ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

横尾忠則対談集 芸術ウソつかない

今、東京都現代美術館で横尾忠則さんの展覧会(GENKYO横尾忠則)をやっているんだよねと思い、10年ぶりぐらいに再読。

人から借りた本がそのまま自分の本棚に収まってしまうという、よくある(?)例。(なので私も、人に本を貸す時はそのまま返ってこないかもしれないという覚悟です。)

以前読んだ時にどこが響いたかは忘れましたが、今回もまた面白かったです。

横尾忠則対談集 芸術ウソつかない」(横尾忠則氏 著、ちくま文庫、2011年5月初版)

 

横尾忠則対談集 芸術ウソつかない (ちくま文庫)


画家、グラフィックデザイナーなど多彩な著者が、各種雑誌の企画などで各界の著名人と対談してきた記事の中から、15名との対談を選んでまとめたもの。

 

そのお相手は、

井上陽水、吉本ばなな、細野晴臣、中沢新一、増田明美、唐十郎、瀬戸内寂聴、引田天功、横尾美美、三宅一生、ビートたけし、篠山紀信、河合隼雄、鶴見俊輔、福田和也。(敬称略)

 

何がすごいって、誰と話してても、面白い対話が成立しているところ。

とっても軽いものから、深淵なものまで。

話の粒度、抽象と具体、視座と見る角度、自在に変えながら聴ける・話せるっていうのは、本質に触れ、ありのままの自分でそこに居るからだろうと思います。

こんなふうに、いろんな業界の方々とお話をしてみたいものです。

この15人の中では、私はとりわけ井上陽水さんのファンですが、対話としては、吉本ばななさん、細野晴臣さん、引田天功さん、三宅一生さん、河合隼雄さん、福田和也さんの回が私にはとても面白かったです。

 

この対談は1998年~2000年の間に行われたものなので、すでに、横尾さんはじめ対談された方々の今の考え・感覚・意識はさらに先に進んでいるのだと思いますが、当時のお話からも、インスピレーションを頂きました。

例えば、身体が全部知っているという話、自分には無限にいろんな自分がいてどれも表現できるという話は、私もコーチングで大事にしています。

また、「個人」よりも「個」という話は、私が最近ぼんやりと感じていることを言語表現していただいた感じがして、一つの道筋を頂いたような感じがします。

自意識が一番厄介で邪魔、というのは、私もかなり影響を受けた「自意識と創り出す思考 」にもとてもよく通じていて、共感しました。

 

今現在の横尾さんの意識については、 GENKYO横尾忠則展で感じて来たいと思います。

会期は、10月17日まで。先日の篠山紀信さんの写真展も行きそびれてしまい。

うかうかしてると、日々はあっという間に過ぎていってしまいますね。

 

以下、また読み返したくなるだろうところを、厳選して以下に抜粋させて頂きました。

太字は、私が勝手にしています。

ピンとくるものがあれば、続きは本書でどうぞ!

 

心、身体、魂について、吉本ばななさんと。

横尾- テレパシーとか原始的なコミニケーションの代行を、今は携帯電話とかコンピュータがしていて、そういう能力はますます退化していく。人間の想念より早いものはないんだけど、今はインターネットが一番早いということになってるでしょう。(p.44)

吉本- 私の場合は、海の生活というのが基本にあって、海から離れた生活をするほど、どんどん具合が悪くなっていく、というのがわかってきましたね。海の生活って単純にできてるでしょう。朝起きて、散歩して、ちょっと仕事して、海で泳いで、夕日が沈んだら家に帰るという。 海の側が勝手に展開してくれてこちらはそれに合わせていればいいから楽なんですけど、東京にいると、風景が動かないので自分で何でも決めて動かないといけない。それでだんだん疲れてきちゃう。だから、年に一度は海の生活をするようにしてます。(後略)(p.46)

横尾- どうも心のいうことに従ってると、ろくなことないということに気がついたんですよ。いろんなことで迷い続けていて、自分が自分を振り回してる、その根源を考えたら、どうも心とか精神とかなんですよ。まあ、自我とか無意識とかに振り回されていることが多い。ここ二、三年、ちょっと楽だな、変わったなと思ったら、どうも僕の行動は体を優先してるんです。(中略)

横尾- 体ほど正直なものはない。体に従うことは、魂に従うことだからね。(中略)

吉本- 何に目標を定めるかっていうのが大事なような気がするんです。みんな健康的な生活に関心が高いけど、そこにすっぽり抜けてるものがある。「何のために生きたいのか」というのがあって、それに従って生活が決まってくると思うんですよ。早起きして、体にいいものだけを食べて、早寝して、というふうに生きたいから生きてるわけじゃないっていうのを、みんな忘れているような気がする。(p.49-50)

横尾- (前略)魂は心に近い存在じゃなくて、むしろ魂は肉体に近い存在だと思いますね。肉体に正直になっていくと、その人間の霊性というのがはっきり現れはじめる。(後略)(p.51)

 

自分の中には八百万の自分がいる、という話。細野晴臣さんと。

横尾- 展覧会やるたびに、いろんな人から「作品がコロコロ変わりますね」って言われるんだけどね、僕は変わってないんですよ変化というより、僕の中にあるいろんな複数の僕が形になって出るだけだから。(中略)

(中略)

横尾- (前略)日本は八百万の神様でしょう。自分の中に神は宿るっていうけど、だったら我々は八〇〇万のアイデンティティがあったっていいわけですよ。意識することによって、ますますそれが出てくると思う。

(中略)

横尾- 僕も居直ったわけじゃないけど、自分のことを発見したというか、僕の中に、多面的、多義的なキャラクターがあって、それをとにかく片っ端から引っ張り出そうと思ってる。これをやっていくと、完全に自意識を消せるような気がする。

(中略)

横尾- 自意識ほど、自分を狭くして、生きにくくしてるものはないんじゃないかしら

細野- でも、みんなそれを大事にしてますよ、相変わらず。それが自分だと思ってる人がほとんど。

横尾- 何もないのが自分じゃない? あるのが自分というのは幻想で。植物とかは自意識を持ってないと思う。火がついて燃えたら燃えたままで、風が吹いて枝が折れたら折れたままでしょう。だから自意識も出したほうが問題で、宇宙意識と向かいあっていればいいと思うよ。(p.66-69)

 

わからないから面白い、という話。三宅一生さんと。

三宅- 僕が誰かと仕事をしたいと思うときはいつも、その人と一緒に仕事をすることによってその人から何かを学びたい、感じたいという気持ちです。その人のことをよく理解しているから組むというより、何だかよくわからないけどとても気になる、もっと知りたいから頼むという感じですね。「なんだ、コレは!?」と新鮮に感じる人に興味を持って、この人に頼んだらどうなるんだろうという期待からです。横尾さんにお願いしたのも、横尾さんがどんな風に仕事をしているのか知りたいという気持ちが強かった。(中略)

三宅- 自分でも予測できないことが起こってこないと、面白くないですね。(p.199)

横尾- 先が見えないのが、いちばんいいんですよ。

三宅- 先が見えたことをやると、失敗しないようにやろうとする。でも、先が見えないことだと、失敗してもともとだと思うから、発想も自由になるし、思い切って「やっちゃえ!」となる。(攻略)

横尾- 一般大衆は、感覚で動いてますから、僕らの仕事もやっぱり感覚だなと思うんです。感覚とか美というのは、頭で考えるものではなく、肉体から発しているものつくる人間の生き方とか生活、意識とかが統合されて美ができるわけで、この色とこの色を組み合わせれば美になるというものではない。結局、作品づくりというのは、人間づくり、自分づくりだと思う。世の中を変えてやろうという前に、自分自身の変革しかないと思ってるんです。(後略)(p.204-205)

 

写真について。篠山紀信さんと。

篠山- だって密会デートだもの、同じですよ。人でも物でも写真の基本は「密会デート」。

(中略)

篠山- 相手も生理的に動いているわけだから、こちらも肉体でそれに反応する。写真を撮る僕のエネルギーが高揚してきて、相手とピピッと合うわけですよ。といっても、カメラというものが間にあるから、僕が目で見たのと同じように撮るには、そこんところの技はいるね。(p.228-230)

 

無意識について。河合隼雄さんと。

横尾- 我々は無意識ということで、無責任ですまそうとしている、と。

河合- 仏教では、すベてをひっくるめて「意識」と呼んでいるわけです。ところが西洋の場合は、近代的自我がものすごく強いから、深い心を意識だと考えなかった。それでフロイトやユングは「無意識」という言葉を使ったんです。本当なら「深層意識」と呼ぶべきでしょうね。(p.258)

 

個人と個について。福田和也さんと。

1967年にNYに行って、サイケデリック・ムーブメントに触れて、自分の中の何かが崩落した経験を振り返りながら、

横尾- (前略)自分が「個人」を目指すのではなくて、「個」を目指さなければと、そう感じたんです。それまでは社会的背景の「個人」でやってきたような気がするんですよ。

(中略)

横尾- 「個人」というのは、やっぱりそこに自我意識も入ったり、想像や想念も入ってくる。想念は否定することはできないけれど、ただそれに振り回されたくないし、想像というのもいい加減なもので、じつは想像する必要なんてないんじゃないかと。それからできれば、自意識も邪魔になる。とにかく「個人」ではなくて、「個」というものが、自分の中から立ち上がっていく感じを受けたんです。

 果たして「個」というものに、なれるのかどうかと思って。作品を作ったときに、「個人」では普遍的なものとつながらないかもわからないけれど、「個」というものはもしかしたら、そういう普遍的なものにつながるのではないか。

 あるいはもっと話を拡大すれば、宇宙原理みたいなもの「個」になれたらそういったものの軌道に乗れるんじゃないかと思ったのです。言い換えれば、「個人」という意識を持っている以上、それは無理じゃないかと思ったわけですね。

(中略)

横尾- (前略)宇宙原理のような統一された秩序と言ったらいいのでしょうか、それと我々の生命維持と、どこかで結びついているという気がする。

 その宇宙原理のようなものとつながるためには、「個」になれるかどうかではないでしょうか。(中略)「個人」で生きていくのは辛いな、下手すると地獄だなという気がするんです。逆にもし「個」になってしまえば、宇宙意識を働かすことで宇宙の原理と同化できるような気がしますね。

(中略)

横尾- (前略)だから五感を、いつも認識して。それから特にものを作る場合は、生理的感覚によって作りたい頭でコンセプトを立てるのではなくて、生理に従うという方法で。そこには無理もないし、もっとも自然でいいんじゃないかと思うんです。もちろん妙な自我意識も出てこないし。(p.295-298)

 

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