ここみち読書録

心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

コーランを知っていますか

いや、知らない。

中東や北アフリカ、インドネシアのイスラム教徒(ムスリム)の方々とも仕事するのに、コーラン(クルアーン)について全く知らない、、、と思い、読みました。

コーランを知っていますか (阿刀田 高氏 著)。もともと平成15年(2003年)に書かれた内容です。

 

コーランを知っていますか (新潮文庫)

 

コーランだけではなく、イスラム教についてもとてもわかりやすく説明されています。

宗教については難しい本が多い中、この本は、イスラム教について知りたいと思った時に最初の一冊としてオススメできる入門書と言っても過言でないと思います。イスラム教が誕生した時代背景についても物語のように書かれているので、面白く読むことができます。ウィキペディアの解説も、この本を読んでからだとようやく頭に入ってくる気がします。

ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も根っこは一緒なんだよね、などと、どこかで聞きかじって知ったようなつもりになりながら、実はよくわかっていない、そういう私にはぴったりな本でした。

・・・と書きつつも、読んでいるときには、ふむふむ、なるほどと思っていたのに、いざ、自分でまとめようとすると、全然まだ理解していないことに気づき、手が止まってしまいます(読んでから数ヶ月経過してしまったせいもあります)。そんな心もとない状態ですが、なんとかこの本で学んだことを文字に紡いでみようと思います。

なお、宗教や歴史について書くのは難しいなと思います。自分が直接見聞きしたことではなく、何が真実であるかは頼りにする情報源によって違ってくる可能性があります。いつもと同様に、もともとの知識が乏しいところにこの本を読んで知ったこと、感じたことを書いていきたいと思いますが、あくまで一つの視点ということで、予めご了承頂ければと思います。

 

(「目次」機能、初挑戦!)

 

コーランとは

コーランはイスラム教の聖典。「神の音楽」や「世界で最も美しい旋律」とも言われます。

内容は、マホメット(ムハンマド)が40歳(西暦610年)から死(西暦632年)までの間に、唯一神アラーから受けた啓示の集大成。610年から622年は、マホメットの布教の拠点がメッカであったのでメッカ啓示、以後は拠点がメディナに移ったのでメディナ啓示と呼ばれるそうです。あくまで「神の言葉を記したもの」であり、人間マホメットの言葉ではありません。「信じようと信じまいとアラーの啓示がマホメットに宿り、それがマホメットの口から語られて、後に記録されたもの」ゆえに「人間が考えた哲学ではなく、神自身の言葉」です(17頁)。

啓示はマホメッドから口伝いに皆に伝えられ、本格的に編集記録されたのはマホメットの死後のこと。第3代カリフ、ウスマーン・イブン・アッファーンのとき。

全部で114章。最長は286節、最短は3節。配列の順番の根拠は不明で、必ずしも啓示のあった順番ではないようです。

旧約聖書や新約聖書が物語調であるのに比較すると、コーランはひたすらアラーを崇めよと説き、物語も登場はするもののそれはアラーを崇めるべきであること(例:万能であること、慈悲深さなど)を説明しているという印象を受けました。また、後述するように、共同体としてのルール作りが顕著に見えているところもあります。

また、コーランとは別に、マホメット自身の言行と示唆を記したハディースというものがあり、これがコーランには書ききれない日常生活の細かな生活の仕方などについても定めているそうです。

 

長い長いコーランも、真髄は第1章「開扉(かいひ)」又は「開端(かいたん)」の7節8行に表れているとのことなので引用してみます。

慈悲あまねく慈悲深きアラーの御名(みな)において。

万有の主(あるじ)、アラーにこそ凡て(すべて)の称賛あれ。

慈悲あまねく慈悲深き御方、

最後の審き(さばき)の日の主宰者に。

わたしたちはアラーにのみ崇め仕え、アラーにのみ御助けを請い願う。

わたしたちを正しい道に導きたまえ、

アラーが御恵みを下された人々の道に、

アラーの怒りを受けし者、また踏み迷える人々の道ではなく。(9-10頁)

 

ここで明言されていることは、イスラム教の重要な特徴を表すものです。

一に全世界の支配者にして唯一の支配者であること、

二に最後の審判という総決算が実在すること、

そして三にアラーがその主宰者であること、(11頁)

 

多神教の日本には沢山の神様がいますが、イスラム教の世界では神は唯一。この点はキリスト教やユダヤ教と同じ世界観です。

また、人間の一生を現世だけでは考えず、長い来世があると考えます。来世に向かうとき、唯一神アラーが、最後の審判を下し、「現世で神の教えを守って正しく生きた者には至福がもたらされ、悪しき所業の者には耐え難い責め苦が待っている」(13頁)、と考えます。コーラン全体を通じて、「アラーが全知全能であること、従う者には慈悲深く、背く者にはとてつもなく厳しい」(186頁)ことが伝わってきます。

なお、コーランはアラビア語のみが正しいものとされているため、和訳を言えるようになったとしてもコーランを覚えたということにはならないようです。同じ開扉は、本来のアラビア語ではこのように始まります。

ビスミッラーヒ アッラフマーニッラヒーミ

アルハムドリッラーヒ ラッビルアーラミーン

アッラフマーニッラヒーミ(13頁)

この本の中ではここまで。続きを書いていらっしゃるウェブを見つけました。

 

キリスト教、ユダヤ教との関係

これは、私が一番知りたかったところでした。私が解説するより阿刀田さんの言葉でどうぞ。

 視点を変え歴史的な鳥瞰を示せば、まず西暦以前(諸説はあるが西暦前6世紀頃)にユダヤ教が確立し、神との契約を交わして聖典を顕わし、その中でやがてこの世界に傑出した救世者が現れることを予言した。それに応えて、1世紀の初頭、

「はい、来ましたよ」

 ヨルダン川のほとりに現れた救世者がイエス・キリストであり、ここにキリスト教が誕生する。新興勢力はユダヤ教の教えを神との古い契約と見なして旧約聖書とし、神との新しい契約を結んで、それが新約聖書の教えとなった。

 しかし、ユダヤ教のほうは、イエスをして永年待ち望んだ特別な救世者とは認めなかった。キリストの言葉を聞かされても、

「ナザレ人のイエス? 何者だ?」

 であり、当然のことながらイエスの教えを綴った新約聖書なんか、ナンジャラホイ、価値を認めなかった。本来のユダヤ教の聖典だけがユダヤ教徒にとって尊いものであった。

 だから旧約聖書・新約聖書という呼び方自体がキリスト教的な呼称であり、ユダヤ教徒には旧はあっても新はない。旧約聖書とよく似た本来の聖典だけで充分なのである。

 そして、さらにイエスより600年ほど遅れてマホメットが現われ、

「われこそが最後の、そしてもっとも卓越した預言者。神の言葉はここにおいて完成される」

 と宣言した。その教えがイスラム教であることは言うまでもない。平たく言えば、

「雷電も双葉山も大鵬もみんな強かったろうけど、私がいっちゃん強い本当の大横綱なのよ」

 と名乗りをあげたようなものである。

(中略)

 コーラン第2章<雌牛>の冒頭第4節で”またあなた(マホメット)以前の預言者たちに啓示したものを信じ”ている人々をよしとしているのは、こんな歴史的事情を反映している。マホメットは・・・いや、アラーは根源的にユダヤ教もキリスト教も認めているのだ。(中略)現在の諍いは近親憎悪と見えないでもないが、マホメット流に言えば、

「教典も先祖もみんなりっぱなのに、このごろの連中が教えを破って、ひったるんでいるから、いかん」

 だから争わなければならない、なのである。(19-22頁)

 

実際、コーランの中に出てくる登場人物の多くは、読み方は違えど、旧約聖書・新約聖書に出てくる登場人物と同じです。

  • イブラーヒーム は アブラハム
  • ムーサー は モーセ
  • イーサー は イエス
  • ユースフ は ヨセフ
  • ルート は ロト
  • ヌーフ は ノア  など。

これについては、

「旧約聖書を利用している」

 と言われても仕方のない情況なのだが、コーランの立場は、”ユダヤ教(キリスト教も)を否定するものではなく、完成するものである”なのだ。ありていに言えば、ずーっと昔から(時間を超え空間を超え)同じ唯一神の支配が続いているのであり、ユダヤ教とかキリスト教とか、いくつかのプレゼンテーションがあって神は預言者を何度も地上に送って警告を発し続けたが、いっこうに教えが実現しなかった。そこで最後にして絶対的な教えであるコーランを送り、同じく、最終にして絶対の預言者マホメットを遣わして今までの教えを完成するのだ、なのである。旧約聖書のヒーローが何人登場しようと、苦しゅうない。当然の帰着、となる。(126頁)

 

つまりは、3つの宗教とも、神は同じ、ということ。

(前略)アラーはイスラム教だけの神という認識ではなく、神そのものが・・・つまり神なるものがアラーなのだ。もともとはアラビア語で神を表すイラーフに冠詞のアルをつけたもの、英語のザ・ゴッドに当たる。ユダヤ教徒やキリスト教徒がそれを認めるかどうかはともかく、イスラム的認識によればユダヤ教の神もキリスト教の神も同じアラーということになる。(186-187頁)

 

3つの宗教の関係が、こういうことになっているとは。恥ずかしながら、全然理解しておりませんでした・・・。

 

ジハード

以前仕事でお付き合いのあったインドネシア人の方が訪日された際、日本人の礼儀正しさや親切さに触れて、日本人はムスリムよりもムスリムっぽいという表現をされました。それくらい、本来のイスラム教の教えは、親切や思いやり、弱者の救済といったことを大切にしています。旅行・留学・出張等で、あるいは日本で、イスラム教徒の方々の温和さに触れたことがある方も少なくないと思います。

モスクも、コーランもとても美しいものです。

マホメットも、この本から、高い理念を掲げた卓越した人柄と才覚であったことが伺えます。

そんな中で、唯一理解が及ばないのがジハードという名の戦い。

それには、イスラム教が誕生した頃の時代背景やその地域の風土も大きく影響しているのだなということを感じました。

当時アラビア地方にはベドウィンの流れを汲む部族社会が構成されていた。血縁を絆とする大小さまざまな部族が割拠し、自分たちの掟により一族を育み、隊商をくり出し、敵と戦っていた。(46頁)

 

いわゆるジャーヒリーヤ(=未開、無法、"まだ神を知らない時代"というニュアンス)時代と呼ばれる、部族中心の弱肉強食の時代。戦いがとても身近にある世界。

そして、マホメットが目指していたのは「神のもとでの正義、平等、隣人愛」(60頁)であって、それは「族長や大商人の勝手気まま」がまかり通ってきたそれまでの秩序への挑戦、革命でした。

当時で言えば新興宗教となるマホメット率いる集団は、この時代の実力者たちから見れば、とてもやっかいで迷惑な存在であり、迫害を受け、命も狙われていました。そんな中では、隣人愛を唱えつつも、そのためには、その道を邪魔する者、その主義に従わない者たちは排除する必要があったということでしょうか。

 マホメットが率いるイスラム集団は充分に戦闘的であった。

 ヒジュラの直前にアカバの誓いを結び、これには第一(621年)と第二(622年)とがあり、1年ほどの歳月をへだてて結ばれている。第一は女性の誓い、第二は戦いの誓いとも呼ばれ、前者は女性を守ることをモットーとし、後者はイスラム確立のため、いかなる戦闘も辞さない、という決意表明である。

 戦闘の手始めは624年のバドルの戦い。これはメッカのクライシュ部族の隊商を襲い商品を奪い取ること、財源の確保と敵対するクライシュ部族に打撃を与えることを目的としていた。こうした略奪行為は遊牧民族にとって珍しいことではない。これぞジャーヒリーヤ時代の伝統、ボヤボヤしてたら身ぐるみ剥がれてしまうのだ。(67頁)

 

コーランにおいても、戦いにおいての心構えなどがみられます。例えば、

"信仰ある者よ、アラーの恵みを思い起こせ。敵の大軍が攻め寄せて来たとき、アラーは台風を起こし、目に見えない天使の援軍を送ったではないか。アラーはあなたたちがやっていることなど、みんなお見通しだ。

(中略)

 アラーは、戦場へ行こうとしなかった者、「こっちへいらっしゃいよ」などと仲間を誘って逃げ道を示した者、みんな知っている。ほんのわずかな時間しか戦場にいなかった者もな。(161-162頁)

絶対的にアラーへの忠誠を求めます。

その根底にあるのは、

 コーランの場合、アラーの加護は絶大であり、たとえ破れることがあっても、それはアラーの試練、死に到ることがあっても、心正しい者については、ちゃんとアラーの帳面に記され、最後の審判でおおいに祝福される、これが基本的なロジックだ。

(中略)

 いっときの不幸など、充分に耐えられる。(中略)コーランの思想では、現世のことなど、最後の審判へと続く全体のほんの一部にしかすぎない。たとえ戦場で死んだとしても、アラーのために戦ったのであれば、それは栄誉であり、未来の保証であり、少しも不幸ではない、という考え方である。これこそがコーランを貫く理念であり、現代の聖戦という表現も、もちろん、この理念に裏打ちされている。(165-166頁)

 

この信念が体を貫いていたなら、自らの尊い命すら犠牲にできてしまうのかもしれません。そんな人たちの前には、どんな脅しもミサイル配備も、一体何の抑止力になるのだろうか、と思ってしまいます。

 

これからの世界

ピュー研究所のホームページ(Pew-Templeton Global Religious Futures Project)で、現在と将来の宗教人口分布を見ることができます。これによると、2010年時点でイスラム教を信じる人は16億人。キリスト教徒(22億人)に次いで2番目です。

2050年には世界におけるイスラム教人口は28億人となって、世界人口の30%に迫り、キリスト教人口29億人(31%)に近づき、

2070年にはイスラム教徒、キリスト教徒の世界人口に対する割合は32.3%で同じになり、2100年には、イスラム教人口が35%で、キリスト教人口34%を超えると予測されています。 

 

この人口割合を見て、改めて、阿刀田さんがこの本を書かれた思いに共感します。

 21世紀の世界はイスラムとの協調を抜きにしては考えいにくい。そのイスラムの根底にあるのがコーラン、とこれもまた論を待たない。

 にもかかわらず私たち日本人はコーランをほとんど知らない。理解は極端に浅い。

 このエッセイは日常の読書の中でコーランをやさしく読み知っていただくこと、ただそれだけを願って綴った。コーランの深遠さと特殊性を考えれば、これが不十分なものであることを、筆者自身、よく承知している。不足については切なる願いに免じてお許しいただきたい。(あとがきより(362頁))

宗教について書くのは難しくて、繊細で、勇気のいることだと思います。 とりわけ難しいと思われるコーランとイスラム教についてここまでわかりやすく世に出してくださった阿刀田さんに敬意と感謝の気持ちが湧いてきます。

 

また、この数字を見て、もう一つ思ったことがあります。

日本に暮らして、欧米のニュースばかりをみていると、無意識的にイスラム教の方がマイノリティであるという考えになり、その立場から、多様性を受け入れようという論調になります。「多様性を受け入れる」という発想自体が、パワーを持ちやすいマジョリティ側が意識をして持つ必要があるためです。

ただ全世界的に見れば、イスラム教は全然マイノリティではない。そう思った時、イスラム教の方々にも、世界で最大の宗教になっていく立場であるからこそ、多様性を受け入れる寛容さを持ち続けていてほしいなと思いました。

 

東京でイスラムを感じられる場所としては、 東京ジャーミイが好きです。とても美しいモスクです。

 

どこに生まれても、どこで暮らしても、何を信じても、平和に暮らせる世界であることを切に願います。

 

 

なお、 阿刀田さんの、この「○○を知っていますか」シリーズは大好きです。

難しいこと、込み入ったことを、誰にでもわかるように説明できる人こそ、本当に頭がいい人だなあと思います。

本書と合わせて「旧約聖書を知っていますか」「新約聖書を知っていますか」も読まれるとますます理解が深まるのではないかと思います。

全作を読んでいる訳ではないのですが、今の所一番のお気に入りは「ギリシア神話を知っていますか 」。神々がおちゃめに書かれていたりして、とてもおもしろいです。

 

コーランを知っていますか (新潮文庫)

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旧約聖書を知っていますか (新潮文庫)

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新約聖書を知っていますか (新潮文庫)

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ギリシア神話を知っていますか (新潮文庫)

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源氏物語を知っていますか(新潮文庫)

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イソップを知っていますか (新潮文庫)

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アラビアンナイトを楽しむために (新潮文庫)

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(061)世界史で読み解く現代ニュース<宗教編> (ポプラ新書)

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