ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

センス入門

センス。このつかみどころのないもの。

なのに、そこには「ある」か「ない」かが感じられてしまうもの。

センスが良い人が好きですし、センスが良い場所に行くと嬉しくなります。

自分自身もセンスのある人間になりたい。センスのある人間でいたい。

時々自分の中にやってくるこの波がまた盛り上がってきたところに、本屋でこの本に出会ったので、読んでみました。

センス入門」(松浦弥太郎 著、筑摩書房、2013年2月初版)

センス入門

 

「暮しの手帖」の元編集長・松浦弥太郎さんの著書を読むのは、これが初めて。

まるで、松浦さんの生き方・美学がそのまま伝わってくる内容で、

パスカルのパンセを読んだ時のこちらの一節を思い出すような読書体験でした。

自然な文体に出会うと、人はすっかり驚いて、夢中になる。なぜなら、一人の著者を見ると思っていたところで、一人の人間と出会ったからだ。(「『パンセ』で極める人間学」断章29, p.108)

 

こんな人が読むと良さそう

物を書く方、音楽を作る方、絵を描く方など、何かを表現する方、クリエイターの方、ものづくりをされる方、など、「何かを創り出す」ことを仕事にしている人・それを仕事にしていきたい人は、ぜひ読まれると良いと思います。

「コレとソレとアレをやればセンスが良くなる」なんてことは書いてなくて(それこそセンスない)、センスというのはこうやって自分なりに磨いていくものだ、というのが伝わってきます。

自分の美学を磨き続ける人の実例としてヒントになりますし、

きっと、日々悩んだり失敗しながら創り出そうとしている人には、共感できるところがあったり、励まされたりすることもあるのではないかと思います。

 

センスとは

そもそもセンスとは何か。それをどう言うかも人それぞれのように思います。

 僕にとって「センス」とは、まず最初に、「選ぶ」もしくは「判断する」ということだと思います。(中略)たくさんの中から何かを選ぶことでしょうし、ときには自分にフィットする選択肢がないのでゼロから作ってみる道を選ぶということでもあるでしょう。(p.12)

 

 結局、センスのよさとは、生きていくことのすべてなのです。
 おしゃれな格好をしていればセンスがいい、ではなくて、人づきあいとか、話し方とか、時間の使い方とか、お金の使い方とか、自分の生活も含めて全部にセンスのよさが必要です。何かひとつがよくてもだめなのです。だから、センスのよさとは、とどまるところを知らない、バランス感覚なのだと僕は思います。言ってみれば、毎日毎日動いて形を変えているみたいな感じですよね。けっして止まらないというか、いつも成長しているというか、変化している、そういう自分であるということは大切だと思います。(p.139-140)

 

センスの磨き方

先述の通り、センスを良くするための手順書ではありませんが、センスを磨くためにはこうあれ、というBeingでの示唆が得られます。

 はじめは、好奇心をもって、素敵なものや美しいものを見つけて、よく見て、よく触れて、真似てみる。そして、自分のもとにめぐってきた幸運は、他の人にも受け渡していくことです。それしかセンスの良くなる方法はありません。
 さらに、何度も繰り返しますが、失敗をいっぱいすることです。失敗は最良の起爆剤になりますから。最初からすべてをできる人はいない、でもたくさん失敗しているからこそ、あきらめない気持ちがもてるのです。
 そしてチャンスが自分のところに来たら、勇気を持って一歩踏み出してみることです。チャンスがあなたのそばを通り過ぎるのは一瞬ですが、いつもセンスを磨いておこうと心がけていれば、思い切ってジャンプをして、きっとそれをつかむことができると思います。
 少しだけ自分が変わってみると、何かを始めてみたとき、あんまり自分が肩肘張って頑張らなくても、新しい友だちや知り合いが必ずできているものです。そして、そういうまわりの人が、さまざまなかたちであなたを助けてくれるでしょう。本来、人はみんな孤独であるべきだし、孤独であることを受け入れなければならないのですが、逆にそれがわかっているからこそ、人とつながることができると言うところもあるのです。世の中、捨てたものではない、とよく思います。そういう人のつながりや出会いがあるから、予測できないことがいくらでも起こるのです。(p.155-156)

 

 こう考えてくると、センスを磨くためには、すなおさと勇気、それを受け入れる孤独も必要だということがわかります。(p.128)

 

変わりゆくセンスのままで、日々表現する

10年前、この読書ブログを始めることも思い切りが必要でしたが、開設したあとも、1記事ごとにとてもエネルギーと時間を要していました。

その一つの理由は、自分なりの完成作品のしなければと思っていたからかもしれません。

また、「今書いたことが、後から違うと思うかもしれない」と思うと、その先に自分が考えそうなことまで先読みして書こうとするというような、複雑なことになっていたかもしれません。

でも、こねくり回すほど、自分にとっても、他者にとっても、読みにくいものになっていくということも経験しました。

そういう時は、「ライブ感」が失われていたんだろうと思います。

私たちの考え方や感じ方は常に変わり続けている。その中でも創り続けるしかない。

ピカソも、マティスも、岡本太郎も、みんな多作でした。一生の中でいろんな作風も試していました。

そういうもんなんだ、ということを、本書を通じてさらに確信的なものにしてもらった感じがします。

 

 じつは僕は、雑誌をどうやってつくるとか、コンセプトとか、その手のことにこだわりがありません。たくさんの人と共有するべき大切な目的意識はいくつかありますが、今日の自分は、目の前にある仕事で一杯一杯で、客観的に考え方をまとめるとか、コンセプトや理念を整理している暇なんてありません。今日やる仕事をがむしゃらにやる。そして翌日は、また新しい自分でスタートするわけです。だから、昨日よかったことを今日は否定することもあるのです。ものづくりと言うのは、そういうライブ感があって、今日の自分が思ったことを信じるほかないのでそふ。
 それをある人に話したら、その人は正しいと言ってくれたのですが、さらに自分がこうであるべきということを整理し始めたらおしまいだよね、と言われました。自分の感覚とか認識とか考え方というものは、毎日変わっていくものなのですから、今日の自分を信じていてもしようがないのです。今日になって昨日と違うことが正しいと思えたから昨日と今日とではいうことが変わったということなのですが、それほどすなおなことはありませんし、今日の自分を信じない限り、ものつくりなどできないと思います。
 だから「暮しの手帖」のつくり方とか仕事について聞かれることはありますが、それについては上手に答えられません。今日の、目の前にあることを一生懸命やって、試行錯誤していくしかないのですから。
 ここで大事なことは、昨日と比べて今日は絶対変わっていなくてはいけないというのではなくて、今日思ったことが絶対ではない、という感覚をいつも持っていなければいけないということです。実際には、時間が流れてゆくにしたがって、どの地点かに自分を落とし込んでいくしかないわけですから、そのなかで試行錯誤(中略)をするしかないですね。
 明日になったら、またもとの昨日の意見に戻るということだってあります。自分のなかの答えというものは、いつも絶対ではないようだ、と思っていたほうがいいのです。(中略)
 人の話を聞いて、それをすなおに受け取り、それで自分はどう思うか、を新しい気持ちで考えてみるとき、よく変化は訪れます。つまり自分の考え方と人の意見がどのような化学反応を起こすかということではないでしょうか。
 たしかに僕は、自分の感覚を信じていて、今日の自分の気分といったものに、とても信頼を置いています。そして、それを踏み台にして前に進むのですが、それでも心のどこかでいつも、自分が正しいとは信じきっていないのです。だからこそ、いろんな人の話には耳を傾けるし、アイデアも聞きます。そして、自分は絶対正しくない、と思い続けているのです。(p.137-139)

 

最後に、自分自身がつらくなった時に読み返したくなるであろう箇所を引用しておきたいと思います。

 チャレンジをする人、あきらめない気持ち、僕はこれをとても大事にしています。

 それは、自分ひとりで何かをやりとげなければならないときも、人と一緒に仕事をするときも同じです。はじめから自分を弱者に仕立てて、はなからスタートラインに立たない、だから大きな失敗もしない、そうしてとりあえず及第点を取るというのが僕の幸せなんですというやり方は、いちばんいけないことだと思っています。
 自分を変えようと思うときも同じです。もちろんみんなそれぞれが弱い部分を持っているわけです。万能な人なんてめったにいません。しかし誰もがみんな、スタートラインに立たなければいけないときがあり、「ドン」と鳴ったら、いっせいに遅かったり転んだりしながら、一生懸命走るわけでしょう。けれども自分の弱さを看板にして手を抜いて本気になれないということは、とても残念です。
 世の中には勝者と敗者というのがあるのはどうしようもないことですが、勝者と敗者の差は紙一重です。だから僕は敗者だからだめだとは思いません。敗者でも少なからず何かに挑み続けていくだけで、価値がある存在に変わるからです。
 試合をしたというだけでも価値があるときもあります。敗者の美学というのもあります。負けた人が勝った人より大きい拍手をもらうことだってあるでしょう。だから僕はいつも、七転び八起き、何回負けても何回でも挑むような気持ちを持つことが大切だと思っています。
 とは言うもののいっぺんに努力が身を結び、結果を出せるということは、逆に少ないのではないでしょうか。思うとおりにならず失敗ばかりが続くこともありますが、向上心さえ忘れなければ、人というのは見守ってくれるものです。「この人は何もわからないで始めたんだし」とか「この人は頑張っているから」と。
 鉄棒をする人が、きれいに逆上がりをするのを見るのもいいけれど、僕がいちばん好きなのは、いつまでもできないけれども、何回も何回も、繰り返し足を振り上げては落ち、足を振り上げては落ちという姿。これが好きです。逆にそうなりたくないのは、一回やってできなかったので、「やめた」と言って何もしないで立っている人。これがいちばん嫌いです。
 できなくても何回も何回もやり続けていれば、みんなが見守ってくれると僕は信じています。
 それは「暮しの手帖」の仕事も同じだと思うのです。何もできないかもしれませんが、ずっと足を振り上げ続ける、それを見せることをやめない、編集長の職を引き受けたとき僕はそれを自分に課しました。なぜなら、僕は花森さんにはなれないけれども、今より少しでもよくしよう、いつかできるだろう、と思って仕事をすることならできると考えたからです。
 だから本当に失敗ばかりですが、僕は、自分の失敗を理由にして仕事をやめたりしません。失敗は仕事を続けていくための踏み台にしていこうと決めています。(p.100)

 

とても励まされる言葉です。

本当に、チャレンジした数だけ失敗もついてくる。

その失敗を自ら責めてあらゆる自己批判や後悔が襲ってくる時に、この言葉を思い出したいと思います。

少なくともチャレンジはし続けてるじゃないか、それは素晴らしいことじゃないか、と。

 

 

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