先日の投稿に続き、大手町・丸の内・有楽町エリアでSDGs映画祭イベントで見てきた映画。
「SEED シード 生命の糧」(監督:タガート・シーゲル、ジョン・ベッツ 2016年)
あまり予備知識なく見てみて、こんなことがわかりました。
- 私は、種子の世界と、そこにあるビジネスの世界と、そこで起きている攻防について、何も知らない。
- 私は、遺伝子組み換えについて、何もわかっていない。
まるで、自分の無知と不勉強を晒すようですが。
まずは、遺伝子組み換え作物(GMO=Genetically Modified Organism)について。
これは、異種の植物間の交配も自然界で起こりうるし、品種改良というのも昔からあるし、遺伝子組み換えって、それをもう少し効率的に人工的にやっている、くらいの話だと勝手に思ってしまっていました。
この映画で学んだのは、遺伝子組み換えってそういう話ではなく、例えば動物の遺伝子を植物に入れるとか、そういうことだと。
映画にも出てくるのですが、ブタをどんなにお酒で酔わせても、ムーディーな音楽でいい雰囲気つくっても、トマトと交尾・交配することはあり得ない。
遺伝子組み換えは神の領域への冒涜だ、と言われる理由が、ようやくわかった気がしました。
そして種子の世界と、そのビジネスについて。
「新種の種子を開発したので特許を出願する」
これをさらりと言われてどれくらい違和感を持つでしょうか。
正直、私はさらりと流してしまいそうでした。
言われてみれば、種子は生命そのもの。
何十世代ものエネルギーが種子に注ぎ込まれてる。
生命が、一企業のものであるのはあり得ない。そうあるべきではない。
一度その種子を買うことになってしまえば、ずっとその使用料を払うことになる。
そもそも生命は支配できるものではない。すべきものではない。
映画の中でも繰り返し出てくる、種子は誰のものでもない、種子は人類皆のもの、という類の言葉が、私には新鮮であり、同時に、とても刺さりました。
途中から、モンサント社(現在はバイエル社が買収。遺伝子組み換えに注力し、その特許を申請し、また有害とされる農薬も作っている)の批判映画のようになってしまって、反対側の主張が扱われないままに進んでいく構成や、また、古き良き生活が一番良いという感じの方向性にはバイアスを感じて、少し冷めてしまう自分を感じましたけれども、
自分がまるで知らなかった世界について知る機会になりました。
映画はいつもそういうものをもたらしてくれる気がします。
モンサントは本当にそんなひどい会社なのだろうか、ならばバイエルはなぜ買収したんだろうか、人間や企業はそんなに強欲なのだろうか、ということにも素朴に疑問が湧いたりします。
ただ一つわかっていることは、
本当に、私は、世の中のことについて、まるで何も知らない。
それから、植物の世界は、本当に神秘。