ここみち読書録

心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

パパラギ ーはじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集ー

読書ブログを始めてみて嬉しいのは、記事を読んで下さった方から「この本も面白いよ」と教えてもらえたりすること。まさにこのブログのタイトルどおり「心の向くまま、導かれるまま」読書の幅が広がります。そしてなんと今回は、本をプレゼントして頂きました。デスクに突然、自分で注文もしていないAmazonのパッケージが届くことの驚きと嬉しさといったら!

 

頂いた本がこちら。パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 (エーリッヒ・ショイルマン氏著、岡崎照男氏 訳)。原題はDER PAPALAGI -Die Reden des suedsee-Haeuptlings Tuiavii aus Tiavea - (Erich Scheurmann)。

パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 (SB文庫)

 

不思議なタイトルに首を傾げながら読み始めたら、、、面白い!そして考えさせられる。机をバンバン叩いて笑い転げているうちに、実はとても深いことを突きつけられていて、うーん、、、と考え込んでしまったりします。文庫本で170ページ程度の薄い本が読み始めからポストイットだらけになって、もう途中から貼るのをやめました。実際、今、この記事を書きながらもフォーカスが絞れないほど、最初から最後まで深いメッセージが込められています。

 

著者のショイルマン(1878年-1957年)はハンブルク生まれのドイツ人。ドイツの植民地だったサモア(ポリネシアの島国の一つ)へ旅し、その後第一次世界大戦でサモアを追われ、米国に渡っています。米国にて、サモアで共に時間を過ごした卓越した酋長・ツイアビの言葉をまとめたものが本書です。

 

「パパラギ(パランギ)」とは、サモアの言葉で「空を打ち破ってきた人」という意味。サモアは1722年にオランダ人探検家が初めて視認したとされており、以来、キリスト教の布教や欧米の捕鯨船補給拠点の目的で欧米人がやってきています。帆船に乗った宣教師がヨーロッパ人としてはじめてサモアにやってきたとき、サモア人は遠くからその白い帆を見て、空にあいた穴だと思い、その穴を通ってヨーロッパ人がサモアの島々にやってくると信じたのだそうです。なので、パパラギ=白人と思って読んでよいと思います。

 

さて、内容ですが、一言で言ってしまうと文明への疑いです。ショイルマン氏自身の言葉を借りれば、ツイアビが自らヨーロッパを訪れて得た観察からヨーロッパ人の正体を見破り、「ヨーロッパ大陸の進んだ文明から自分を区別し、解放しようとする原始の人びとの呼びかけ」(14頁)る演説を集めたものであり、序文(柏村 勲氏)の言葉を借りれば「思い上がった文明社会に対する静かな神の警告、文明の罠に落ち込もうとする仲間に対する啓蒙、美しい自然と共に生きる原始民族の賛歌」です(9頁)。

 

パパラギの服装や男女の関係性、住まい、隣人との関係、町、通り、貨幣経済が引き起こすもの、物欲、所有への執着・思い上がり、都会と田舎の価値が逆転していることの不思議、時間についての病的な考え方、大いなる心にはかなうはずもない機械、職業というものの不思議、メディアの害、感じることを忘れて考えてばかりいる習性、宣教師がやってきたけれども実はパパラギこそが神の教えのとおりに生きていないことなどなど。

神さまから頂いたものに感謝し、その大いなる心に全てを委ね、太陽の光を浴び、力強くしなやかに、今この瞬間を喜び生きていけばよいものを、自分で自分たちの生活をややこしくしているパパラギ。それはもう病的であり、さらに同じ過ちをサモアにももらたさんとしている。仲間よ、彼らの技術や言葉にたぶらかされてはならない。本当の喜びを知る我々は彼らよりも平和であり幸せであるのだから、と。

 

パパラギが当時どのようにツイアビに映っていたのか、少し紹介してみましょう。

パパラギは、巻貝のように堅い殻の中に住み、溶岩の割れ目に住むムカデのように石と石のあいだで暮している。(中略)

それぞれのアイガ(家族)は、壁一枚をへだてて隣り合っているにもかかわらず、ほかの家のことは何も知らない。まったく何も知らない。(中略)

サモアの小屋に吹くような新鮮な風は、どこからもはいってこない。このような箱の中では、サモア人ならすぐに窒息するだろう。(中略)

だから不思議でならないのは、どうして人がこの箱の中で死んでしまわないか、どうして強い憧れのあまり鳥になり、羽根が生え、舞い上がり、風と光を求めて飛び立ってしまわないか、ということである。

(第2説「石の箱、石の割れ目、石の島、そしてその中に何があるかについて」より)

 

物がたくさんなければ暮らしていけないのは、貧しいからだ。大いなる心によって造られたものが乏しいからだ。パパラギは貧しい。だから物に憑かれている。(中略)

少ししか物を持たないパパラギは、自分のことを貧しいと言って悲しがる。私たちならだれでも、食事の鉢のほかは何も持たなくても歌を歌って笑顔でいられるのに、パパラギの中にはそんな人間はひとりもいない。

(第4説「たくさんのものがパパラギを貧しくしている」より)

 

 (前略)パパラギは嘆く。「ああ、なんということだ。もう一時間が過ぎてしまった」。そしてたいてい、大きな悩みでもあるかのように悲しそうな顔をする。(中略)

 これは重い病気だと考えるしか、私には理解のしようがなかった。「時間が私を避ける」「時は馬のごとし」「もう少し時間がほしい」ーいずれも白い人の嘆きの声である。

 これはある種の病気かもしれぬ、と私は言う。なぜかというとこうなのだ。かりに白人が、何かやりたいという欲望を持つとする。そのほうに心が動くだろう。たとえば、日光の中に出て行くとか、川でカヌーに乗るとか、娘を愛するとか。しかしそのとき彼は、「いや、楽しんでなどいられない。おれにはひまがないのだ」という考えにとり憑かれる。だからたいてい欲望はしぼんでしまう。時間はそこにある。あってもまったく見ようとはしない。彼は自分の時間をうばう無数のものの名前をあげ、楽しみも喜びも持てない仕事の前へ、ぶつくさ不平を言いながらしゃがんでしまう。だが、その仕事を強いたのは、ほかのだれでもない、彼自身なのである。 

(第5説「パパラギにはひまがない」より)

 

(前略)パパラギは、いつでも早く着くことだけを考えている。(中略)早く着けば、また新しい目的がパパラギを呼ぶ。こうしてパパラギは、一生、休みなしに駆け続ける。ぶらぶら歩き、さまよう楽しみを、私たちを迎えてくれる、しかも思いがけない目標に出会う喜びを、彼らはすっかり忘れてしまった。

(第7説「大いなる心は機械よりも強い」より)

 

どのパパラギも職業というものを持っている。職業というのが何か、説明するのはむずかしい。喜び勇んでしなくちゃならないが、たいていちっともやりたくない何か、それが職業というもののようである。

職業を持つはと、いつでも一つのこと、同じことを繰り返すという意味である。

(中略)

パパラギには(中略)彼らのしていることがまちがいであること、(中略)大いなる心のすべての掟にそむいていることは、こんなみじめな白人たちを見ればはっきりする。職業のため、からだを動かすことができず、プアア(豚)のように下腹に脂肪がついて走れなくなった人、日蔭にすわってツッシ(手紙)を書くほか何の仕事もせず、ただ骨筆をにぎっているだけだから、もはや槍を持ち上げることも、投げることもできなくなった人、星をながめたり、考えをしぼり出したりしているだけで、野生の馬を駆ることができなくなってしまった人。

パパラギが一人前になると、子供のように飛んだりはねたりはできなくなってしまう。風に吹かれて、からだを引きずるようにして歩き、まるでいつも何かにじゃまされているようにのろのろ動く。そしてこの無気力さを認めようとはせず、こんなふうに言いつくろう。「走ったり飛んだりはねたりするのは、上品なおとなの礼儀にかなうことではない」。だがこれは偽善的な弁解である。実際には彼らの骨はこわばって動かなくなり、すべての筋肉が喜びを失った。

(第8説「 パパラギの職業について ーそしてそのために彼らがいかに混乱しているか」より)

 

 腹いっぱい食べ、頭の上に屋根を持ち、村の広場で祭りを楽しむために、神さまは私たちに働けとおっしゃる。だがそれ以上になぜ働かなければならないのか。パパラギはこのことについて、正直に答えたこともなく、意見を聞かせてくれたこともない。

(同上)

 

ドキッとした方にこそ、本書をおすすめしたいです。ぜひツイアビの知恵をもらってください。

 

文明のない生活に戻ろうとは、まさかとても言えません。電気ひとつとってみても、文明の恩恵をあげればきりがありません。ただ、成長成長、はやくはやく、もっともっとというのが本当に目指すべきところなのか、そこで失われていることはないのか、そんなことに思いを馳せることは、私たちの生活を真に豊かにするために必要なことではないかと思います。その意味で、現代人必読の一冊と思います。

 

援助や途上国開発に携わる方にも読んでいてほしいなとも思う本です。途上国の都市ではひどい渋滞に巻き込まれることが少なくないですが、太い道路の上で完全停止した車の中で、この町に今本当にこんなに沢山の車が必要だったのだろうか、、、などと思うことがあります。また、東南アジアでは田舎の貧しそうな小屋にもパラボナアンテナがつけられていて日中から家の中にテレビがついている、人々は二輪車を乗り回して携帯電話で話しているという姿を見たときは(この経験以来「携帯・パラボナアンテナ・二輪車」を現代の東南アジアの三種の神器と勝手に呼んでいます)、うーん、それで生活は豊かといえるのだろうか、これが目指したい社会なんだろうか?とも首をかしげたりもしました。確かに先進国の生活に近づいたかもしれないけど。携帯や二輪車のシェアは増えただろうけれど。

文明によって人々の可能性は高まりますし、衛生面や健康面も増進しますが、同時に文明が全てを解決するものではないこと、またその土地にもともとあるものの方が優れていることがあること、そんなことに意識を向けている、ある種の謙虚さは必要ではないかなと思います。

 

幸いだなと思うのは、この本の中では、パパラギは、サモア人のような、自分の年齢も知らず、物も持たず、自然の掟に従って、目に見えないものや愛を大切にして生きて行く人たちを馬鹿者扱いしているのですが、現代においてはそういうことの大切さを評価する人たちが増えてきていると思うことです。そういう価値観を生活に取り入れようとしている人たちがいると感じますし、それは無理でもそういう先人や原始から知恵に学ぼうとする人たちが増えていると感じます。文明の素晴らしさを享受しつつ、同時に、はるか昔から変わらない、人間として忘れてはならないことを見失わずにいられたら、と思います。

 

最後に、この手の本にありがちなことではありますが、どうやらツイアビ自身の演説集であるというのはフィクションのようです(発刊当時は実話と捉えられていたようです)。それであったとしても、本書の価値が失われるとは思いません。ショイルマン氏自身がサモアに行ってサモアの人から聞いたこと、サモアの人たちと暮らす中で感じたこと、彼の時代のヨーロッパ人たちに伝えたいと感じたことを最も効果的に伝える方法がこの形だったということなのだと思います。 

ショイルマンという人が裕福な家の出でありもともと何不自由ない生活をしていたと思われ原始的な世界への憧れがあったであろうこと、第一次世界大戦の頃に書かれた本であり今とは事情が違うところもあること、寒さの厳しいヨーロッパの生活をサモアの目線だけでは語れないこと、そういうことがわかっていた上でも、私たちがほとんど無意識に失ってしまっていることについて、この本は意識を向けてくれる1冊だと感じます。 

 

読者の皆さんにサモアの光と風が届きますように。

 

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後日、世の中を眺め、この本について思い返したときに、違う視点が出てきました。ショイルマンが伝えたかったのはヨーロッパ人ではなくてサモア人そのもの、そしてそのような似たような国の人々だったのではないかと。

大切なものの価値に気づくのは、往々にして失った後であって、この本に心打たれるのは実は先進国の人の方が多いかもしれません。今やパパラギが訪ねて行かなくとも開発途上の国の人たち自身が、経済的な豊かさを目指して開発を急いでいます。ショイルマンはもしかしたら、そういう国の人たちに、パパラギに騙されるなよ、今持っているかけがえのないものを守るんだぞ、こっちにきてはだめだぞ、と伝えたかったのかな、とも思いました。

 

フレデリック・バック(Frederic Back)氏のIllusionという作品も、素晴らしい表現でこの本と同じメッセージを伝えてくれているので、合わせて紹介します。

youtu.be

 

 

パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 (SB文庫)

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  • 作者: エーリッヒ・ショイルマン,Erich Scheurmann,岡崎照男
  • 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
  • 発売日: 2009/02/18
  • メディア: 文庫
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日本語以外にもいろいろな言語に翻訳されています。 

パパラギ - Papalagi 【講談社英語文庫】

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  • 作者: ツイアビ,ダニエル・ケルン,クリストファー・クラーク
  • 出版社/メーカー: 講談社インターナショナル
  • 発売日: 2007/06/13
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著者の東洋への憧れは、ヘルマン・ヘッセの影響。

シッダールタ(新潮文庫)

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友人からこちらの本も紹介してもらいました。 

イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会)

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