ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

ハリー・ポッターと炎のゴブレット(第4巻)

ハリー・ポッター・シリーズ4巻目。

ハリー・ポッターと炎のゴブレット」(J. K. ローリング著、松岡祐子 訳、静山社、2002年11月初版)

ハリー・ポッターと炎のゴブレット<新装版> 上巻

 

ハリーは、ホグワーツ校4年生。

3巻まで読んでくるうちに、もう、物語は夏休みから始まって、7月末にハリーの誕生日が来て、9月に学校が始まるときにはキングス・クロス駅の9と3/4番線からホグワーツ特急に乗って全寮制の学校に行く、こうやって学校に入る、、、という流れがわかってきていて、読者も一緒に1年ずつ学校を進級している感じになるのが面白いです(実際、原書の出版は1年に1冊ずつだったとか)。

 

そして4年生ともなれば、友達への嫉妬や異性への恋愛感情が湧いたり、先生や親にも言えないことが出てきたりと、心も成長・変化するのも上手に使っているところがまたリアリティがあって上手だなと思いました。

魔法使いの話なのでそもそもリアルじゃないと言ってしまえばそれまでなのですが、それでも物語に没入するのは、ハリーをはじめとする登場人物たちの心情がとても人間味ある形で描かれているからかなと思います。

そんな中でも、ハリーとロンの友情はとても素敵で、こんな友達を一人でも見つけることができたら、もう学校でやるべきことはそれ以上ないのではないかと思うほどです。

ハリーにはロンが謝ろうとしているのがわかった。突然、ハリーは、そんな言葉を聞く必要がないのだと気づいた。(第20章)

中身は相変わらず星座表や予言だったが、ロンとの友情が元に戻ったので、何もかもがまたおもしろくなった。(第21章)

 

物語は第1巻〜第3巻から織り込まれてきた伏線が見事につながって、いろんな謎も解けて、全容が明らかになってきます。読みながらハリー・ロン・ハーマイオニーと一緒に読者も学んできた数々の呪文も、次々と実践されて、勉強が役に立つことを知ることになります。

お城や森や街などが著者の中で細部までしっかりと出来上がっていることはもちろん、脇役と思える登場人物にも、それぞれの人生の物語がしっかりあるところが素晴らしく、章や巻が進むごとに、それらが物語に深さと厚みをもたらしてくれるものだと気づきます。それぞれの人物について、別の物語が幾つでも書けそうです。

最初に全7巻分の構想ができてこそ書ける内容と思います。

 

ダンブルドア校長の、寛容で優しい以外の側面、つまり、憂いや激しい怒り、が垣間見えるのも、この巻が初めてではないでしょうか。

「時々、感じるのじゃが、この気持は君にもわかると思うがの、考えることや想い出があまりにもいろいろあって、頭の中がいっぱいになってしまったような気がするのじゃ」(第30章)

そんなときに使うのが、ペンシーブ、『憂いの篩(ふるい)』。

「溢れた思いを、頭の中からこの中に注ぎ込んで、時間のあるときにゆっくり吟味するのじゃよ。このような物質にしておくとな、わかると思うが、どんな行動様式なのか、関連性なのかがわかりやすくなるのじゃ」(第30章)

ペンシーブ、私も欲しい!と思いました。

朝や夜眠る前に時々するジャーナリングが、私の場合はこれにあたるかなと思います。

 

ここまで読んできて、ハリー・ポッター・シリーズ全体を流れる一つの大きなテーマがより鮮明になってきます。それは「生まれ」や「血筋」。

「...人をお信じなさる。あの方は。だれにでもやり直しのチャンスを下さる...そこが、ダンブルドアとほかの校長との違うとこだ。才能さえあれば、ダンブルドアはだれでもホグワーツに受け入れなさる。みんなちゃんと育つってことを知ってなさる。たとえ家系が...その、なんだ...そんなに立派じゃねえくてもだ。しかし、それが理解できねえやつもいる。生まれ育ちを盾にとって、批判するやつが必ずいるもんだ...(中略)『自分は自分だ。恥ずかしくなんかねえ』ってきっぱり言って立ち上がるより、ごまかすんだ。『恥じることはないぞ』って、俺の父ちゃんはよく言ったもんだ。『そのことでおまえを叩くやつがいても、そんなやつはこっちが気にする価値もない』ってな。親父は正しかった。俺がバカだった。

(中略)

みんなに見せてやれ...純血じゃなくてもできるんだってな。自分の生まれを恥じることはねえんだ。ダンブルドアが正しいんだっちゅうことを、みんなに見せてやれる。」(ハグリッドの言葉、第24章)

「あなたはいつでも、いわゆる純血をあまりにも大切に考えてきた。大事なのはどう生まれついたかではなく、どう育ったのかなのだということを、認めることができなかった!」(ダンブルドアからファッジに対して、第36章)

日本にも格差はありますけれども、イギリスの「生まれ」や「家柄」の違いによる人生や仕事の違いに比べればそんなのは比ではなく。イギリスでこの本が愛されるのもわかる気がします。

 

第4巻最終章のタイトルは「始まり」。

本巻でも相当な対決でしたが、いよいよ、次からが本番か、と。

「ヴォルデモート卿は、不和と敵対感情を蔓延させる能力に長けておる。それと戦うには、同じくらい強い友情と信頼の絆を示すしかない。目的を同じくし、心を開くならば、習慣や言葉の違いは全く問題にはならぬ」(ダンブルドア、第37章)

ハグリッドの言うとおりだ。来るもんは来る...来たときに受けてばいいんだ」(第37章)

 

ということで、第5巻に進みます。

 

余談1:細かな翻訳の工夫には笑ってしまいました。

原書で、マグルの「Police man」を魔法使いたちが、おそらく「Please man」と呼んでいるのを、「警察」ではなく「慶察」と表してみたり、など。

 

余談2:この巻から、単行本で上巻・下巻となり、相当なボリューム感。

今月半ばに予定しているハリー・ポッターの舞台観劇までにどうしても7巻読み終わりたい私としては、時間がない。

オーディブルの聴き放題の中にハリー・ポッター・シリーズがあるのに気づき、ご飯を作ったり片付けたりするときには、オーディブルに切り替え、紙の本とオーディブルと行き来しながら読み(聴き)進めました。

風間杜夫さんのいろんな声色を使い分ける素晴らしい朗読で、映画や劇を見ているかのように楽しめました。おすすめです!

 

 

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