たいへん久しぶりの更新です。ちょっと慌ただしくしておりました。
既に遠い過去のような気もしますが、平成と令和をまたぐゴールデンウィークで、10日間のヴィパッサナー瞑想に行ってきました。期間中、新月あり、雷あり。
こちらの本はその瞑想法について説明している本で、経験者の方から紹介されたものなのですが、結局、読む時間がないままに行きました。この後ゆっくり読んでみたいと思いますが、その間にも「ヴィパッサナー、どうだった?!?!」と、会う人たちから聞かれますので、本に頼らない、自分の体験談を書いてみたいと思います。長くなりそうです。
ヴィパッサナー瞑想とは(定義)
ここだけは本を引用いたしましょう。
ヴィパッサナーとはインドの古語であるパーリ語で「洞察」という意味をもつ。ヴィパッサナーはブッダの教えの真髄、ブッダが説く「真理の実体験」である。ブッダ自身、瞑想をおこなって真理を体験しており、瞑想こそがその教えの根幹といえるだろう。ブッダの言葉は瞑想体験の記録であり、真理の体験というゴールに到達するための修行方法をくわしく説いたものものである。(p.5)
私は何も知らずに参加してしまいましたが、ブッダが悟りを開いた方法そのまま、純粋で混じり気のないものがヴィパッサナー瞑想だそうです。ブッダの故郷であるインドではそれは一度は途絶え、ミャンマーでずっと引き継がれてきたもので、インドの実業家であるゴエンカ氏が偶然に出会い、ゴエンカ氏がインドに逆輸入し、そこからまた世界に広がっている、ということのようです。
どんな体験だったか
今回私が行ったのは、千葉県茂原市の瞑想センター(Vipassana Meditation: 日本)。
事前に知っていたことといえば、10日間の瞑想プログラムである、ということくらい。
初めてヴィパッサナーという名前を聞いたのは、たしか4年くらい前です。その頃知り合った友人が「とてもよかった」と絶賛し、ボランティアにも行くくらいのハマりよう。その後も、彼女と全然関係ないところで、ちらほらとヴィパッサナー経験者と偶然出会うことが続きました。
そして今年の1月、別の友人と会ったら、まるでお風呂上がりのようなスッキリした表情。どうしたの?と聞けば、この彼もまたヴィパッサナー明け。
これはもう私も行くんだろうなと思ったら、するりとGWの予約が取れてしまいました。(後から知ったのですが、GWに限らず、常に満席・キャンセル待ちなのだそうです。)
そんなわけで、何も下調べせずに、軽いリトリートくらいのノリで行ってしまいましたら、とんでもない10日間が待っていました。実際にはチェックイン・チェックアウトの日があるので12日間です。
あれ、これ、こんな気軽に来ちゃまずかったかな?という予兆は、実は、行きの電車の中でありました。本書を読み始めたら、「心の手術」をする、と書いてある。え?そんな覚悟ないけど?え?来るところ間違った?と思っても後の祭り。
始まってみれば、冗談抜きの、ガチの修行でした。
スター・ウォーズ/最後のジェダイ(エピソード8)でレイが暗闇の中で修行するシーンが何度も頭をよぎりました。
朝4時起床、22時就寝。
食事は6時30分と11時の2回、17時にティータイムが1回。
19時から21時は講話。
それ以外は基本、ずっと真っ暗なホールで瞑想しています(自分の部屋に戻ることが許される時間もあります)。洗濯もシャワーも素早く済ませます。
この間、ずっと無言。言葉だけではなく、身振り手振り、アイコンタクト等も含め他者とのコミュニケーションは禁止されています。ドミトリーで、すぐ隣には他の方のベッドがあるのに、あたかも一人で来たかのように修行に専念します(個室の方もいらっしゃいます)。これには、後で納得できる重要な意味と効果があります。
また、スマホ、PC、本などの情報が入ってくるものは、すべて到着と同時に預けます。メモも取れません。
誰とも喋らない、というのは、なかなか快適でした。気を使って喋る必要もなければ、グループができてしまったりして疎外感を感じたりすることもありません。本来の狙いは、瞑想の体験は人によって全く違うので、喋ることによって他者と比較したりして瞑想に集中できなくなることを防ぐ意味があります。
食事は1日2回、選択の余地なし、完全ベジタリアンフード、というのも意外に平気でした。ボランティアの方々が作ってくださるものを美味しく頂きました。とはいえ、贅沢ではありません。普段はバターなど脂質の多いものは控えているのですが、この10日間は朝食に出されるバターと、夕方のティータイムに出される果物がとても楽しみでした。
小屋のようなところでのシャワーもけっこう平気。むしろ、毎日の中で最も楽しみにしていた時間。ひとりの持ち時間20分というのは、私にはけっこうハードルが高かったですけれども。
手洗い洗濯も、やってみるとできるものです。
私にとって最も辛かったのは、瞑想中の足の痛み。
あぐらもかけないのに何でこんなところに来てしまったんだろう!と初日から大後悔でした。
座っている間も痛いし、休憩時間に立つことも歩くこともままならない。
あと、夜の講話も延々長くて、途中、道徳の説教っぽいところもあり、正直つらかったです。
もう早く帰りたい!帰らせて!と思うと、講話で、まさにその心を見透かされたように諭されます。
それが、「あ、これは確かに意味のあることをしているのかもしれない」と思えたのが4日目頃。それでもまだ辛い。
残りの日数を数えなくなったのが、8日目頃。ようやく、この毎度毎度の瞑想の貴重さが感じられてきました。
帰る頃には、「つらかったけど来てよかった」と思うから不思議なものです。
瞑想のガイドの流れ、講話の流れなど、私のような瞑想未経験者の習熟のペースや心理状態を見透かされすぎていると感じるほどに、非常によくデザインされていました。
どんな方でも、予備知識なしに、10日が終わる頃には、ヴィパッサナー瞑想が何たるか、ブッダの教えが何たるかは、体験できていると思います。
外国人の参加者も複数いらっしゃいましたが、指導する先生も外国の方でしたし、講話も英語版も準備されていました。むしろ、英語オリジナルなので、そちらを聞いて理解できるならそちらの方がいいかもしれません。
ヴィパッサナー瞑想とは(体験から)
やってみて。
一言で言うと、「究極のマインドフルネス」だと思います。
体の隅々まで、自分に今何が起きているのかを、ただただひたすら観察していきます。
また、「どんな本を読むよりもブッダの教えが理解できる体験」とも思います。
(注:「わかる」と「できる」は違います。また、ブッダについての予備知識なく、以下、体験に基づいてのみ記載しています点、ご了承の上お読みください。)
結局、ブッダ(ゴータマ・シッダッタ)は何を言っていたのか。
それは「無常」。パーリ語で、アニッチャ。Law of Impermanence。
ブッダは、自分自身が木の下で瞑想することで解脱に至りました。
その長い瞑想でわかったことは、「無常」を体で理解すれば、全ての苦しみから解放されるということ。
世の中の人々が苦しみから解放されることを願って、ブッダが自分が実践して体得した方法を残したのがヴィパッサナー瞑想です。
もう少し前段階からの説明が必要と思います。
全ての苦しみは、渇望(Craving)と嫌悪(Aversion)から生まれると、この瞑想では教わります。
好き、気持ち良い、という感覚は「もっと、もっと」という渇望を生み出します。
嫌だ、気持ち悪い、という感覚は「あっちに行って」という嫌悪を生み出します。
どちらも、苦悩の始まりです。
好きなものが手に入らない、好きなものと引き離される。どちらも苦しみです。
嫌なものが身近にある、嫌なものから逃れられない。これも苦しみです。
ここで鍵になるのが、その好きとか嫌いとかいう「対象物」が苦しみを生み出しているのではないということ。
ここがブッダの発見の一つです。
酒が苦しみを産むなら酒を禁じる、情欲が苦しみを産むなら女人禁制とする、など対象物との接触を排除する方法もありますが、ブッダは、問題はその対象物の存在ではなく、接触した時、それに対して「好き」とか「嫌い」という「感覚」を持つことが苦しみの種になる、ということに着目します。
対象物と五感に接触があるとき、そこに、無意識に、好き嫌いの判断が生じる。
そしてその判断に基づいて、反応的に行動してしまう。
これが苦悩を生み出す一つのサイクル。
なので、ヴィパッサナーの修行では、ひたすら観察するところに留まります。
好き・嫌いの評価・判断を下す前に留まります。
あるいは、好き・嫌いという感覚を持っていることに気づいても、そこで反応的な行動を取る前に留まります。
「ああ、今、膝に刺さるような痛みがあるんだな」
「ああ、今、風が吹いて顔にあたっているな。心地よいと感じているんだな」などという風に。
そうは言っても、痛いものは痛い。嫌なものは嫌。気持ちいいものはもっと欲しい。
渇望や嫌悪の感覚が湧いてきてしまいます。
この衝動を抑えるために必要になってくるのが、無常というものの理解。
この目の前にあるもの、この痛みを与えてくるもの、何ならこの痛みすらも、すべてはいずれ消え去る。
なぜなら、世の中にあるすべてのものは常に変化し続けていて、最後には消えてなくなるから。
私たちの体の細胞も、日々生まれて死ぬことを繰り返しています。
「生まれ出たものはいずれ消え去る。」Arising and Passing away.
つまり、「無常」。
これは自然の摂理。自然の法(パーリ語で、ダンマ)。
この自然の摂理が真に理解できるならば、渇望も嫌悪も抱く必要はなくなります。
ブッダの教えは宗教ではないのだということも今回学びました。
無常が頭ではわかったとしてもなお、渇望も嫌悪に突き動かされて衝動的に行動してしまう自分が現れます。
そこに魔法はなくて、もう、「平静さ」(Equanimity)でぐっとおさえるしかありません。
「生まれ出たものはいずれ消え去る。そのことを理解して、完璧なる平静さでいなさい。
そうすれば、渇望も嫌悪も抱くことなく、つまり苦しみに苛まれることなく、完全に自由になれる(liberated)。」
このことをひたすら、体でやってみる、という10日間でした。
きっと今この投稿を読んでいらっしゃる方も、頭ではわかると思います。
でも、目的地までの行き方を知ったとしても、その道を実際に歩いてみることをしなければ、本当にわかったことにはならない、とブッダは説きます。それは本当にそうだと思いました。
また、その道はひとりひとりのもので、誰かに代わってやってもらう、ということもできない体験です。
体験からの気づき
これこそが自分が繰り返してきたパターン
私の大きな気づきは、指導者とのやりとりの中で起きました。
1日に2度、瞑想法について疑問があれば、指導者に聞くことができる時間があります。
私は、もともとあぐらがかけず、椅子を使用している参加者がいることも見ていたので、2日目くらいに、私も椅子を使いたい、と申し出ました。
先生からは、手術等を受けたのか、医者から制限を受けているかと尋ねられ、そういうわけではなくたぶん股関節が硬いだけと答えたところ、ではもうちょっと頑張ってみなさい、と言われました。じゃあ足を崩すときがあってもいいか?と聞いたら、それはいいと。
ではもう少し頑張ってみるかと思い、一旦は引き下がりました。
ところが、確か4日目。この日からは、姿勢を変えてはいけない「決意の時間」という1時間が1日に3回組み込まれました。
これはさすがに無理だと思い、再度先生のところに行き、椅子の使用許可を求めました。
ところが、今度も先生は「もう少し頑張ってみなさい」とおっしゃる。「では1時間の間に足を崩してもいいのか」と聞けば、「その1時間は出来るだけ動かないように」という返事。
私の中で何かがプツンと切れます。「は?だから1時間なんて無理だって言ってるじゃないの。そもそもあぐらがかけないんだから。5分も無理なんだってば。最初の話と違うじゃないの。この瞑想のせいで、私の足や関節がどうにかなってしまったら一体どうしてくれるつもりなの?!」と、心の内に怒りが湧きおこり、しばらくのやりとりでも先生側が折れて来ないと見るや、「もういいです。」と恨めしい顔で先生を見て、怒りと諦めの混じった気持ちでその場から立ち去りました。
その後の瞑想でも、納得のいかない気持ちが消えません。
けれども、確か、その日の夜の講話のことだったと思うのですが、ヴィパッサナー瞑想とこの体験がものすごく結びつきます。
足の痛みはまさに私にとっての嫌悪を象徴するもの。
それに対して、私はそれをすぐに排除しようとする。
さらに椅子を使用させてくれない先生は思い通りにならないものを象徴する存在。
それに対して、怒りが湧き上がり、カーッとなって争う、聞き入れられなければ距離を置く。
ああ、これは私が日常生活でやっていることそのままだ、と気づきました。
そして、このヴィパッサナー瞑想とは、私のこのような行動パターンこそを見直すことなのだ、と。確かにこれは、心の手術かもしれない、と。
魔物は自分の中に棲んでいる
上記のことに気づいて、この瞑想はやってみる価値がある、痛みに耐えてみる意味がある、と思いを新たにしました。
観念して、座り続けてみます。
体の細部まで感じながら瞑想していると、次第に痛みが走り始め、そのうち激痛になります。
アニッチャ、アニッチャ、というゴエンカ氏のガイドを頼りに、この痛みの感覚もいつか消える、と耐えようと試みます。
まるで自分の中に恐竜がいて、苦しがって尻尾をバタンバタンとぶつけてくるかのような感覚。
痛くないぞと思い込もうとすればするほど、この恐竜は押さえつけられて余計に暴れてのたうちまわり、尻尾の力はますます増して、バッタバッタと私の体を内側から打ってきます。更に激痛が走ります。
こんな恐竜を体内に飼っていたのかと驚きます。それもいろんな種類の恐竜を。
普段の自分であれば、ここで、「痛みに対する嫌悪」と「楽になりたいという渇望」に負けてすぐに姿勢を変えてしまいます。これがいつものパターン。まるで、先生に食ってかかる、聞き入れられないと怒って立ち去る、というように。ここで負けてしまうと、いつまでも、どんなシーンでも、人生を通じてこのパターンを繰り返してしまう。
同じように、「同じ姿勢でじっとしているのにもう飽きた」というのも頻繁に感じました。ここも、普段であれば、「退屈に対する嫌悪」と「動きたい渇望」にすぐに反応してしまうところ。
ここで行う修行とは、この嫌悪と渇望に負けないこと。反応しないこと。これまでのパターンをここで断つこと。決意をもって、このパターンを終わらせること。
みんな、痛みを聴いてもらいたい
恐竜を抑え込もうとする代わりに、「そうか、苦しいんだね」と心の中で言ってみる。そうすると、不思議と、恐竜がもがくのが少しおさまります。
そこで気づいたことの一つは、「あぁ、みんな、自分の辛さを聴いてもらいたんだ。(自分も含めて)みんな、自分の叫びを聞いてほしいんだ。」ということ。
聴いてもらえていない・わかってもらえていないと感じるから、更に大きく暴れるんだ、と体を通じて理解した感じがしました。
確かに、それは消えていく
我ながら不思議だったのですが、気絶しそうに耐え難い痛みも、そのまま観察しつづけ、深い息を吐き続けていると、どこかでピークを迎え、おさまっていく瞬間がありました。
これが、ブッダが教えた、「無常を体で理解する」の一端だと思います。
嫌だと思っているのにそれを手放さないのは自分なのかもしれない
もう一つ興味深かったのは、「痛い、痛い」と思い続けている方が、かえって痛みが消えていかないということ。ただ平静でいれば、痛みはいずれ消えていくのに。
それはまるで、本当は嫌っているはずなのに、自分がそれを手放すまいと握り締めているかのような。
いや、むしろ、それを渇望していたりする自分がいた?と自分の人生をふりかえって、ドキリとしたりしました。
平静さは決意からしか生まれない
平静さ。Equanimity。完璧なる平静さ。Perfect Equanimity。
今回の体験で知った教えの中で、私が最も価値を感じたものです。
興奮するでもなく、落ち込むでもなく。ハイでもなく、ローでもなく。
これまでの私の人生になかった言葉。私がとても必要としていたもの。
平静さを保つことができれば渇望・嫌悪が大暴れすることがない。
平静さを保つことに関しては、魔法はなく、そのように決意するしかない、ということも今回の学びです。
完璧な状態の瞑想は、本当に心地よい
痛みのことばかり書きましたが、完璧なる平静さでいるとき、この瞑想体験はとても気持ちのよいものになります。
フリーフローとか、自分が粒子の集まりのようになった感じ、とか、いろいろな表現がありますが、本当にそんな感じになります。
私自身は、自分が固体ではなくなった感じ、自分の体を光が通り抜ける感じがしました。
「またあの状態になりたい」と思うところからすでに渇望=苦悩の始まりが生まれているので要注意。この素晴らしい感覚もまた、生まれ出たからにはいずれ消えゆくもの。
愛を送っていると痛くない
最終日、ヴィパッサナー瞑想の後に、メッター・バーヴァナーという慈愛の瞑想を行います。自分の周りに愛を送る瞑想とでも言えばよいでしょうか。
それまでの1時間辛かったはずなのに、このメッター・バーヴァナーをやっているときは、不思議と体の痛みを感じないのです。
意識が自分に向かっているのではなく、周囲に向かっているからではないかと思います。
また、愛というのは、受け取るだけではなく、与えることによっても、苦しみを和らげる効果があると感じる体験でした。「怖れを手放す」 でも、「傷つくならば、それは「愛」ではない」でも書かれていることですが、「与えることは、受け取ること」。まさにそのまま。
すぐには受け入れられなくても、学びが起きていないわけではない
これは、ワークショップやコーチングをする側としての学びです。
ワークショップを開催している時など、参加者の方々の反応によって、意図したことを感じてもらえていないのではないか、間違って伝わってしまったのではないか、と気がかりになる時があります。
でも、今回、私が大切な学びに気づき、来て良かったと思ったのはプログラムも終盤になってから。むしろ、いろいろな疑問や納得のいかなさを感じていたからこそ、後から全部整合してきてぐっと入ってきたかもしれません。日々、様々な感覚と感情を味わう中で、人それぞれに、必要なタイミングでその気づきはやってきます。
8日目、9日目が終わる頃には、椅子を使用させてくれなかった先生にとても感謝していました。あそこで先生が根負けして椅子を与えてくれていたら、私の学びは半分にも届かなかったのではないかと思います。
参加者からどう思われようとも、自分が信じている真理に忠実でいる、参加者に必要な学びを届けることを貫き通す姿勢の尊さに触れた気がしました。
このことに気づくことができてよかったと思いますし、終える前に、この感謝をご本人に伝えることができてよかったと思っています。
その後の効果
プログラム終了時、センターでの規律を家に帰ってからも守るように言われます。
瞑想は、朝1時間、夜1時間するように言われます。
最初はやってみていました。
が、残念ながら、それが、朝だけになり、または夜だけになり、そしてそれが1週間に1度もできなくなり、6月はもはやできていません。
そして、日常では、執着に悩まされ、平静を忘れて取り乱す自分がいます。
やはり、10日間行ったからといって、全ての苦悩から解放されるわけではなく、
それを日々続けていく決意と実践が必要なのだと思い知らされている今日この頃です。
戻ってくるとき、いい体験だったけれどももう来ることはないだろう、と思っていましたが、喉元すぎれば何とやら。直後のメモでは「気絶しそうに痛かった」などと書いているくせに、今は、また、時折は整えに行くのはいいのかもしれない、とすら思うから、人間ってわからないものです。
このブログを機に、また、せめて、週に1度だけでも、自分の生活に瞑想を取り入れてみようと、思い直しています。
これからヴィパッサナー瞑想に行かれる方へのTips
他の参加者の方々はいろいろな情報源で、ここプログラムがどんなものかをよく調べて来ていらっしゃいました。
そういう風にお役に立つかもしれないと思い、最後に、持ち物など書いておきたいと思います。今回、私は千葉県茂原市の施設に行きました。京都にも施設がありますが、そちらはまた事情が違うかもしれません。
持って行ってよかったもの:
・水筒:瞑想部屋や自分のベッドなどで水・お湯を飲むときに便利です。
・ Crocks的なサンダル:脱ぎ履きがやたらに多いです。
・レインブーツ(短めでOK):雨が降ると、食堂やシャワーに行くまでの道が歩きづらくなります。
・目覚まし時計
・懐中電灯
・虫除けスプレー:今回は使いませんでしたが、夏だったら必須と思います。殺生が禁止されますので、虫も殺してはいけません。
・ボディーローション:休憩時間にすることがないので、よくマッサージをしてました。
持ってくればよかったと思ったもの:
・座禅クッション:毛布はホールにも沢山用意されていますが、座禅用クッションを持参されている方を見て、なるほど、その手があったか、と思いました。
・サロンパス:最終日に他者と会話ができるので、苦しむ私を見て分けてくださる方がいましたが、最終日まではこういうやりとりが一切できません。
・爪切り:10日間もあるとけっこう伸びます。パチンパチンと音がして、ああ貸して欲しいと思っても、貸して、と言えません。
・旅行用洗濯物干し:ハンガーなどはありますが、小物を干すものがあると便利そうでした。(多少は現地にもあります。)
必要なかったもの:
・化粧品、クレンジング:ほとんどお化粧しないで過ごしたので、使いませんでした。(毎日綺麗にされている方もいらっしゃいました。)
・アクセサリー
膝や股関節に不安がある方へ:
読んでいてお気づきになったかもしれませんが、痛みを感じることにも意味があります。ヨガをやっていらっしゃるという方々ですら、足に痛みを感じていらっしゃいましたので、違和感や痛みは誰にでも生じて当たり前、という10日間です。これを「痛いから」と瞑想を中断してしまうと、ヴィパッサナーの本来の効果が得られない可能性があります。
他方で、これをきっかけに関節が悪化したなどというのも避けたいことと思います。膝や股関節に不安がある方は、事前にお医者様などから、何時間くらいのあぐらならばよいのか、などを確認されておくと、安心して(?)平静さを保ちながら、痛みを体験できるかと思います。
なお、1時間姿勢を変えずに座るというところに意味があるので、必ずしもあぐらである必要はありません。お姉さん座りでも、おばあちゃん座りでも問題ないと思います。私は、時々、正座の1時間を混ぜていました。その後、しびれて立てないんですが。
なんでこんなことを体験することになったのだろう?と思いますが、人生のどこかでダンマの種を蒔かれた人は、ここにやってくることになるのだとか。
このブログを読んでいらっしゃる方ももう、何かの種が心に植わったのかもしれません。
この知恵を体で学んだ人たちが集まる社会は、きっと平和と思います。
生きる知恵として、義務教育中に教えたらいいのに、とも思います。
アルコール中毒とか、タバコをやめたいのにやめられない方とかにもぴったりだという印象です。
宗教ではないということも、あらゆる宗派を超えて活用できるものと思います。
この知恵が、届くべき人のところに届きますように。
また本を読んだ後に、書きたいと思います。ブッダについてももっと知りたくなりました。
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