ここみち読書録

心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

なまけ者のさとり方

ずいぶん前、人間関係でとても傷ついたときにこの本に出会って助けられました。当時付き合っていた人の家の本棚にありました。

当時は、この手の精神世界への理解度はおそろしく低かったですが、それでも、この本は響きました。

久しぶりに手に取ってみたら、本当にいい本でした。

今改めて読んでみると、脳みそが溶けて広がっていく、自分の意識がどこまでも広がっていく、 言葉ではなんと表現してよいか分からない、気持ちいい感覚になります。

読む瞑想、読む薬、とでもいいましょうか。

本文わずか100ページ。この薄さにして、この深さ。「四つの約束」と甲乙つけがたい、素晴らしい本です。

山川紘矢・亜希子ご夫妻の翻訳本といえば、「アルケミスト 夢を旅した少年」が圧倒的に人気ですが、私としてはまずこちらの本を挙げます。

なまけ者のさとり方」(タデウス・ゴラス著、地湧社、当初は1988年4月初版、増補改訂新版は2014年2月発行、原題:The Lazy Man's Guide to Enlightenment、Thaddeus Golas)

静かな空間で、ゆったりとした心地よい状態で、ゆっくりとページをめくってみてください。

 

なまけ者のさとり方

 

そもそも、さとりとは何か。どういうことか。

さとりとは、現在の私たちの意識の限界を少しでも広げる体験のことです。完全なさとりとは、私たちは無限の存在であること、宇宙全体が生命を持っているということを知る、ということなのです。(26頁)

 

どうすればさとれるのか?

ということの前に、さとっている状態とそうでない状態を知ると、少しわかりやすくなるのではないかと思います。

 
著者の言葉では、それぞれ、「スペース」の状態と「かたまり」の状態となります。

私たちは個人としてもグループとしても、「スペース」「エネルギー」「かたまり」のどれかになって見えます。そしてそれは、私たちが自分で選んだ拡張と収縮の割合によって決まってきます。また、その時にどんなバイブレーション(振動波)を私たちが出しているかによっても決まってくるのです。それぞれの生き物は、自らのバイブレーションを自分でコントロールしているのです。

   完全に拡張した生き物は「スペース」、つまり空間状態となります。拡張していると、どこにでも浸透できますから、私たちは他の拡張している生き物と同じスペースに存在することができます。実際、宇宙にあるすべてのものが一つのスペースになることも可能なのです。

  この広がりを私たちは意識の広がり、理解の深化、あるいは魂の広がりなどとして体験しますが、その体験をどう呼ぶかは各人の自由です。完全に広がりきったとき、私たちは完全な意識の拡大、つまり、すべてのものと一体になった感覚を体験します。そのレベルに達すると、他のどんなバイブレーションにも他の個体のどのような行動にも、まったく抵抗しなくなります。時間を超えた至福感、意識や知覚、感覚の無限の広がりを味わうのです。

  この状態を「スペース」と表現しますが、このスペースは私たちの誰もが到達できる体験なのです。(中略)

  人は収縮しきっていると、かたまりとなり、完全に内にこもってしまいます。収縮すればするほど、他の人と同じスペースを共有することができなくなります。そして、恐れ、痛み、無感動、憎しみ、悪意、その他ありとあらゆる否定的な感情を経験するのです。極端な場合は、完全に気が狂ったように感じ、あらゆる人、あらゆるものに抵抗し、自分の意識をまったくコントロールできないような気持ちになってしまいます。もちろん、こうした感情は、かたまりのレベルのバイブレーション特有のもので、彼がそこから広がり、自分の考えや、見たり感じたりしていることにさからうのをやめさえすれば、いつでもその状態から抜け出せるのです。

(中略)

自分たちの仲間がかたまりとしてものに見えたり、エネルギーに見えたり、スペースに見えたりするのは、自分がどれだけ意識を縮こませて、かたまりの状態にいるかによって決まってくるのです。私たちは必ず、自分のバイブレーションのレベルに応じた、ものの見え方や体験をしているのです。(12-16頁)

 

「エネルギー」の状態は、「スペース」と「かたまり」の間です。

 

そして、さとるために、つまり「スペース」の状態になるために、苦しい修行も必要ない、と説きます。修行したければすればいいけど、そうしなければさとることができななんてことはなく、その苦行なかりせばさとれないなどと人に不安や未熟感・劣等感をもたせたり、また自分が優位であると感じようものなら、それこそさとりではないと。


では、何をすればいいのか。

「愛」が一番大切な法則なのです。「愛とは、他の人と同じスペースにいる」という行為です。(中略)

  私たちはすべて、同じ種類の存在であり、愛や意識を広げることもできれば、縮みこんでかたくなになることもできるのです。そして、私たちがすべきことはただ一つ、愛や意識を広げるということだけです。(中略)

  愛を広げるということは、この宇宙に存在するすべての人々が、今、すぐにでもできることなのです。意識を広げれば、私たちは天国にゆけますし、愛を広げれば、私たちは自由になれるのです。それ以外のことは、何も必要ではありません。善行を積んでみたり、逆に悪事を働いてみたりするのは、私たちにとって、ほんの二次的なことにすぎないのです。あなたが今、どんなことをしていようとも、そうしている自分をそのまま丸ごと、愛してあげてください。どんなことを考えていようとも、そんなことを考えている自分を愛してあげてください。愛という点について、自分の態度や行動を変えてゆけば、それですべてよいのです。もし、愛するという気持ちがどういうものかわからなければ、それをわからない自分を愛すればよいのです。私たちがお互いに送り合う愛よりも大切なものは、この世界にありません。しかも、それが目に見えるような形で表現されているかどうかは、問題ではないのです。

  精神的霊的に自分がよい状態にいるかどうかなどと心配するのは、無益です。もちろん、心配したければ、勝手に心配したってかまいません。でも、今のあなたの状態を愛せるようにならないと、あなたは今より高い状態にゆくことはできないのです。

  どんな精神状態にいようと、この宇宙のどこにいようと、あなたに与えられている選択は一つだけです。つまり、あなたの意識を広げるか、縮めるか、このどちらかしかないのです。それも、今、あなたがいるところから始めるしかありません。(16-19頁)

 
増補版への寄稿で、亜希子さんが本書の核心を一言で述べていらっしゃいます。

「自分を愛すること、すべてをありのままに受け入れることこそが、さとりへの最も安全な道である」(119頁)

 

自分はさとったことがある、と思っている人は多くないと思いますが、短い時間であっても、上記の「スペース」のような、至福の状態を味わったことがある人は、けっこういらっしゃるのではないかと思います。


私自身の経験で言えば、(生活や環境は昨日と何一つ変わらないのに)眼に映るもの全てが美しく見える感覚、自分がこの世界の一部であるような感覚、全く恐怖や不安を感じない感覚、そして自分の内部では心が豊かに満ち溢れていて生命を感じる感覚。

 

あぁ、いいなぁ、と思って、この感覚を持ち続けたいけど、それは「持つ」ことができる類のものではなくて、今この瞬間に味わっている、感じている、そのプロセスそのもの。また、この感覚に「なろう」と思ってもなれるものではなく、「あ、今、そうなっている」という感覚。いずれ消えてゆくのがもどかしいけど、でも、だから余計にその時間がとても貴重に感じられます。

 

例えば、私の場合は、美しい緑の中を散歩している時、いい音楽をライブで聴いている時、好きなように体を動かして踊っている時などに、こういう感覚が訪れます。


何がそこにあるのかな?と考えてみたところ、共通するのは、どちらも「今この瞬間」だけに意識が向いていること、ということに思い当たりました。

 

例えば、先日、知人のジャズライブに行った時のこと。

とても気持ちの良い音に包まれて、その音を捕まえようと思っても、この掛け合いを覚えておきたいと思っても、その瞬間にそれは消えてしまう。その音楽を心行くまで楽しみたいなら、次々と展開される音とリズムにただ自分を浸らせるしかない。刻々と変わる今この瞬間に居続けて味わうしかない。

 

散歩している時もそう。

はっとするような美しい景色、風に揺れる葉、毎日姿を変える花、光を受けて輝く水、鳥の可愛い姿や声。この景色を持って帰りたいと思っても無理なこと。同じ道でも同じ景色には二度と巡り合わない。写真に撮ることはできても、この感覚までは再現できない。できることは、思う存分に今この瞬間を味わうことだけ。

 

音楽も自然も刻々と変化する。一秒前にすら、しがみついていられない。

二度とないその瞬間を味わおうと思えば、意識が内側(=自分自身)に向いている暇はなく、意識の向く先は、今その瞬間に五感に訴えてくる自然や音色やリズムだけ。浸るほどに、音楽や自然と一体になる感覚。まさに、上記の、意識がどこまでも広がって行くような感覚。

そうか、音楽や自然も、今この瞬間だけに居させてくれるんだ、

自分の意識が広がって行くような感覚になるんだ、

だから、こんなに気持ちが良いのだ、

となんだか妙に納得した次第です。

そうか、音楽や自然が、古今東西、人に愛されるのはそういうことか、と、ひとり勝手にうなりました。

 
人によっては、これがスポーツだったり、茶道だったり、美食だったりするのだろうなぁと思います。

 

翻訳をなさっている山川ご夫妻は、共に東京大学卒業、紘矢さんは大蔵官僚として20年超働かれ、亜希子さんは外資コンサル等で勤務されてきたという、非常に優秀な方々でありながら、スピリチュアルな世界に心が開いていらっしゃるおふたり。

数年前に講演会で直接お話を伺う機会があり、その宇宙に逆らわない柔らかい在り方に触れて、以来、すっかりファンです。

そのときのお話もまた今度書きたいと思います。

 
「あとがき」にある、紘矢さんによるさとりの定義も素敵なので引用させて頂いて、この稿を閉じます。

そもそも「さとる」とはどういうことなのでしょうか?(中略)人によって、それぞれ定義、解釈が異なることでしょう。私が学んだことは「枠をはずす」あるいは「限界を設けない」そして「すべてを愛する」ということだと思うのです。「こうあるべきだ」「何々でなければならない」「これは正しくて、あれは誤りだ」「この方が上だ」「この方が得をする」「勝つ方がいい」というような自分の体の中に深く根をはっている判断基準に一つひとつ気がついて、「この世には何でもあり得る」「よいも悪いもない」「さとってもさとらなくてもいい」「今の自分が最高」「この世はこのままですばらしい」ということが体の中から湧き上がってくることではないでしょうか。つまり、すべてを受け入れ、愛する、ということです。そうすると、地獄のような状況にいると思っていたのが、実は天国にいたことを発見するのです。だって、この世には太陽も月も星もあり、空気もあり、緑の木々もあり、花もあり、鳥は歌い、蝶は舞い、ありとあらゆる食べ物もあり、本当にすごいところなのですから。(107-108頁) 

 

世界を平和にするのに本当に必要なのは、武器でもスローガンでもなく、ひとりひとりの内側が平和になること。

 

この本が、世界中の多くの人々に読まれ、愛されますように。

ひとりひとりの心の中に平和が訪れますように。

そして、私たち誰もが、世界の美しさを、喜びとともに感じて生きていけますように。

 

なまけ者のさとり方

なまけ者のさとり方

 
アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)

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アウト・オン・ア・リム (角川文庫)

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  • 作者: シャーリーマクレーン,Shirley MacLaine,山川紘矢,山川亜希子
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1999/04/01
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