ここみち読書録

プロコーチ・けいこの、心の向くまま・導かれるまま出会った本の読書録。

『パンセ』で極める人間学

好きな書き手を追いかけていると、知らなかった世界に誘われます。

鹿島茂さんを追いかけていたら、パスカルの残したパンセ抄と出会いました。

『パンセ』で極める人間学」(鹿島茂 著、2022年6月初版、NHK出版新書)

『パンセ』で極める人間学 (NHK出版新書 677)

 

「人間は考える葦である」

「パスカルの定理」「パスカルの原理」「ヘクトパスカル」

 

どれかひとつはきっと聞いたことがあるのでは。

そのどれもが、のパスカル(本名・ブレーズ・パスカル)から。

17世紀のフランスの数学者であり、物理学者であり、哲学者。

数学の世界に留まるのではなく、人間に興味を持ち始め、のちには神学の道にも入っていく。

天才という言葉がこれ以上なくぴったりの人。

 

「パンセ(Pensée)」とは、フランス語で、考え、とか、考えたこと、などの意味。

39歳の若さで亡くなるまでの間に、パスカルは、考えたことを紙切れに走り書きして残しています。

いずれはここから本を執筆するつもりだった、その夢叶わぬまま旅立った後、

遺族や編者が、宗教や道徳、政治、言語などに関する文章を選び出して編纂した随筆集が、パンセです。

 

一文のものもあれば、数枚にわたるものもある。

それぞれが断片(「断章」と呼ばれています)なので、どう編集するかで味わい方も変わってきます。

 

本書は、パンセを原文で読み返したフランス文学者の鹿島茂さんが、私たちにも読みやすいように編纂したものです。

膨大な量の書物を読み書きしてこられた鹿島さんが「もしかするとパスカルはあらゆる思想家、哲学者の中で一番凄いことを言っているのではないかとさえ考えるようになった」

「私は何十年もかけてパスカルを再発見した」(p.10)

とまで言わしめるのだから、読んでみないわけにはいきません。

 

人生のあらゆる側面に示唆を与えてくれる言葉が詰まっています。

人間の本性について整然と核心を突く言葉で射抜かれますが、冷徹というわけでもなく、人間の存在への愛も感じます。

それは、どーしよーもない性分の人間を解き明かしながら、自分自身も決してその例外ではなく、自分もその一部だというところから語っているからではないかと思います。

まさに人間を観察し、あるがままに表現しているのであって、批判的ではないところが、パスカルの魅力だと感じます。

 

正直に言えば、全部理解できたかはわかりませんが、なるほどー!確かにー!と唸る考えにたくさん出会いました。

300年前にこれが言われているわけですから、人間の普遍性のようなものも感じます。

 

一番好きなのはこの断章でした。

わたしは、(中略)人間のあらゆる不幸は、たった一つのことから来ているという事実を発見してしまった。人は部屋の中にじっとしたままではいられないということだ。(中略)会話や賭事などの気晴らしに耽るのも、自宅にじっとしていられないからにすぎない。(後略) (断章139, p.34)

 

その他、自分用の備忘録として、以下に引用しておきます。

ぜひ、ご自分で読んで、お気に入りの断章を見つけてください。

 

人間は、屋根葺き職人だろうとなんだろうと、生まれつき、あらゆる職業に向いている。向いていないのは、部屋の中にじっとしていることだけだ。(断章138, p.26)

 

自己愛の本質、すなわち、この人間的な《自我》の本質とは、自分しか愛さず、自分しか尊敬しないことだ。しかし、次のような場合、人はどうしてよいかわからなくなる。愛してやまない自分という対象が欠点だらけで、悲惨のどん底にあるのになす術がない場合である。偉大でありたいと思うが、見えるのは矮小な自分でしかない。幸せになりたいと思うが、悲惨の自分を見るほかない。完璧な人間になりたいと思うが、不完全な自分をみるはめになる。人から愛され、尊敬の的になりたいと思うが、欠点のために、嫌悪と軽蔑にしか値しないことがわかってしまう。このような困惑の中に置かれると、その人のうちには、想像しうる限り最も不正で罪深い情念が芽生えてくる。というのも、その人は、自分を非難し、自分の欠点を思い知らせるこの真実に対して抜きがたい恨みを抱くようになるからだ。その真実をなくしてしまいたいと強く願うが、しかし、真実はそれ自体ではなくなることはない。よって、真実を自分と他人の知る限りにおいて破壊してしまうことになる。言いかえると、その人は、自分の欠点を、自分と他人の目に触れないよう、覆い隠そうとして全力を尽くすのだ。その欠点を人から指摘されることもいやだし、人に見破られることも我慢できないのだ。(断章100, p.72)

 

虚栄というものは人間の心の中に非常に深く錨(いかり)を降ろしている。だから、兵士も、従卒も、料理人も、港湾労働者も、それぞれ自慢ばかりして、賛嘆者を欲しがるのだ。さらに哲学者たちも、称賛してくれる人が欲しい。また、そうした批判を書いている当人も、批判が的確だと褒められたいがために書くのだ。また、その批判を読んだ者も、それを読んだという誉れが欲しいのである。そして、これを書いているわたしですら、おそらくは、そうした願望を持っているだろう。また、これを読む人だって……。(断章150, p.54)

 

取るにたらないことがわたしたちを塞ぎこませるのと同じ理由で、取るに足らないことが私たちの慰めとなる。(断章136, p.128)

 

わたしたちは、闘いには興奮するが、勝利には興奮しない。
動物同士の格闘を見るのは好きだが、勝ったほうの動物が負けたほうの動物に食らいつくのは見たくはない。勝利による決着以外に何を望んでいるのだろうか?だが、ひとたび勝利による決着が訪れると、うんざりしてしまう。賭事においてもしかり、真理の探究においても然り。論争においてもしかりで、意見が闘わされるのを見たがるのであって、発見された真理を眺めるのは願い下げである。(中略)わたしたちは決してモノを探すのではない。モノの探究を究めるのである。ことほどさように、演劇においても、サスペンスのないめでたしめでたしの大団円には価値がないし、希望が皆無の極端な悲惨も、また粗野な恋愛も、辛辣すぎる酷薄さも同じように価値がない。(断章135, p.37)

 

人を効果的にたしなめ、その人が誤っていることを教えるには、その人がどの方向からものごとを見ているかをしっかりと見極めなければならない。と言うのも、その人が見ている方向からは、ものごとはたしかに真に見えるからだ。そして、それが真に見えることを認めてやる必要がある。しかし、同時に、別の方向から見ると誤っている事実を発見させてやらなければならない。そうすれば、その人は満足するだろう。と言うのも、自分が誤っていたのではなく、全方位的に見る術を欠いていたにすぎないと気づくはずだからだ。ところで、人は、全方位的に見ることができないと言われたも腹を立てないが、誤っているとは言われたくないものである。これはおそらく、人は全方位的に見ることができないのが普通で、また自分が眺めている方向については誤らないのが普通であると言うことからきているのだろう。方向の感覚というのは常に正しいからである。(断章9, p.48)

 

人間というのは概して、自分の頭で見つけた理由のほうが、他人の頭の中で発見された理由よりも、深く納得するものだ。(断章10, p.47)

 

自然な文体に出会うと、人はすっかり驚いて、夢中になる。なぜなら、一人の著者を見ると思っていたところで、一人の人間と出会ったからだ。(断章29, p.108)

 

雄弁ーー聞いて心地よい要素と真実な要素の両方がなくてはならない。しかし、心地よい要素というのは、それ自体、真実な要素の中から生まれてくるものなのである。(断章25, p.115)

 

自然な話し方によって、あらゆる情念やあらゆる効果が見事に描かれると、人はいま聞いたばかりの話の真実性を、自分自身の中に発見することになる。たとえ、その真実性が自分の中にあったということにまったく気づきもしなかったにもかかわらず、である。 その結果、その事実に気づかせてくれた人をにわかに愛するようになる。なぜなら、その人は自分自身の財産を教えたのではなく、私たちの財産を教えてくれたからだ。ことほどさように、こうした恩恵は私たちにとってその人を大変好ましい存在に変えるが、さらに言うなら、わたしたちとその人との知性の共通性が、わたしたちの心にその人への愛を吹きこむことになるのだ。(断章14, p.9)

 

目の前に絶壁があったとしても、わたしたちは、それが見えないようにするために、なにかしらの障壁を前方に設け、しかるのちに、安心してその絶壁のほうへ突っ走っていくのである。(断章183, p.156)

 

人間は小さなことに対しては敏感であるが、大きなことに対してはひどく鈍感なものである。
これこそは、人間の奇妙な倒錯のしるしである。(断章198、p.157)

 

人は精神が豊かになるつれて、自分の周りに独創的な人間がより多くいることに気がつく。しかし、凡庸な人というのは人々のあいだに差異があることに気づかない。(断章7, p.91)

 

少しかじってみるだけでも、パスカルの明快に本質を述べる洞察力と表現力を感じられたのでは? 本では、それぞれに鹿島さんの解説がついていて、理解を助けてくれます。

 

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