かれこれ約2年半、ポッドキャスト「独立後のリアル」を毎週配信しています。
これからの時代を面白く生きるヒントなども織り込みながらの、相方はっしーとの雑談ですが、話していけばいくほど、何につけ「結局はセンスなんじゃないか?」という気がしてきています。
お金の使い方も、時間の使い方も、ビジネスの仕方も、何もかも。
以前、収録の前後にそんな感想を話していたところ、相方からこの本のタイトルを教えてもらいました。
「センスは知識からはじまる」(水野学 著、2014年4月初版、朝日新聞出版)
グッドデザインカンパニー代表、クリエイティブディレクター/クリエイティブコンサルタントの水野さんの著書。
くまモン、中川政七商店、茅乃舎(かやのや)などのクリエイティブディレクションを手がけた方。
「フランダースリネン」という私も持っているシャツの名前・ブランドもこの方が発案だったのだということは、本書を読んで知りました。
現代社会において、センスとはマナー
冒頭書いた、私が感じていたことは、あながち間違っていなかったな、と思いました。
現代社会において、センスとはマナーです。(p.142)
センスのよし悪しが個人と企業の存続に関わる時代(p.36)
企業の美意識やセンスが、企業価値になる。これが今の時代の特徴です。(p.63)
そんなこと言われたらもう、センスのない自分はどうしたらいいの?
本書は、そうと思ってしまう人のための本でもあります。
センスとは、誰にでも備わった身体能力と同じです。
(中略)どれだけセンスを磨き、使いこなせるかーその違いが、センスがいい/悪いということです。
(中略)
センスの良さとはミステリアスなものでもないし、特別な人だけに備わった才能でもありません。方法を知って、やるべきことをやり、必要な時間をかければ、誰にでも手に入るものです。
僕もあなたもセンスは等しく持っており、違いはそれをどう育てているか、どう使っているか、どう磨いているかだとお伝えしたいと思います。(p.7)
センスとは知識の集積
センス=感性、生まれつきのもの、という印象を持っている人は多いのではないかと思います。また、センスがある人とは、真新しくて誰も思い付いていないような斬新なものを思いつける人、と思っている人も多いのではないかと思います。私もそうでした。
が、そうではない、と言い切る内容です。
センスとは知識の集積である。これが僕の考えです。(p.74)
センスとは、研鑽によって身につくものです。(p.143)
「わからないのはセンスがないせい」ではなく、「わからないのはセンスを磨く努力をしていないせい」です。(p.144)
つまり、過去に存在していたあらゆるものを知識として蓄えておくことが、新たに売れるものを生み出すには必要不可欠だということです。(p.79)
知識にもとづいて予測することが、センス(p.86)
ここまで繰り返し言われても、読みながら、これを認めてしまいたくない自分がいました。
だって、もしそうだとするならば、センスを磨くには本当に沢山勉強しなくてはならないから。
沢山知識を持っているのに、センスない人もいるじゃん、とも思ったから。
ですが、自分の中で、何かを見たり聞いたりした時に「センスないなぁ」と思うのはどんな時だろう?と思うと、
「この人、このお店、全くわかってないなぁ」というときだと思い当たりました。
確かに、そこに、知識があればわかるはずである配慮や、知識があればそこはもっと精度を高めるであろう点が欠如しているときなどに、「センスない」と感じるのだな、と。
また、自分自身が全く知らない世界のことはセンスの良し悪しは分かりませんが、よく知っていたり経験がある分野だと、明確にセンスある・ないを感じます。
私で言えば、建築などは、どこをどのように工夫しているからすごい、といったことに気づけないし、教えていただいても、正直、はぁ、としか言えないのですが、文字はかなり沢山触れてきたので、文章や構成についてのセンスの有無は確かに感じることがあります。
また、海外のものを取り込んだり模倣したりしているモノや場所に触れると、本物を見てきたものである場合、すごい、ここまでわかって作ってるんだ!と面白味を感じたり、逆にあまり考えられていないと、わかってないなぁ、と冷めてしまうところがあります。
確かに、センスある・ないの判断の後ろに、私の知識や経験がある。
これに思い当たってからは、かなり腹落ちしながら読みました。
センスの磨き方
なので、もう、センスの磨き方はこれに尽きる。
裏技やショートカットなど、ない。
センスを磨く方法は、知識を集積することと客観的になること。
逆にいうと、不勉強と思い込みはセンスアップの敵です。(p.159)
ただ、この知識の集積の仕方が鍵のように思います。
サラリと書いてあるのですが、実は、ここが難しいのだと思います。
知識があるのにセンスはない、という場合、ここが何かズレているのかもしれません。
一つは、蓄積する情報について。
センスの最大の敵は思い込みであり、主観性です。思い込みと主観による情報をいくら集めても、センスはよくならないのです。(p.92)
人間は、基本的に見たいものしか見ないし、聞きたいものしか聞かない生き物です。
放っておけば、自分の好きな情報だけを集めますし、同じものを見ても、そこから抜き取って蓄積する情報は、自分のもともとの考え方に合うものだけです。
この罠から抜き出るには、かなり意識的に、街に出かけたり、新しい人に出会ったり、本屋でも自分が普段は立ち寄らないコーナーなどにも行ってみるなどのことが必要になると思います。
もう一つは、知識は集積するだけではなく、感じることが大事であるということ。
知識の集積に懸命になりすぎると、人は時として自由な発想を失ってしまいます。センスを磨くには知識が必要ですが、知識を吸収し、自分のものとしていくには、感受性と好奇心が必要なのです。
幼児性が創造力や発想につながっていく大きな理由は、感受性と好奇心が並外れて大きいからです。
そして、この「感じる力」が強くないと、知識というのはなかなか蓄積されていかないものです。(中略)「感受性+知識=知的好奇心」(p.168-169)
詰め込み型の勉強や、正解を探す勉強ばかりやっていると、この「感じる力」は衰えていきます。受験勉強の最中には無駄な時間として切り捨てられそうなところでこそ、この「感じる力」が育ったりします。
水野さんは、センスについて、こうも言っています。
「センスのよさ」とは、数値化できない事象のよし悪しを判断し、最適化する能力である。(p.18)
センスとは数値化できない事象を最適化すること(p.36)
学校教育や売上とコストと利益を追跡する企業の中で、私たちは何でも数値化するクセがつけられていて、いつの間にか、数値化できないものに価値を見なかったり、そこにあまり重きを置かないようになっている可能性があります。
数値化できない、けれども、感じる。
その感じる力を大事にしなさいと言われているようにも感じます。
読後に感じたこと
全体としては、さらりとした文章ながら、その実はかなり高度なことをおっしゃっている本だなと感じました。表面だけを切り取りながら読んでしまうと、矛盾して聞こえそうなところもあります。
そして、私なりに感じたことは2つ。
一つは、
「やっぱり好きなこと、没頭できることじゃないと、大成しないわな」ということ。
月並みな言葉ですが、本書を読んで、改めて確信しました。
だって、センスを磨くには、沢山の知識を集積し、感じていく体験が必要。
好きじゃなかったら、沢山の知識を集積したり、沢山の試行錯誤をしたりなんて、できません。
一方、「好きなことをやる」ということと、「好きなことしかしない」「得意なことしかしない」というのはだいぶ違いがあります。
本気で「好きなことをやる」ためには、「好きではないこと、好みではないこと、得意ではないこともやる」ということがついて回るからです。
例えば、私は、幸いにも、自分の仕事であるコーチングが好きですが、この道を探究していくと、リーダーシップ、心理学、身体、栄養、哲学、芸術、文化、歴史、経営などなど、いろんなことに知見を広げていくことになります。また、もっとコーチングを届けていこうと思えば、マーケティングやデザインなど新しい領域も知る必要が出ます。
こういう中では、決して自分が得意ではないものにも遭遇しますが、自分のやりたいことを、より良い形で届けていくためには、通らざるを得ない。やってみざるを得ない。できるかできないか、わかるかわからないか、などつべこべ言ってる場合でもない。
そうこうしている間に、知識も蓄積されて、センスが磨かれる。
入り口はコーチングだったはずなのですが、知らないうちに、多方面の知識が蓄積されるという副産物もありました。
そう考えると、闇雲に「とにかくセンスを磨こう」とありとあらゆる分野に着手するよりも、何かしら自分の興味のある分野をとっかかりにそこから深めて、横に広げていくというという方が、意外と遠回りなようで本質に近づく感じもします。少なくとも私にはその方が機能するようです。
不思議なものですが、一つの道で探究を続けていると、他の道で探究している方と、驚くほど話が通じます。コーチングにどハマりし、プロとしてやっていく道を歩き始めたおかげで、コーチングとは全く関係のない分野の方々ともお話ができるようになってきたのは、私にとっては大きな予想外の喜びの一つです。
もう一つ思ったことは、「人生の時間が足りない」です。
読みたい本も、お話を聞きたい人も、行きたいところも、まだまだ沢山。
困ったことに、知れば知るほど、もっと知りたくなる。
センスは一足飛びには磨けない。磨くには時間がかかって当然なもの。
だとしたら、学びが遅いように感じる今も、その途上、と思えば、少しは気が楽になってくる気もします。
感想はここまで。以下は、私の備忘録:
効率よく知識を増やす3つのコツ:(p.102-111)
①王道から解いていく
②今、流行しているものを知る(王道と流行のものもの両方を知っておくことで、知識の幅を一気に広げられる)
③「共通項」や「一定のルール」がないか考えてみる
デザインを構成する要素:(p.113)
①色:隣り合う色に注意。同系色もしくは補色にする。
②文字:文字の歴史的知識が役立つ。
③写真や絵
④形状
まずこの4つに注目する。
時々思い出したいこと:
センスがいい商品をつくるには、「普通」という感覚がことのほか大切です。それどころか、普通こそ、「センスのいい/悪い」を測ることができる唯一の道具なのです。(p.19)
日本企業を弱体化させたのは、市場調査を中心としたマーケティング依存ではないでしょうか。(中略)
第一に、調査だけに頼っていると、自分は何がいいと思い、何がつくりたいのか、自分の頭で考えなくなります。(中略)
第二に、「調査結果で決めた」となると、責任の所在が曖昧になります。(p.55-61)
「クリエイティブディレクターは企業の医者である」(p.64)
商品というアウトプットとは「もの」であり、視覚に左右されます。(中略)
どんなにいい仕事をしていても、どんなに便利なものを生み出していたとしても、見え方のコントロールができていなければ、その商品はまったく人の心に響きません。
見え方のコントロールこそ、企業なり人なり商品なりのブランド力を高めることにつながっていく。そのブランド力を高められるのが、センスのよさなのです。センスにはやはり、「最適化」が非常に大切だということでしょう。
センスを磨くには、あらゆることに気がつく几帳面さ、人が見ていないところに気がつける観察力が必要です。よいセンスを身につけることも、維持することも、向上することも、研鑽が必要です。
能力がある限られた人しかできないことだから、難しいのではありません。
本当に簡単なことを、「これが重要だ」と認識し、日々実践していくこと。その繰り返しを続けることが難しいのです。(p.68-71)
「あっと驚かないけれど、新しいもの」とは実はAダッシュであり、いきなりXまで飛んでしまうと、市場ではまったく求められないということもあり得ます。
「あっ!」より「へぇー」にヒットは潜んでいる。僕はそう感じるのです。(中略)
あっと驚く心の裏には、恐怖も潜んでいます。(中略)
新しいものに接した時、過去のものや過去の知識に照らし合わせて考えるのが自然だということです。(p.81-83)
デザインは装飾デザインと機能デザインで成り立っていますが、世の中にはあまりに装飾に偏った商品が多い。(p.103)
僕はまた、このところ折にふれて「精度の時代だ」という発言をしています。精度とは言葉を変えればクオリティのこと。(中略)
ありそうでなかったものをつくり出すとき、しばしば「差別化」という言葉が使われます。これは本来、「ほんの少しの差」を指すのではないかと僕は解釈しています。ただし、単に「ほんの少し違う」だけでは駄目で、その先に求められるのが「精度」だと感じます。(中略)
人の感覚は、とても繊細で敏感なものです。具体的にどこがどう違うのかは言えなくても、その製品が他とはなにか違っていること、理由はわからないけれどもかっこいいこと、高い精度で丁寧につくられたものであることは、鋭く感じ取ります。
どれだけ幅広い知識を得られるか?それらをどう融合させるか?最終的にどれだけの精度でつくりあげられるか?この一連のプロセスこそ、デザインやブランディングに欠かせないものだと思います。
デザインは細部に宿る。
ブランドは細部に宿る。(p.120-125)
僕がしたことは、新しいものをつくることではなく、すでにあったものをほんの少し飾ってあげることでした。
名前をつけて、マークをつくり、タグをつけて販売するというのは、「ブランド化」ではありますが、僕の感覚ではそんなに大げさなことではなく、「よさが伝わるように、ちょっと情報整理してあげただけ」です。(p.132)
センスを磨く上で、好き嫌いでものを見るのは禁物です。好き嫌いとは、客観情報と対極にあるものなのですから。(p.153)
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