少し更新が開いてしまいました。
会社員時代は、心やコーチングや組織開発に関する本をよく読んでいましたが、いざコーチングが本業となると、それ以外の本に手が伸びます。
頂き物のエッセイ集。
ちょっとした息抜きの時間にちょこちょこ読むのに最適でした。
「無名仮名人名簿 」(向田邦子氏 著、2015年12月、新装版第1刷)
人間の、人間くさいところ、どうにも醜いところ、どうしようもないところ、
それを通り越して、笑ってしまうくらいおかしなところ。
ご自分もさらけ出しながら、淡々と、
でも鋭く本質をついて描いていく流れと文体でページがどんどん進みます。
今回の読書では、加えて、妙に「エッセイ」というものの価値を感じました。
昭和4年(1929年)東京生まれ。
昭和56年(1981年)に航空機事故で51歳で急逝。
ご存命であれば、この11月で91歳。
ご自分の幼少期〜40代まで、いろいろな時代のお話に触れられているので、
その当時の日本や日本人の暮らし、お住まいだった表参道の様子が伝わってきます。
「小学校の頃、お弁当の時間というのは、嫌でも、自分の家の貧富、自分の家族の愛情というか、かまってもらっているかどうかを考えないわけないはいかない時間であった。」(p.13)
「機動隊がうちのマンションの塀にもたれてお弁当を食べていた。」(p.88)
「エレベーターはあったが、オートメーションではなく手動式なので五時以後は階段を使わねばならなかった。」(p.91)
「今時分誰が使うのか、豆炭やたどんがならんでいた・・・その左隣がパッとしない喫茶店で、その隣がコロッケ屋。そして魚屋で細い露地になっていた。」(p.144)
東京大空襲の晩、火に見舞われる中でもとっさに人がとる行動。(p.166)
「有楽町や日劇前には靴磨きが並んでいた。あの頃はピカピカに光った靴をはくのが何よりのおしゃれであった。」(p.262)
歴史の教科書など読むより、はるかに生々しく、
個々人の表情や息づかいまでもありありと、人々の生活が伝わってきます。
このブログも、いつか未来の誰かが読んだらそんな感覚になったらいいな、なんて。
向田さんの本を読んだのは、多分、これが初めてではなかったような気がするのですが、
向田さんの描く世界を、じんわりと、いいなぁ、と思えるようになった自分に少し成長を感じます。
昔の私は、白黒つけたがる人間だったと思います。
いいか、悪いか。
好きか、嫌いか。
正しいか、間違ってるか。
でも、実際には、世の中、そう簡単な話ばっかりじゃない。
判断つかない状況にイライラしたし、
判断をできない自分も、責めていました。
向田さんの視線やスタンスには、だってそれが人間だもの、という、
人間というどうしようもない存在に向けた愛を感じます。
そして、大きいアングルと細部まで見る目で、そのどうしようもなさを切り出す視点がまた面白い。
私が、曲りなりにもドラマなど書いてごはんをいただいている部分は、白か黒か判らず迷ってしまう部分のような気がする。
好きかといえば好きではない。嫌いかといわれればそうでもない。好きでいて嫌い。嫌いなくせに好き。
善かといえば丸っきり善ではない。
では悪かと聞かれると、あながち悪とは言い切れない。
そんなところが人間だという気がしている(前・後略)(p.114-115)
脱線しているかのように見えて、つながっている、
こんな書き方も、今では何だか贅沢に思えます。
今や、本も、ブログも、結論から書いたり、3点に絞ったり、大事なところは太字にしたりしないと読まれない時代。
何か明確に得るものがないと読まれない時代。
それもわかるけど。
この贅沢さを感じることができるようになった自分も、ちょっと褒めたくなる今日この頃です。
この記事はこんな人が書いています。
ツイッターも始めました。よかったらフォローしてください😊 https://twitter.com/keikotrottolina