ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて

1か月くらい前ですが、Brexit、世界各地での暴力、各国の選挙戦、などでどうも気持ちが落ち着かず、思わず本屋に行きました。

いくつか買った本の1冊がこちら(※)。世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて(内田樹(うちだ・たつる)氏、姜尚中(カン・サンジュ)氏共著)。

タイトルと著者、加えて「「不機嫌な時代」を暴走させないために」という帯が目に止まって手に取りました。できれば、参院選よりも前に書きたかったですが、間に合わず。そうこうしていたら都知事選も終わってしまいました。時間がなかったせいでもありますし、読んだ後はいろんな考えが頭を巡って言葉にできなかったためというのもあります。今もまとまらないままに書き始めています。

世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて (集英社新書)

 

内容は内田さんと姜さんお二人の対談を収録したものです。対談の日付がわからなかった(あるいは読み飛ばした)のですが、201511月のパリでの劇場等でのテロからの問題提起から始まっています。あとがきは20164月なので、まだ米国ではトランプ氏躍進が明らかになってくる少し前です。

 

冒頭数ページだけで、その後一気に読ませるに十分でした。長いですが、「はじめに」の一部を抜粋します。

冷戦終結から四半世紀が経過した現在、自由の勝利があまねく地表を覆う世界は、逆説的にも、自由を押さえ込む世界へと反転しようとしている。難民とテロという悲劇が、境界を越えて溢れ出し、もはや、近代のネガを、特定の”見えない場所”に押し込めておくことができなくなりつつあるからだ。

 飢餓。

 貧困。

 テロ。

 これらの悲劇を国境の外に封じ込め、その内側だけで成長と繁栄の喜劇的な祝祭に酔うことができた「豊かな国々」の中に、国境の外と同じ悲劇が「闖入(ちんにゅう)」し、今や、世界は「汎悲劇主義」という点で、限りなく一つの世界になりつつある。

 (中略)それは同時に、自由の理念に突き動かされてきた時代が、終わったことをも意味しているかもしれないのだ。

 かつては、その終焉を告げるべく登場してきたのが、ナチズムという「新しい野蛮」であった。それに対して、今、迫り上がりつつあるのは、ポピュリズムという「21世紀の野蛮」なのかもしれない。しかも、それがよりによって、自由を建国の基本理念とし、近代の「正統」と見なされてきたアメリカとフランスにおいて、顕著に見られる現象であることに、隔世の感を禁じえない。

 「21世紀の野蛮」の台頭が意味しているものとは、果たして何なのだろうか?

 自爆を覚悟し、自らの肉体の炸裂が祝福されると信じる人々や集団を、巨大な軍事力や核の抑止力で抑え込むことができるだろうか。しかも、その炸裂が、劇場で、地下鉄で、空港で、盛り場で起きるとすれば、「自由な社会」は、その悲劇に耐えられるだろうか。恐怖と不安、敵愾心(てきがいしん)が増幅し、やがて自由を忌み嫌い、暴力や扇動に身を任せることになる「殺戮の連鎖」が、延々と続くだけではないのか。

 (中略)

 この「汎悲劇主義」が、近代の成れの果てであるとすれば、私たちは、それが永続的に続く世界史を生きていかざるを得ないのだろうか。

 それとも、別の近代への入り口があるのか。

 そのどちらでもないとすれば、その終わりとともに、近代以後の世界が見えてくるのだろうか――。(p.5-p.7

 

対談が元になっているためかもしれないですが、内容は多岐に亘ります。同時に、すべて繋がっています。断片的ではなく、そういう繋がりの視点を持って世界を見ていくことはとても大事だと思います。

フランスでテロが起きる背景、「自由・平等・博愛」を標榜するフランスの表の顔と別の顔、欧州各国の第二次世界大戦後の処理の姿勢(フランスは自国で生まれたファシズムと向き合っていない)、液状化(解体)しつつある国民国家という概念、グローバリズムの受益者の偏在、ダブルスタンダード、特異な環境下で成功してきたアメリカを全世界の近代化のモデルにすることへの警鐘、シンガポール化する日本への警告、定常経済への移行の提案、嫌厭感(うんざり感、飽き)が引き起こす体制の崩壊、 などなど。

 

世界各地で見られる右傾化に背筋が寒くなる感じ、不寛容が世界を分断していくのではないかという不安、ないことにすること・見ないふりをすることの限界、こんなにモノが溢れているのに更に成長を求め続けることに対する違和感、大量消費する社会への疲れ、(日本も含めた)世界的なきな臭さ、今、歴史は大きな転換点にあるのではないか、そんな何となく肌や体で感じていることについて、その背景とともに言葉にしてもらったような印象です。

 

感じたこと、考えたことは実に沢山あって、書ききれません。

その中で特に、なるほど、と思ったのは、アメリカやフランスで起きている右傾化は、「極右の勢力伸張」というよりも、むしろ「国民国家の解体」に対する「きしみ」だという考え方。内田さんもイスラム学者の中田孝先生から学んだ考えだとことわりつつ、こう話されています。

 17世紀のウェストファリア条約から始まった国民国家という統治単位そのものが、それを支えてきた歴史的条件を失って液状化しつつある。国民国家が統治単位のデフォルトではもうなくなりつつある。今の右傾化傾向は、国民国家の解体過程で生じている「きしみ」や「悲鳴」に近いものだと思います。だからフランスの右翼は”La France aux Francais”(フランスをフランス人の手に、反ユダヤ主義者の愛用するスローガン)でデモ行進をし、アメリカでも大統領選挙で、トランプ支持者が「USAUSA」と絶叫する。これは国民国家フランスが解体しつつあること、国民国家アメリカ合衆国が解体しつつあることを、彼らなりに皮膚感覚で直感しているから出て来る言葉なんだと思います。

 歴史の流れは別に極右の支配に向かっているわけじゃない。逆に、彼らが自分たちの存在根拠だと信じてきたものが消滅しつつあることへの不安と絶望が彼らをより過激にしているんだと思います。(p.57

 

これを読むと、ISの過激さも、極右の過激さも、どちらも自分たちの存在が脅かされることへの怖れからくるものだと気づかされます。そして主義や原理・原則を掲げ、この価値観を受け入れない者(=自分たちと異なるもの)に対してはとても不寛容。実は似ている。

 

怖れは怖れを呼び、怖れの連鎖につながります。片方が怖れから武装し、攻撃してくれば、もう片方は怖いので当然に武装してしまう。やられる前にやってしまおうという気持ちにもなる。(「怖れ」については「怖れを手放す」をご参照ください。一言でいうと、心がポカポカしていない状態すべて、です。)

 

今の世界のどこからこの連鎖が始まったのかは一言では言えませが、この本を読んでいると、アメリカが推進してきた"グローバリズム"がイスラム社会にとっては怖れの感情を起こさせるものの一つであっただろうと思います。

グローバリズムを「国境を越えた」という風に解釈するならば、米国よりもイスラム社会の方がはるかにグローバリズムの歴史が長い。そこにはその文化なりの古くからの価値観がある。そこに米国型の資本主義を世界標準として「押し付けられた」あるいは「余儀なくされた」、更に「それによって自分たちの生活がおかしくなった」と感じれば、自分たちの価値観やあり方への脅威ととらえても不思議はありません。こっちの方が正当だという反発も生じます。更に、お金や有能な人材だけは本当に国境を越えて自由なのに、そうでない人々は国境を越えられないという「ダブルスタンダード」(内田さん)な状況であれば、更に不満は溜まると思います。

だからといって人を殺して良いはずはありませんが、その恐ろしい行動に至るまでの思考・感情の発端には普遍性があることを心に留めておきたいと思います。

 

文化も歴史も価値観も異なる人々が暮らしている地球。どうすれば平和に共存できるのか。その解決方法の一つとして本書が、内藤正典先生の言葉を借りて提示していることに大いに共感します。

どちらも自分こそが世界標準だというのを諦めるしかないと思うんです。あなたが見ている世界と私が見ている世界は違うんだと、互いに認め合うことしかないと思います。(p.204

 

物事を白黒はっきりさせるとか、正しいことを主張するとか、正義を貫くとか、聞こえはいい。私もそれがよいことだと信じていた頃もありました。

でも、「正しい」って誰が決めるんでしょうか。立場が変われば視点も変わる。実は、真実は一つではない。絶対的な正解などなく、ゆえに、絶対的な悪もない。アメリカのヒーロー映画のようには、現実の世界は語れないのだと思います。

以前に水島広子先生の「AH的な政治との関わり方」というワークショップに参加した経験を書きましたが、そのときの学びが改めて思い出されます。

平和を取るなら、自分の信じる正しさを一度手放して、相手を理解することが必要、と。正義をふりかざしても、心は平和にはならない、と。

主義を主張して相手を徹底的に論破できたとして、それによって、確かに自分の主張の方が勝っていた、相手の方が間違っていたという達成感・優越感は味わえます。

でも味わえるのはそこまでなのだと思います。心が幸せで満たされた、という感覚にはならないと思います。虚しさも訪れるかもしれません。

なぜなら、本当に私たち人間が求めているものは、心の平和であり、人とのつながりであるはずだから。私たちのエネルギーをそちらに向けて使っていけたら、と思います。

相手に共感できなくてもいい。違うということを理解して認めるだけで十分と思います。

 

つながりとか、理解とか、こういうことはとても地道なことです。地味です。

現在の社会の中ではそういうことに対する関心が高まってきていると感じていますが、同時に、この本で書かれている「平和に飽きた倦厭感」(p.218)という気配もまた感じるときがあります。

どうか、日本が、世界が、飽き飽きした感覚や不機嫌な気分を晴らすために、方向を、行動を誤ることがないことを願います。

 

本書を読んでいて、それは飛躍しすぎではないか、とか、でもこういう例もあるよ、と反論したくなることもあります。

それでいいのだと思います。

文化ごとにいろいろな価値観があるように、個々人にもいろいろな考え方があります。いろいろな知識や視点を得て、なるほどこういう考え方をする人がいるのか、何が正しいのかわからなくなってきたな、という感覚を持つことも意味があるように思います。

歴史にも触れている本書は、学校ではいっぺん通りの歴史しか習わない私たち日本人に、それとは違う世界を教えてくれると思います。また、他のことを調べたくなる入り口にもなるのではないかと思います。

 

本当はBrexitで思うことなども書きたかったですが、それはまた別の機会に(※)。

 

※2016/12 追記

こちらに書きました。本は、本書を買った時に一緒に買ったものの1冊です。

www.cocomichi.club

 

世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて (集英社新書)

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これに触発されて見てみたくなった映画・読みたくなった本。これは読みきれない。。。

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 内田さんの本は好きです。著書が沢山あるのでどれを読んだか記憶が定かでありませんが。

街場の現代思想 (文春文庫)

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