あけましておめでとうございます。
本年も、心の向くまま、導かれるまま、読んで、書いて、いきたいと思います。
さて、年末年始、実家に帰りましたら、「無名仮名人名簿」の読書録を読んだ母が、こちらの本を図書館から借りてきてくれていたので、この休みの間に読みました。
「向田邦子の恋文」(向田和子氏 著、2002年7月初版、新潮社)
向田邦子さんは、1981年に51歳で飛行機事故で亡くなっていますが、その20年後に、9歳年下の妹・和子さんが、邦子さんについて本にしたものです。
邦子さんが34歳の頃、妻子あるカメラマン・N氏と恋仲にあった2人。
邦子さんの遺品の中にN氏との手紙のやり取りがあり、和子さんが、それを書き起こしつつ、邦子さんについて思いを馳せる内容です。
出てくる地名が距離感とともにわかるので、とてもリアルに感じながら読みました。
こんなに日を開けずに会う人がいたんだ、こんな可愛らしい人だったんだ、と向田さんのエッセイや文体とはまた少し違う側面も垣間見る。
同時に、とても献身的な姿も。
そして、邦子さんもN氏から創作する力を得ていたことも伺えます。
そんなお姉さんの"秘め事"(p.67)を遺品から垣間見ての、和子さんの言葉。
秘密のない人って、いるのだろうか。
誰もがひとには言えない、言いたくない秘密を抱えて暮らしている。そっとして、壊したくない秘密を持ちつづける。日々の暮しを明るくしたり、生きる励みにしたりする。そんな秘密もある。秘密までも生きる力に変えてしまう人。向田邦子はそういう人だった、といまにして思う。(p.132)
ここでは男女の関係のことを言っている文脈なのですが、
もっと大きく見れば、
生まれ、幼少期、思春期、学歴、職業、住まい、暮らし、親子関係、夫婦関係など、
どんな人も、人には言いたくない、言えないことを抱えて生きている。
普通に、平気な顔をして生きている。
一段深く話す機会でもなければ、決して聴くことのないようなことを抱えて生きている。
大人になって、いろんな方と知り合うほどに、そう感じます。
そういう話の一端を知ると、根掘り葉掘り聴きたくなる年頃もあった。
今はもう、話してくれようと思うならもちろん心して聴くけれど、話したくないなら無理に話す必要もないし、聴き出そうとも思わない。
こんな距離感を持てるようになったのは、カウンセリングやコーチングやリーダーシップを学んだことと、そこで仲間と出会ったことが大きいなと思います。
話は逸れましたが、
向田邦子さんのファンが多いのは、それぞれの、本人にしか分かり得ない様々な事情を抱えて生きている人間に対する愛おしさがにじみ出ているからではないかな、と思います。
その人間観は、本書で描写されている向田家の様子、向田家における邦子さんの姿、からも感じることができます。
自分自身は、
家の中で、父よりも母よりも、一番しっかりしていた人。
自分がやるべき「何か」を見つけようとしていた人。
裁縫から料理から、全てできてしまう人、家族や周囲のためにそれをする人。
睡眠時間を削って削って、その全てをやっていた人。
なのに、家族や他人には、普通であれば文句も言いたくなるようなところを、人間らしさとして愛する人。
「生まれてきたことを喜ばれ、両親に愛されて育ち、普通に生きていけることは、とてもありがたいことだと思っている。お父さんはマイナスのところから、いま私達が当たり前と思うところに立つまで、どれくらい大変だったか。負けず嫌いの努力家で、ちょっといびつなところもあるけれど、自分の力でその位置についたのよ。それは、とってもすごいと思う。和子ちゃんも世の中に出てみると、よくわかると思う。父親をひとりの人間として見る。そうすると、客観的にも冷静にもなれるから。そんなことを、心にとめておいてもいいかもしれない」(p.135)
「わが家はデコボコがあったり、すき間風が吹いたり、いろいろある。だから考えたり、知恵を絞ったり、いたわりあったりする。そのなかで、気づかされたり、教えられたり、人のいたみをわかったりしていける。何もなかったら、気がつかないで終わってしまうかもしれない。そんな風に考えると、あまりイヤなことないでしょ。何事も考え方や気持ちの持ちようでプラスになるし、プラスにしていけるんだから面白いんだし、楽しい。この家に生まれたのは、運がいいのよ。それを活かさなくちゃ・・・」(p.135-136)
作品や文章は、結局は本人の内面が表れるもの。
「こういう文章を書きたい」と思ったからといって、そのように表現できるものでもない。
こんな風に人を見ているから、ああいう視点や寄り添い方で、あんな奥行きで、作品が描けるんだなぁ、、、と思いました。
こんな1冊から始まって、2021年はどんな1年になるでしょうか。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
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