ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

モモ

2017年になりました。
今年もよろしくお願いいたします。
 
相変わらずここみち(心の向くまま導かれるまま)で読みますので、毎度脈絡ないですが、新年1冊目は「モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語」(ミヒャエル・エンデ著、大島かおり訳)。
 

モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語

 

星の王子さま」などと一緒に、小学生の頃からずっと本棚にある本。
正直なところ、イマイチ良さがわからないのだけど、世の中的には名著だということになっているから捨てずにいた本。
同じミヒャエル・エンデの本で言えば、「はてしない物語」(The Neverending Story)は、かじりついて読みましたが、モモについてはほとんど内容は理解していませんでした。(正確には、理解していなかったということが、今回読み直して初めてわかりました。)
 
私にとってこの本は「円形劇場」という言葉を初めて知った本でした。
モモが住みついた場所です。
円形劇場ってどういうところだろう?その廃墟ってどんな風なんだろう?
物語の1ページ目に出てくるこの言葉と挿絵がずっと気にかかっていて、その先の内容もさほど記憶にも残らずにいました。
どれくらい気になっていたかといえば、「モモ」と聞けば普通の人はツーカーで「時間泥棒」という言葉が出てくるのでしょうが、私は「円形劇場」という言葉が出てきてしまうほど。
同様に、後にヨーロッパで実際に大小様々な円形劇場の廃墟を見た時、普通は古代ローマ人に思いを馳せるのでしょうが、私はまず最初にこの本のことを思い出し、更には英語でamphitheaterという単語を知ったときも、この本を思ったほどです。
 
 
さて、余談が長くなりましたが、そんな風にしか認識していなくて長い間放置していたこの本がなぜだか気になって、先日ふと手に取りました。
 
今度は吸い込まれるように読み終え、 「!!! こんな内容だったんだ!」と衝撃を受けました。
ということで、私としては、大人になって読み直したい本第4弾。
 
 
「そんな風に時間を無駄にしていていいんですか。あなたは人生を浪費しておいでだ。近代的、進歩的な人間ならば、時間を節約すべきではないですか。」と人々に時間倹約を勧め、倹約された時間を盗む灰色の男たち。
彼らが人をそそのかすときに言うのは、「人生でだいじなことはひとつだけ。それは何かに成功すること、ひとかどのものになること、たくさんのものを手に入れること。ほかの人より成功し、偉くなり、金持ちになること。」。
 
灰色の男たちにそそのかされ、もう一切、”無駄な”時間を使うことをやめた人たちの毎日の生活の変わり様は、まるでカラフルだった世界が灰色そのものになっていくよう。無表情で、無味乾燥とした世界。喜びもない世界。疲労だけが溜まる世界。
 
床屋のフージーが灰色の男、正確には、時間貯蓄銀行 No. XYQ/384/b氏の手にかかるあたりは、その堕ちていく様の描き方が秀逸です(第6章)。
お客とのおしゃべりが好きで、床屋の仕事が好きで、腕に自信があって、友達思いのフージー。灰色の男と時間を貯蓄するという契約を交わした後は、余計な言葉は一切交わさずに客の髪を切り、友達と会うことをやめ、母親は養老院に放り込み、ペットは売り払い、時間を倹約します。その結果、彼の身に起きたことは、怒りっぽくなり、落ち着きがなくなり、毎日毎日がどんどんと短くなっていくという生活でした。
 
 
そして、灰色の男たちが動き回るほどに、世の中から次々と色が失われていきます。
 フージー氏とおなじことが、すでに大都会のおおぜいの人に起こっていました。そして、いわゆる「時間節約」をはじめる人の数は日ごとにふえてゆきました。その数がふえればふえるほど、ほんとうはやりたくないが、そうするよりしかたがないという人も、それに調子を合わせるようになりました。
 毎日毎日、ラジオもテレビも新聞も、時間のかからない新しい文明の利器のよさを強調し、ほめたたえました。こういう文明の利器こそ、人間が将来「ほんとうの生活」ができるようになるための時間のゆとりを生んでくれる、というのです。
 (中略)
 けれども、現実はこれとはまるっきりちがいました。(中略) 彼らは、ふきげんな、くたびれた、おこりっぽい顔をして、とげとげしい目つきでした。(中略) 彼らは余暇の時間でさえ、すこしのむだもなく使わなくてはと考えました。ですからその時間のうちにできるだけたくさんの娯楽をつめこもうと、もうやたらとせわしなく遊ぶのです。
 だからもうたのしいお祭りであれ、厳粛な祭典であれ、ほんとうのお祭りはできなくなりました。夢を見るなど、ほとんど犯罪もどうぜんです。けれど彼らがいちばん耐えがたく思うようになったのは、しずけさでした。彼らはじぶんたちの生活がほんとうはどうなってしまったのかを心のどこかで感じとっていましたから、しずかになると不安でたまらないのです。ですから、しずけさがやって来そうになると、そうぞうしい音をたてます。(中略) ふゆかいな騒音です。この騒音は日ごとにはげしくなって、大都会にあふれるようになりました。
 仕事がたのしいかとか、仕事への愛情をもって働いているかなどということは、問題ではなくなりました-----むしろそんな考えは仕事のさまたげになります。だいじなことはただひとつ、できるだけ短時間に、できるだけたくさんの仕事をすることです。(92-94頁)
 
これって、私たちの社会、、、と気づくのに数秒もかかりません。
 
 
そして、著者ミヒャエル・エンデの心の叫びとも思えるような文章が続きます。
 時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとり認めようとはしませんでした。
 でも、それをはっきり感じはじめていたのは、子どもたちでした。というのは、子どもと遊んでくれる時間のあるおとなが、もうひとりもいなくなってしまったからです。
 けれど、時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。
 人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです。(95頁)
 
 
最初にこの本に出会った当時、この本の意味がわからなかったのは、ある意味、とても幸せだったのかもしれません。
というか、この灰色の男たちの世界感を肌感覚でわかっている子供がいたらちょっと心配になります。
名著の良さが理解できていないということを恥ずかしく思っていたのですが、今読み返してみて、むしろ、時間がないとか、効率的に時間を使わなくちゃなどということを気にせず、子供らしく子供の時間を過ごせる幸せな状況だったのかなと、今は思い直しています。
 
 
灰色の男たちを寄せつけないためにはどうしたらよいのか。
この本からきっとヒントを得られると思います。
 
最近では、
本当の豊かさって何だろう?
人間の本当の幸せって何だろう?
と考える世の中の流れがあると感じています。
それは
何のために生きるのか、
何のために働くのか、
そこにもつながる問いです。
そんなことに人々の意識が及んでいることを、エンデはきっと喜んでいるんではないかなと思います。
 
エンデは、ナチスが台頭し始める1929年に生まれ、16歳で終戦を迎えています。
シュールレアリスム画家の父が退廃芸術家という烙印を押され、自らも反ナチスの運動に参加したエンデ。
灰色の男たちが登場するときの背筋がぞっとするような恐ろしさはこの本を際立たせるもののひとつだと感じますが、つらい幼年期・少年期を経たエンデだからこその作品なのかもしれません。
この本がドイツで出版されたのは1973年。彼がどのような時代や情景を思いながらこの本を書いたのかはわかりませんが、プロパガンダが鳴り響くナチス全盛期のドイツを想像しながら上記の文章を読んでみると、それもそれでリアリティが感じられました。(当時の時代背景については「ヒトラー演説 熱狂の真実」の記事に書きました。)
 
 
灰色の男たちが手を出せなかったのがモモ。
本当の人間の喜びを知るモモ。
本質を知るモモ。
 

どこからきたのかわからない不思議な小さな女の子は、その町になくてはならない存在になっていました。

 

 モモのところには、いれかわりたちかわり、みんながたずねて来ました。いつでもだれかがモモのそばにすわって、なにかいっしょうけんめいに話しこんでいます。用事があってもたずねて来られないという人は、じぶんの家に来てほしいと迎えを出しました。(20-21頁)

  小さなモモにできたこと、それは他でもありません。あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。 

 でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこの点でモモは、それこそほかには例のないすばらしい才能を持っていたのです。

 モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えが浮かんできます。(中略)

 モモに話を聞いてもらっていると、どうしてよいかわからずに思いまよっていた人は、きゅうに自分の意志がはっきりしてきます。ひっこみ思案の人には、きゅうに目のまえがひらけ、勇気が出てきます。不幸な人、なやみのある人には、希望とあかるさがわいてきます。(中略)

 こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!(22-23頁)

 

誰かが悩みがあるとき、自分を見失ってしまいそうになっているとき、自由な発想を得たいとき、あるいはケンカしているふたりに、人々の合言葉は、
 
 「モモのところに行ってごらん!」(22頁)
 
モモに話を聞いてもらえば、
自分に素直になれて、もやもやが晴れる。
生きる勇気が湧いてくる。
一緒にいると創造性が湧いてくるような存在。
そんなモモみたいな人になりたいなと思います。
 
この読書ブログもそんな場所になればいいな、なんて思います。
 
2017年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
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モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語

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 次に読みたい本。

エンデの遺言 ―根源からお金を問うこと (講談社+α文庫)

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エンデの警鐘「地域通貨の希望と銀行の未来」

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