ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

ヒトラー演説 熱狂の真実

6月のBrexit、10月のコロンビアの和平合意の国民投票での否決、そして11月のアメリカ大統領選挙。歴史にはターニングポイントがありますが、未来の人が振り返ったら、2016年はきっとその一つになっているのではないかと思います。(コロンビアの和平合意は修正の後に11月30日に議会承認されたようでよかったです。和平合意反対派の人たちとの対立が悪化しないことを願います。)

 

ふたつの世界大戦を経て、人類は、もう二度と悲劇を繰り返さないようにと、互いの違いを尊重しながらの統合に向けて、一歩一歩を積み上げてきたのだ思っています。その忍耐強い積み重ねがたった1度の選挙であっという間に崩れるということをBrexitで目の当たりにして、この夜はなかなか寝付けませんでした。分断、不寛容、そんな空気が主流になり始めているのか、ということは大きな衝撃でした。そしてコロンビアの国民投票結果を見て更に驚き落胆し、もはや11月のアメリカ大統領選結果は驚きというよりも「ああ、また・・・」といった感覚で受け止めました。

 

選挙制度がおかしいのではないかとか、国民投票ってどうなんだろうとか、いろいろな考えも湧いてきますが、今年私たちが見たものは、ヒトやモノが自由に行き来できる現代のグローバル社会の恩恵を受けていない人、寛容を良しと思わない人、多様なものが混じり合うことを好ましく思わない人、あるいは単純に現在の世の中に不満がある人が少なくとも国のおよそ半分いたということであり、このことに気づいていなかったか、あるいは見て見ないふりをしてきたことについては、何とも言えない気持ちになります。

 

英国の選挙結果を見た時は、留学先のnegotiation(交渉)の教授の言葉を思い出しました。現在のルールの下ではどうしたって勝ち目がない人は、(正面から交渉しても意味がないので)ルールを根底から覆すような手段に出る動機がある、と。

本当の革命を知らないので大貧民というトランプゲームの「革命」が思わず頭に浮かびましたが、今回、現実の世界でも、今の世の中の仕組みではどうしたって幸せになれないと思えば、その仕組みを崩すインセンティブが働くということを見たような気がします。その人が言っていることが仮に全部良いとは思わなくても、今と同じことがずっと続くよりは何でもいいから何かを変えてしまいたいというインセンティブが。組織や国を治めるには、そういう風に追い詰められた感情が生まれないようにバランスを取ることが大事である、ごく一部にでもそのような感情が生まれてしまうことは命取りになりかねない、ということを学んだ気がします。

 

米国の選挙については、先輩のコーチの受け売りですが、ディープ・デモクラシー(深層民主主義)を思います。表立っては言えないけれども、正しくはないのかもしれないけれど、そこに確実にある感情。人間だもの、人より沢山稼ぎたい、自分の優位な立場を脅かされたくない、女は黙ってろ、古き良き時代が懐かしい、仕事を奪っていく外国人が妬ましい、なんで働きもしない奴の医療費まで面倒みなくちゃいけないんだ、そういう気持ちが湧いてきてしまったとしても、それはある意味自然なこととも言えると思います。

カウンセリングでもコーチングでも、誰にでもある黒い部分・闇の部分もそれはそれとして評価判断なく受容していきます。そうすると、矛盾するようなのですが、自然に自分自身の力で、より広い視点で物事を見たり、より寛容な姿勢になっていきます。逆に一見ネガティブな感情を全否定すると余計にカラに閉じこもったり反抗的になったりして、起きるべき変容が遠のきます。

選挙戦の詳細を見ていた訳ではないですが、ヒラリー陣営が、正しいこと、米国人としてあるべき姿を主張するだけではなく、人間の中にあるこういう弱い部分にも理解を示すようなことをしていたら、どうなっていただろうか?と思ったりします。

 

さて、前置きが長くなりましたが、今回の本は、ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (高田博行氏著)。Brexitの後に本屋に行った時、「世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて」と一緒に買ってきていたものです。いったい世の中の流れはどうやってつくられていくんだろう、どうやって変わっていくんだろうという興味から読みました。

 

ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書)

 

ヒトラー率いるナチ党が表面上合法的に権力を掌握したことは有名な話です。1933年に首相になり、翌年には総統となって国家を完全に支配する頃にはもはや弾圧や粛清が始まっていたと思われ時既に遅しという状況だったと思いますが、少なくとも小さな党から得票率を2.6%(1928年)、18.3%(1930年)、36.68%(1932年)、37.4%(同)と伸ばして第一党にのし上がるまでは選挙によって支持層を増やしています。

第二次世界大戦を過去の事実として知っている私たちからすれば、どうして彼に票を投じようと思う人がそんなにも大勢いたのか不思議でなりませんが、この本では時系列に沿ってその経緯を見ていくことができます。そして、彼が25年間の間に行った演説データ150万語を解析し、どのように民衆を捉えたのか、彼の言葉がどのように変化していったのかを分析しています。当時の流れが目に浮かぶようです。

 

この本を読んで、ヒトラーが全ての国家権力を掌握することができた背景は、こんな風に理解しました。(歴史にはあまり詳しくありませんので、間違った理解・解釈があるかもしれないことはご容赦頂ければと思います。)

 

▪️類い稀な、生まれながらの演説力

本人の著書によれば、ヒトラーの弁舌力は小学生の頃から磨かれており、実際、青少年期の頃から驚くべき才能があったことが同級生の回顧録で証言されています。

当初、画家を目指していたヒトラーは18歳(1907年)でウィーンへ移り、美術学校に落ちた後は、建築と政治に関心が移り、24歳(1913年)でミュンヘンに移り住んだ後は、絵を売りながら、本や文献を読み、ビアホールやカフェで政治討論をする生活だったとあります。

第一次世界大戦で陸軍に志願して入隊し生還した後、ミュンヘンで帰還兵たちに反共産主義的、愛国主義的な思想教育を行う「啓蒙教育部隊」の仕事に就くことになったあたりから、彼の演説力が注目を浴びていきます。ユダヤ人批判も含む内容であることについて警戒感を示す人もいたものの、多くの講習会参加者の心には刺さるものだった様子が伺えます。

ヒトラーの演説内容は講習会参加者であった帰還兵たちが持っていた反ユダヤ的感情に訴えたため、聞き手側に大きな反応があった。ヒトラーは失望感の強い帰還兵たちに、誰が敵であるのかをうまく印象づけたのである。講習会に参加した帰還兵たちの報告文を読んでみると、ヒトラーの「情熱に満ちた」レクチャーを聞いて「受講者全員が感激し」、中にはヒトラーを「生まれつきの民衆演説家」と称えた者もいた。(22頁)

 

ヒトラーの演説力は極右政党・ドイツ労働者党(後のナチ党)員にも感銘を与え、ヒトラーは請われて入党します。

当初、党員と党友を対象に行われていた集会は、一般聴衆を対象に週に1度の頻度で開催するようになり、次第にヒトラーの演説が一般人にも届くようになります。場所は主にビアホール。ミュンヘンで一番有名なビアホール・ホーフブロイハウスは1920年2月24日の初めてのドイツ労働者党の大集会を開き、また名称をナチ党と改称して旗揚げした場所でもあります。

本書からは、ヒトラーの演説が、弁論術の観点からも優れていたことがわかります。テーマだけではなく、対比法、仮定法、二者択一法、配列、修辞、メタファー、断定的な表現、繰り返し、誇張、曖昧な表現など、構成や表現に関する技術も磨かれています。また、「ベルリンのユダヤ人政権と1918年11月の犯罪者たち(ワイマール共和国の創設に関わった政治家たちのこと)」という仮想敵を作って聴衆に怒りの矛先を向けさせている点も巧みです。本書では1925年ごろには彼の演説は「その文章は弁論術、レトリックの観点では完成していたと見積もることができよう」と評しています(94頁)。

使う用語もその時その時の民衆の心を掴む言葉を使っています。まだビアホールで数千人を相手に演説していた頃は、「ペテン師」「高利貸し」など俗語調で、またユダヤ人を悪者扱いしています。ですが、1930年に第2党に躍り出る頃には、より一般民衆の指示も得るために、ユダヤ人攻撃を避けたり、「憲法」「政治」「経済」などの言葉を用いて、温和な路線をイメージづけることに配慮しています(96頁)。

そしてこれらを、文章にした原稿を用意しているのではなく、簡単なメモだけを手元に置いて、視線は常に聴衆を見て巧みなジェスチャーと共に語りかけています。

どんな人間の中にもあるダークサイド。ヒトラーは魔術的な演説力で、それと気づかれないように、これを刺激し、呼び起こし、増幅させていったのだろうと想像します。

 

▪️学習と実践

ヒトラーはまた早いうちから本や文献を読み、聴衆を操る術をよく勉強していたとあります。

ヒトラーが心得ていたとされるフランスの心理学者ル・ボン(Gustave Le Bon)の「群衆心理」は、当時だけではなく、今の時代にも十分思い当たる現象が大小様々なレベルで起きているとも思え、ちょっとぞっとします。群衆である私たちもよく自覚しておくべきことだと思うので引用します。

 ル・ボンによれば、群衆は常に「意志の強い人間のことばならよく聞くものである」。「指導者」が簡潔に「断言」し、「できるだけ同じことばで」繰り返すことで、繰り返して言われた意見や信念が「威厳」を得て「批判能力を麻痺させ」、群衆の間に否応なしに「感染」していく。群衆のなかの個人は、「単に大勢のなかにいるという事実だけで、一種抗しがたい力を感ずる」ようになり、「暗示を受け」やすく、最終的には「自分で何も考えることのない機械人形となる」。思想は、「知性や理性に働きかける論証によって」ではなく、「極めて単純な形式」によって群衆に受け入れられる。「群衆の心を動かす術を心得ている演説家は、感情に訴えるのであって、決して理性に訴えはしない」。群衆の心を動かす「イメージ」をことばによって呼び起こす際、「自由」とか「平和」といった「極めて意味の曖昧なことばが、しばしば極めて大きな影響力を持つ」。

 選挙においても、「明確な意味を持たず、さまざまな願望を叶えるのに使える」決まり文句を新たに発見するような候補者が当選する。候補者は、敵陣営から攻撃材料にされる恐れのある明確な綱領文書を作成してはならないが、「口頭による綱領は、どんなに誇張してあっても差し支えない。[・・・]これら誇大なことばは、大きな効果を生むが、口で言ったからといって、将来が拘束されることはない」。

 真実らしくない大げさで「刺激的な」ことばを用いるのは指導者にとっては有利なことであり、演説は「どんなに威嚇的であっても威嚇的すぎるということはない」。また、演説において群衆を説得するためには、群衆の興味のありかを常に理解して、演説中の群衆の反応に合わせながら「さまざまにことばを変えることが必要である」。したがって、「あらかじめじっくり検討し、準備万端で臨んだ演説に効果はない」のである。(73-74頁)

また、1932年には、約半年間、オペラ歌手デフリーント(Paul Devrient)から発声法、声に感情を乗せる方法、ジェスチャー、姿勢などのレクチャーを受けており、演説力を更に高めています。

演説の魔力をよく理解し、自分の演説力を自覚し、更にそれを効果的なものにしていこうとしていたヒトラーの様子が伺えます。

 

▪️協力者たち

プロパガンダの天才・ゲッペルスを宣伝指導者として擁していなければ、ヒトラーもここまでの集票はできなかったでしょう。

また、ビアホールで聴衆を前に声を枯らすような演説をしていたヒトラーの声を、より広く届けることができたのは、マイクとラウドスピーカーの開発の功績によるものです。「1928年以降、演説会場でマイクとラウドスピーカーが使用され、ヒトラーの声は巨大な会場の一番後ろの席まで届けられるように」なりました(96頁)。音響中継開発を行っていたジーメンス&ハルスケ社やテレフンケン社の技術や努力がなければ、彼の演説の魔術にかかる人もここまで多くはならなかったと思われます。

上記のオペラ歌手・デフリーントもヒトラーの演説力を高めることに貢献しています。

このように、ヒトラーの演説をより有効にすることに協力した専門家や企業を責めることができるのかどうかは、十分に調べていないのでわかりません。それぞれが最も自分の得意とするところで何か役に立とうとして、単純に儲けようとして、でも、思わぬ方向に進んでしまったということも世の中にはあると思います。ただ、個々人や企業の持つ技術や力がこういう風に利用される可能性にも自覚的でいることは大切と思います。

 

▪️世の中の油断? 

1921年に党首に就任し、躍進していくヒトラーについて、バイエルンや国家は軽視していたわけではありません。

この頃から、ヒトラーの自己理解にも変化が見て取れ、ヒトラーは演説のなかで「ドイツを救う強い男」について言及する。それまでは自分をナチ運動の「太鼓たたき」、つまり露払いにすぎないとしていたのが、今や自らがナチ運動の「指導者」となることを意識した内容の演説を行うようになった。警察は、このようなヒトラーの存在を危険視した。(1922年)12月のバイエルン内務省の報告書には、「議会活動をする気がない党で、演説内容も無意味である。この運動は明らかに国家にとって危険である」と書かれている。(33頁)

 

この後、1923年11月8日にナチ党はクーデター(ミュンヘン一揆)を起こして逮捕され(それでも検事も揺るがす巧みな演説力により大幅に減刑)、1924年に釈放された後にも、合法的な政治活動を行わないおそれがあるとして2年間の公開演説禁止令を受けています。

しかし、ナチ党の勢力が凋落が目に見えてきたとき、公開演説禁止令が解かれます。この頃のメディアや報告書の記述です。

「ヒトラーの再登場によってわれわれが神経質になる必要はない。というのも集会演説家としての彼は、以前の勢いを失ったから」(ユダヤ系週刊新聞「CV新聞」1927年3月18日)

「ナチ党は先へ進めない。党は数からして取るに足らない少数集団である。大衆に顕著な政治的影響を与えることはできない」(1927年内務省秘密報告)(60-61頁)

 

実際、この後1928年の選挙の得票率はわずか2.6%、12席、第9党です。

しかしながら、この後、ナチ党は上記のマイクとラウドスピーカーの力を得て、計算しつくしたプロバガンダで着実に民衆の支持を得ていきます。

ヒトラーは海外からも危険視されていました。にもかかわらず、既に全国家権力を掌握し、国民を管理するフェーズに入っていた1933年でもなお、5月のいわゆる「平和演説」では、ヨーロッパ列強と融和的な関係を築くことに成功しています。

この演説でヒトラーは、国際連盟脱退の可能性を示唆したにもかかわらず、とりわけ「ヨーロッパ」、「同権」、「平和」、「軍縮」、「解決」、「用意」などというキーワードをスローガン的にうまく使って、諸民族協調の代弁者というイメージを作り出している。(中略)

 多くのイギリス人は、権力の座に就いてしまったヒトラーが、外交面でも「わが闘争」に書かれている綱領に従って行動するのではないかと心配していた。しかしヒトラーは、まさにイギリスが聞きたかった平和志向の内容を演説した。イギリスは、このヒトラー演説を受け入れた。ヒトラーがドイツを同等に扱うように要請したことは、ドイツ国民だけでなく、「ロンドン・タイムズ」(The Times)を含む世界中が支持し、ルーズヴェルト(Franklin Delano Roosevelt)はヒトラーの登場に「感激」さえしたという。

 

そしてこの後、10月にはドイツは国民投票で民衆の意思を仰いで、国際連盟を脱退し、ポーランド等周辺国へと侵攻していきます。

 

 ▪️時代がヒトラーに味方してしまった?

第一次世界大戦後というドイツにとってはとても苦しく国民に不満が募っていた時代、

ミュンヘンというビアホールが沢山あり政治論議が活発だった土地柄、

更に、ヒトラーを危険視して決して政権を握らせてはならないと意識していたにもかかわらず不仲・裏切り等で勝手に崩れていく与党・団結できない他の政党。

ヒトラーは自分の目指すところに向けて使えるものを全て使っていった、自分にとって絶好のタイミングは決して逃さなかったという様子も伺えます。暗殺計画すらも当日の急な予定変更で間一髪逃れていることには、時代が味方したとも思えてしまいます。

 

 

この痛ましい歴史から私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

いろいろ湧いてきてうまくまとめられませんが、例えば、今書き留めておきたいのはこんなことです。

 

▪️この歴史を「我が身には起こり得ないこと」と思わないこと

「仕事に効く教養としての「世界史」」 の記事でも書きましたが、時代が動く時には、「確かにそうしたくもなるよね」というような背景があると思います。私たちがもし第一次世界大戦後のドイツという苦しくて貧しい時代の最中にいたら、なんで自分たちだけがこんなに苦しまなくてはならないのだと思うような状況にいたら、彼の言葉に心を揺さぶられずにいられるでしょうか。

 

▪️演説の表面的な言葉に酔わないこと

表面的な言葉ではなく、その人の本当の価値観、本当に達成しようとしていることを見ること。

 

▪️自分たちの弱さを自覚していること

言葉に踊らされることのないようにしつつも、同時に、私たちはいつでも安易に演説の言葉や熱狂によって流されてしまう可能性のある存在であるということに自覚的でいること。

 

▪️自分で考える力と勇気を持つこと

メディアも、賛同しているように見える周囲も、心からそう思っているのか、別の事情があるからなのか、そんなことは端からはわからない。それらは情報の一つとして捉えて、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、歴史から学び、自分で考えることが大事だと思います。

カリスマの恐ろしいと思うところの一つは、周りが思考停止してしまうこと。そして一度、仕組み化されてしまったシステムを誰も止めることができない。戦況が悪化してからのヒトラーは演説する気も失せて、ゲッペルスが何とかマイクの前に立たせるような有様です。それでもその間に何千、何万という命が失われている。本人が自殺するまで続いてしまう。

悲劇が始まる前に阻止するのも、不幸にして始まってしまった悲劇を止めるのも、ひとりひとりにその可能性がかかっていると思います。

  

▪️自分自身の心が平穏な状態を保つこと、自分の状態に自覚的でいること

これが究極的な予防ではないかと思っています。

誰でも、心の醜い部分を持っています。怒り、妬み、劣等感、罪悪感、、、あげればきりがありません。そこに付け込まれると、私たちは簡単にダークサイドに落ちます。

もし私たちが愛に満たされていたら、ヒトラーのことは、例えば、他人を愛することのできない、愛されたことのない、かわいそうな人と見えるかもしれません。そのように見える人の演説には、心は動かされたとしても、熱狂することはきっとないでしょう。

もし私たちが人生の中で愛を感じる体験をしていれば、ダークサイドに落ちそうな自分にも気づきやすくなると思います。

光をもって闇を制する。言うは易し、行うは難し。難しいからこそ、人間として成長していくことの努力を、世の中全体が、弛まず続けることが大事だなと思います。

 

 

はて。今回は内容もボリュームも重たい記事となってしまいました。

是非、こちらの本でゆるめて、平穏な心を取り戻してください。

www.cocomichi.club

 

以下、関連する本のご紹介です。

ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書)

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繰り返さないために: 

わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)

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ル・ボンの「群衆心理」

群衆心理 (講談社学術文庫)

群衆心理 (講談社学術文庫)

 

 オペラ歌手・デフリーントとヒトラーの関係の史実をヒントにしたフィクション映画。

わが教え子、ヒトラー デラックス版 [DVD]

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次はこの本を読みたくなります。

自由からの逃走 新版

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 ヒトラーのような人を生まないためにはきっとこの本が役立つはずと思います。

NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法

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  • 作者: マーシャル・B・ローゼンバーグ,安納献,小川敏子
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2012/06/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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