茶室に坐し、お湯が沸く音を聴き、茶杓のコツンという音を聴き、シャカシャカとお茶をたてる音を聴いているような、お茶の香りが鼻をとおってくるような感覚になります。
周りにある緑、雨の音や匂い、風なども感じられてくるようです。
巻頭の写真も素敵です(文庫になっても掲載されているかどうかは確認していません)。
私自身、とても短い期間ですが、お茶を習ったことがあります。「かじった」と表現するのが適切な程度ですが、それでも、本書のお点前の手順を一つ一つ説明するところなどは、そうそう、そうだった、そうそう、そこ間違えちゃうよね、などと思い出しつつ、時に笑いながら読みました。
なかなか覚えられなかった手順が、ある日、突然、体の方が勝手に動く驚きと喜び、
一瞬、「無」になる瞬間の、何ともいえない心地よさ、
お稽古に行くまではとても面倒なのに、行くと、あーやっぱり行ってよかった、と思う感じ、
意味不明な手順が、実は合理的な流れであり「すべてのことに理由があり、何一つ無駄はなかった」(p.178)と気づくときの驚き、など。
当時感じた感情を思い出しました。
ごくごく短い期間の体験でさえ、お茶はあの小さな空間と、細かく定められたお作法の中に、ものすごく多くの教えが詰まっているというのを感じていました。
先生が言葉で教えてくれるのではなく、先生からお作法を指導されるままに体や手先を動かしていく中で、頭や言葉ではないところから教えが次第に「感じられてくる」、という感じでした。
本書では、森下さんの視点からそれらを「15のしあわせ」としてまとめています。
それはとても普遍的なもので、人生を豊かにしてくれるものそのもの。
お茶ではない道からも、同じ気づきに至ることも多いと思います。
なぜなら、お点前の稽古で先生が「本当に教えていることは、目に見えるお点前の外にある」のだから(p.212、14章)。
それは、「季節のサイクルに沿った日本人の暮らしの美学と哲学を自分の体に経験させながら知ること」(p.213、14章)なのだから。
「15のしあわせ」は各章の章立てになっています。
1.「自分は何も知らない」ということを知る
2.頭で考えようとしないこと
3.「今」に気持ちを集中すること
4.見て感じること
5.たくさんの「本物」を見ること
6.季節を味わうこと
7.五感で自然とつながること
8.今、ここにいること
9.自然に身を任せ、時を過ごすこと
10.このままでよい、ということ
11.別れは必ずやってくること
12.自分の内側に耳をすますこと
13.雨の日は、雨を聴くこと
14.成長を待つこと
15.長い目で今を生きること
1冊を通じて、お茶の先生である武田先生の言葉に、静かに、諭されます。
「お茶ではね、重たいものは軽々と、軽いものは重々しく、っていうのよ」(p.36、第1章)
「お茶はね、まず『形』を作っておいて、その入れ物に、後から『心』が入るものなの」(p.39、第1章)
(作法の順番を暗記しようとする著者に対して)「そうやって、頭で覚えちゃダメなの。稽古は一回でも多くすることなの。そのうち、手が勝手に動くようになるから」(p.49、第2章)
「あなたは、すぐそうやって頭で考える。頭で考えないの。手が知っているから、手に聞いてごらんなさい」(p.54、第2章)
「さあ、気持ちを切り替えるのよ。今、目の前にあることをしなさい。『今』に気持ちを集中するの」(p.64、第3章)
「みなさん、真剣におやりなさいね。茶事は、ご亭主もお客も、それが『一期一会』と思って、心を入れてするものなんですからね」(p.187、第11章)
「お釜の前に座ったら、ちゃんとお釜の前にいなさい。心を『無』にして集中するのよ」(p.199、第12章)
そして、お茶を通じて得た著者の洞察にも、とても共感します。
世の中には、「すぐわかるもの」と、「すぐにはわからないもの」の二種類がある。すぐにわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、フェリーニの「道」のように、何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。
「お茶」ってそういうものなのだ。(p.4、まえがき)
人には、どんなにわかろうとあがいたところで、その時が来るまで、わからないものがあるのだ。しかし、ある日、わかってしまえば、それを覆い隠すことなどできない。(p.9、まえがき)
雨の日は、雨を聴きなさい。心も体も、ここにいなさい。あなたの五感を使って、今を一心に味わいなさい。そうすればわかるはずだ。自由になる道は、いつでも今ここにある(p.213、第13章)
人生に起こる出来事は、いつでも「突然」だった。昔も今も・・・。
もしも、前もってわかっていたとしても、人は、本当にそうなるまで、何も心の準備なんかできないのだ。結局は、初めての感情にうろたえ、悲しむことしかできない。そして、そうなって初めて、自分が失ったものは何だったのかに気づくのだ。
でも、いったい、他のどんな生き方ができるだろう? いつだって、本当にそうなるまで、心の準備なんかできず、そして、あとは時間をかけて少しずつ、その悲しみに慣れていくしかない人間に・・・。
だからこそ、私は強く強く思う。会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら、祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら、分かち合おう。
幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。(p.192、11章)
引用はしませんが、第7章は丸ごと好きです。
人によって、また、読むタイミングによって、心に響く部分は違うと思います。
それぞれに、本を通じて、よい言葉を受け取って頂ければと思います。
武田先生の直接的な言葉によらないおもてなしや心遣いーー例えば、掛け軸やつくばいの水の量、玄関のタオルなど、生徒を思いやるひとつひとつの小さなことがとても素敵だなと思いました。
更に、生徒たちの「内面が成長して、自分で気づき、発見するようになるのを、根気よくじっと待っている」(p.212)。だから、「思っていても、言わない」(p.220)。自分で本当に知るために、「余白」を残す。そんなオトナになっていきたいものです。それって、とても難しいけど。
そして、これらの気遣いや思いやりを感じ取る生徒との、心と心の通い合いにじーんとしました。
* * *
映画化され、10月から公開されています(最近はサイクルが早いので、もうそろそろ終わってしまうのでしょうか)。大森立嗣さん監督、主人公が黒木華さん、お茶の先生が樹木希林さん。樹木希林さんの遺作となりました。
原作の本の内容は、出来事を追うというよりも、主人公=著者の心のうちで感じていることや気づいたことの描写であり、要は心の内面です。
この繊細な世界を映画でどう表現するのだろうと思っていましたが、本の世界観を全く壊すことなく、美しくて優しい映画に出来上がっていて嬉しかったです。希林さんはこの時もう相当に体調が悪かったはずですが、それを感じさせない佇まいでした。父親役の鶴見信吾さんも素敵でした。
* * *
以前に教えてくださった先生、どうしていらっしゃるかな、また先生に会いたいな、と思いました。

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)
- 作者: 森下典子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/10/28
- メディア: 文庫
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本に出てくる映画「道」。